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これは早くも今年度第1位確実な本です!内容は・・・「ロス暴動からわずか2年後の1994年。カリフォルニア州ロングビーチの公立高校に、若く経験はないが、情熱に満ちた国語教師エリンが赴任してきた。犯罪、人種間対立、暴力、貧困で荒廃し、絶望しか知らない生徒たちの声なき悲鳴に全身全霊でこたえ、日記に「自分の気持ち」を書くことを辛抱強く教えるエリン。やがて彼らに希望という新しい世界の扉が開く―。書くことで心を開き、絆を深めた高校の4年間を描く感動のノンフィクション」です。一人の国語教師が本を通して生徒と理解を深めていく、そして生徒が変化していく、私の理想とする教育がここにあります。しかしこの成果は、生徒のために全身全霊を尽くせる教師の力があってこそのものだと思います。これは本当にたくさんの人に読んでほしいです。ここに出てくる生徒たちのおかれた悲惨な環境、それは日本では考えにくい姿だと思います。だからこそ、それを乗り越えていこうとする生徒たちの姿をこの本を通して知ってほしいです。
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映画に感動したので、本を借りてきました。
アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、アジア系・・・。
肌の色や文化の違い・・・。
私は「それがなんなの?」って思ってしまうけど、それは私が平和ボケしているせい。
私は、今日死ぬかもしれないという恐怖や、強い憎しみや、暴力など経験したことがない。
そんな毎日はどんなだろうか。想像しても、自分がどうなってしまうのか想像がつかない。
きっと、この生徒たちのようになっていたかもしれない。
憎しみや暴力から身を守るために銃を持つ。正当防衛だと掲げ銃を使う。銃を使うことでまた新たな憎しみや暴力を生むことになり、永遠と憎しみ、暴力、争い、死が繰り返されていく。
それが悲しい。
なぜ人種で対立するのか。
この生徒たち(生徒たちだけじゃないけど)は、背景にどんな歴史か知らなくても「昔からそうだから」という理由で対立している。
なんで争っているのかということも考えたこともなかった。
それを、エリンが「ロミオとジュリエット」で例えて生徒たちに質問する。
「家同士の争いは愚かなことだと思いませんか?」 → 「愚かだと思う」と生徒。
「それでは、キャピレット家はラティーノのギャング、モンタギュー家はアジア人のギャングです。ラティーノのギャングとアジア人のギャングが殺し合いをするのは、愚かなことだと思いませんか?」 → 「思わない!」と生徒。
しかし、そう答えながらも愚かだということに気づいた生徒。
エリンはピーナッツと世界平和を結びつける。
見た目が違っても、不恰好でも、ピーナッツはピーナッツ。
茶色、黒、白、黄色、それが混ざったいろんな色。それでも人間は人間だ。
おれたちはなんでピーナッツではなんとも思わないのに、肌の色で殺し合いをしてるんだ?と気づく生徒。
エリン・グルーウェルはとても勇気がある人。
私だったら、あの偏見に満ちた目で見られたり、言葉の暴力や、生徒たちの重すぎる現実を受け止めることは出来ないと思う。
逃げ出してしまうかもしれない。
だって、あの日記に書かれた内容・・・。重すぎるし、辛すぎる。1対1ならまだしも、1対150人!
・・・そう思ってました。
だけど、エリンはいろんな人を巻き込んで協力してもらうんですね。
私は人に頼らないでなるべく自分ひとりで頑張ろうとしちゃうからそういう風に考えなかった。
そっか、エリンみたいに頼ったり、協力してもらったりしたら、不可能を可能に出来、大きな力にすることが出来るんだ。
エリンのあの行動力と、コミュニケーション能力を私も見習いたいと思います。
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差別・貧困・暴力。厳しい現実の中で荒れ果てるしかなかった生徒達に、一冊ずつノートを与える新任教師。彼らが書いた日記を集めた実話とのこと。どん底から言葉の力を手にして立ち上がっていく様は感動的である。それは書くことの効用でもあるが、もっと大きいのはエリン・グルーウェルの底知れない情熱と行動力だと思う。(ホテルで働いて校外学習の費用を稼ぐというのもすごいが、教師がバイトをしてるってこと自体が驚きだ。どうなってんの)とにかく生徒をなんとかしようと思う強い気持ち、行動することで勝ち取る信頼。それは教師の理想的な姿だが、そうであればこそ、同じようにできない自分の弱さに複雑な思いも、あるなぁ。
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日本の生ぬるい社会で生きてきた私にとっては、このフリーダムライターズの日常に衝撃を受けた。
人種差別、ドラッグ、貧困、殺人、虐待・・・・こんな生活の中でキレイ事は通用せず、希望を持つということは難しいだろうと感じた。人が変われる、人生を変えられるということを知って激しく感動した。
日々を生きることが精一杯で、未来に希望を持っていなかった彼らが、問題に正面から向き合い、成長し、希望を持つようになる。
互いにもっていた偏見を”寛容の精神”で見事に無くしていく・・・本当に素晴らしい。また同様に、人を変えられるということにも気づいた。
教師のエリンは尋常でない忍耐力と情熱で生徒たちに”寛容の精神”や、希望を持つことの大切さを説いていった。
大変な困難だったと思うし、一筋縄でいかない生徒たちが多かったと思う。
途中であきらめようと思うこともあったかもしれない。
しかしながら、彼女はあきらめることなく、情熱を持って、愛情を持って生徒たちに接し続けた。
この気持ちが生徒の気持ちを、さらには周りの支援者の気持ちを動かしたのだと思う。
彼女のように強い忍耐と情熱があれば、人を変えることができるんだと思った。更に、生徒たちの日記を読んでいて、いかに生徒たちが彼女から影響を受けているかが分かる。
こんなに他人に影響を与えられる職業が他にあるだろうか?
