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きっかけは某スピリチュアル関係の本で「子どもは親を選んで生まれて来ます」と言い切っていて、
不快に感じられたからです。
※私は選べるなら別の親が良かった派。
検索してみたら、タイトルがそのままという本が存在していたので読んでみました。
この本の著者はなんと産婦人科医さん。
ときには、三人に一人の子どもに胎内、誕生記憶があるそうです。(ときにはって何だ)
で、結論から言ってしまいますと、
「子どもは親を選んで生まれてくる」違うのでは?
こう↑言われると縁を感じざるをえませんが、
本の中で自分で選ばなかった子の話が普通に出ているのですよ。「かみさま」なるひとに選んでもらったと。
それについて著書はそれでも決断したのは自分だからと言って「子どもは親を選んで生まれてくる」に持って行っていましたが。
さらに「優しいお母さんだと思っていたのに外れちゃった。怒ってばっかり。あんまり怒るんだったら、雲の上に帰っちゃおうかな。」と言った子もいたそうです。
自分で選びましたが、不満のようです(笑)
納得しました。
選んでも、外れる事はある。
つまり恋愛と同じようなものだ!
誰もが抱くだろう「虐待されて殺される子も親を選んで生まれてくるのか?」もイエスだそうです。
それはいけない事だと教える為だったり、虐待する人はストレスをぶつける場所がないから、その子が生まれてこなかったら、ものすごい事件を起こしたりする可能性がある。だからかわりに自分が死ぬだけですむなら…。
↑って何というおそろしい理由だろう。(それが本当ならばの話。)
誰かが殺されるのを防ぐために自分が死んでも良いと思って生まれて来る子がいるとしたらもはやそれは人間というより神か仏かと思うのですが。
殺される事が分かっている子に対して
「死ぬのが怖いってことを知らなかったのかなあ」って言うのもどうなのか。これもまた事実だとするなら、
生まれて来たの絶対に後悔するのではないかと。
安易に殺される為に生まれてしまって実際体験したら想像以上に苦しかったなんて事になったら
…言葉もない。というか虐待される子は自分で選んで生まれたとしてもそれを覚えていないだろうから結局惨い。
元気で生まれるか病気で生まれるかも自分で選べるらしい。
私の体質虚弱は自分で選んだのか?そんな馬鹿な。
アレルギーで蕁麻疹出しまくったり
運動すると喘息出たり風邪ひいても喘息みたいになったり風邪ひいただけで重症化して入院したり子供の頃は病院は毎月数回通って当たり前、体調の良い日は年に2ヶ月くらいの子供だったのですが。
頭のおかしい子供だったのか。たしかに馬鹿だけど。
女優になりたいから綺麗な人を母親に選んで生まれた子の話など、事実云々抜きにして読み物として面白かったです。
精子だった頃の記憶のある人と卵子の時の記憶のある人などうさんくさい話もありましたが。
精子にも卵子にも記憶があるらな
1つの受精卵になった状態で2つの記憶がある��では。それともその時点でどちらかが死ぬのか。
考えても答えは分かりませんね。
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我が子が胎内記憶らしいことを話してくれたので、ネットで色々調べときたどり着いた本。
考えさせられ涙が溢れ出ました。
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いまいちピンと来なかったけど、ただ私には合わなかっただけなのかなとも思います。
終始、ホントなのかな…と思ってしまいました。
でも、お腹の赤ちゃんにはたくさん話しかけようと思いました。
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赤ちゃんに胎内記憶や生前記憶がある事は助産師に推奨される思考であり、妊産婦と生まれてくる赤ちゃんとの情緒的な繋がり、心の交情にも必要な考え方だ。妊婦がお腹に話しかける、胎教音楽を聞かせるなどは、今では主流だろう。
ある地区でアンケートを取ると、回収した79件について胎内記憶がある子は53%、誕生記憶がある子は41%だったという。周りから聞く私の経験的な感覚に照らしても、違和感は無い。確かに、子ども達は〝何かしらの記憶“を語ってくれる。
しかし、実際には、この件はスピリチュアルな領域を出ず、子どもを疑う事よりも信じる事、母子の健全な関係を優先し、否定され難いために社会通念化されている側面がある。
この件はそれで良い、と私は思うのだが、子どもの「虚偽記憶」について知っておく必要がある。司法で誤った判決をせぬためにも慎重に取り扱われる分野だ。誘導的な聴き取り、質問を繰り返すことは虚偽記憶を産み出す一因となる。特に子供は、周りからの影響で体験したことがない出来事を申告したり、記憶が変容してしまいやすい。そのため、子供への聴取には、配慮が必要とされる。
例えば、本書に書かれる虐待をやめさせるために、虐待する親を子ども自らが選ぶなんていうご都合主義や正当化は認めない。死産を選択する子どもは、タナトフィリアとでも言うのか。子どもは、必ずしも親を選んではいない。選んだと自ら主張する子どものみをそうだと信じてあげれば良いのであって、それ以外の子どもを当てはめるには行き過ぎであり、そこからは科学的エビデンスが必要だ。科学と信仰、バランスよくいこう。