改めて、教育とは?教育者とは?と考えさせられた。
もうひとつ、書くことがこんなにも人を癒すものかと驚いた。
書くことによって、自分を客観的にみられるようになり、気持ちを整理できる程度のことは知っていたつもりだった。
だけど、書くことによって、辛さ、寂しさ、苦しさ、心の傷・・・を癒す効果があるのだと今回初めて知った。
またその癒しは本人だけではなく、それを読んだ人にも同様に働くことも分かった。
自分のした辛い経験が、他人に癒しを与えたり、勇気を与えることになる・・・これほど意義のあることはないと思う。「ペンは剣よりも強し」とはよく言ったもので、何かを変えたいと思ったら、暴力に訴えるよりもペンを握るほうが問題解決の近道になると思った。
この本に綴じられている日記は、プロの執筆家や記者が書いたものではないけれど、すごく訴える力があると思う。
それは、個人個人が自分の生の体験を、その時の自分が感じたままに素直に書いている。
日記の中では、弱い自分も、汚い自分も、隠したい自分も、すべてさらけ出している。
それがこんなにも多くの人に感動を与えている理由であると思う。この本が、もっと多くの人たちに希望を与えると良いと思う。
そして良い影響を受けた人たちが正の連鎖を続けていくと良いと思う。
自分もその一人になりたい。
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これは映画の中で起きている話じゃない。
家を一歩出れば肌の色の違い、ただそれだけの理由で命を落としてしまう。そんな世界。
街は人種ごとに分離し、学校はその縮図と化している。
そんな状況の中で生きていくには
どれだけ心を麻痺させ、すり減らし、殺せばいいのか?
心に傷を負った子どもはやがて大きくなったとき、
ちゃんと明日を見つめて生きてゆけるのだろうか。
人種は違うが、そんな負の連鎖を断ち切ろうとする高校生たちと先生のお話。
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映画を見て、消化不良だったので原作を読みました。教育がいかに人びとに希望を与えるか、というテーマです。週末にバイトをしてまで教材費を捻出する著者に、多少の疑問は持ちますが、企業等を巻き込んで援助を得て、大きな事業を達成しています。著者は現在、大学で教員養成に関わっているとか。
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教育の力をもっと信じられる。この本の感想を一言で述べるなら、私はそう言う。
Teaching Torerance, 寛容の教育とは、「多様性を認め合うこと」、「自分とは異なる人種の人々、異なる考え方、宗教、文化、国籍を持つ人々を寛大な精神で容認し、受け入れること、互いに違いを認め合うこと」を、生徒に見に付けさせる教育だ(引用は訳者あとがき、p.380から)。ミズGこと、グルーウェル先生の指導の下、生徒たちは友人たちだけでなくもちろん自分を認めることを覚え、自らを公民権運動の時代にバス差別に抗議した若者たち「Freedom Riders(自由のための乗客)」になぞらえて「Freedom Writers(自由のための書き手)」と名乗り、寛容の精神を伝える側へと成長していく。
これは生徒の日記を集めたもの。学期の区切りごとにグル―ウェル先生の日記も入っている。生徒の日記はすべて匿名だ。最初はどれとどれが同じ生徒の書いた日記か特定しようかと考えながら読んでいたが、それは間違い。これは「フリーダム・ライターズ」という一つのグループが書いた一つの作品なのだ。本文p.304にもあった先生の言葉、「『だめです、全員で一つなんです』」つまり、「百かゼロなのだ。」
どんな状況にいたって、生徒は変わっていける。いつまでも生徒を信じてくれる先生と、「家族」と呼べる仲間がいれば。でも、それは与えられるものではない。それぞれが努力して作り上げるものなのだ。その努力のきっかけは、やはり、先生。
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犯罪や貧困で荒れ放題のクラスを担当することになった若い教師エリンは、アンネの日記を用いて、生徒たちに文章を書くこと、自尊心や寛容の心を教えていきます。映画にもなった、アメリカの高校が舞台の実話。
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映画を見て読み始めた。
アメリカの見放された(多くは有色人種の)高校生たちが書いた手記。
「エリンが」荒れた学校で奮闘し生徒たちの人生を建て直すのが映画版。
こちらは向き合ってくれる大人のサポートを得て「生徒たちが」成長していく過程の記録。
色々と衝撃だった。
たとえば暴力について。
私が「銃社会アメリカ」といわれて思い浮かべるのは、マイケルムーアの映画で見たセキュリティ万全のお屋敷で自衛を語る銃協会の金持ち白人男性だ。
だから「銃で身を守る」という言葉を馬鹿げた被害妄想としか思っていなかった。
けれど、肌の色にふるわれる暴力が日常の子にとっては「銃で身を守る」が妄言じゃない。
この子たちの現実がこの子たちの言葉で語られるのを見ると、どれだけ自分がわかってないかを思い知らされる。
これだけ多様性と寛容をテーマにしている本でエリンの担当教科が「国語」なのが気になる。映画では「英語」だった。
『空が青いから白を選んだのです』に、彼らの成長が著しいのは、彼らの立っている場所がとても低いところにあるからだ、という言葉があった。http://booklog.jp/quote/286014
伸びしろの大きさは、社会的なネグレクトの深刻さを意味する。
関連
「記念碑の語るアメリカ」http://booklog.jp/item/1/4815804400寛容の博物館など、生徒たちが行った場所のこと
「コリアン世界の旅」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4062563193ロス暴動の人種対立
「席を立たなかったクローデット」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4811386809フリーダムライド前夜
『空が青いから白を選んだのです』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4860954025 読むことと書くこと/きくことと表すこと
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ヒラリー・スワンク主演の映画 『フリーダム・ライターズ』を観て、原作を読みたくなって取り寄せた一冊。ロス暴動から2年後の1994年、LAに隣接するロングビーチの高校に一人の新任女性教師がやってきた。国語教師、エリン・グルーウェル。 希望に満ちて担当した彼女のクラスの生徒達は、以前のクラスでドロップアウトした問題児の寄せ集めだったー。
彼らは人種ごとにグループに別れ、グループ同士いがみ合い、お互いに話し合おうともしない。 ある日、一人の黒人転入生に対するクラスメイトの中傷を咎めたエリンは、彼らがホロコーストという言葉も知らないことに愕然とする。
アンネの日記に準えて、自費で生徒にノートを配り、思いのままに日記を書くように言うエリン。最初は訝しがっていた生徒達もそのノートに自分達の思いを正直に書くようになる。その内容は想像を絶する厳しい現実であった。人種が違うと言うだけで、路上で銃撃に遭って友人や家族を殺された者、親や親類から暴力を受ける者、住む所を追われて路上生活する者、銃の暴発で友人を目の前で失った者、麻薬やアルコール中毒に苦しむ者など。彼らの心の傷をクラス全体で共有することによって、次第に人種を超えた友情が出来始めていく。
エリンは彼らの未来に希望を与え、『寛容の精神』、『学ぶ』ことによって自分で未来を変えられると生徒達を勇気づけていく。生徒達の活動はやがて地域の理解を得て、社会現象をも巻き起こしてゆく。
初期の日記と終盤の日記を比べると、その成長に目をみはる。
彼らに大きな影響を与えた『アンネの日記』、『ズラータの日記(サラエボ内戦時の少女の日記)』の存在がこの本の軸になっているように感じた。
一つ一つの生徒の日記は率直で、生々しくて、読んでいて胸に迫るものがある。こういった本を日本の教育現場でもとり上げてもらえたらなぁと思った作品。
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フリーダム・ライターズの日記を書籍化したもの。匿名で書かれているけれど、男か女かくらいはわかる。なんなんだろう、この違和感。くだらないかと思えば、ふっと上昇して届かないところにもいるような気がするし、決定的に感覚のズレがある。本当に物事はこんなに好転するのか。本当に物事はこんなに単純なのか。でもこんなに単純にやって成功しているのだから、彼らが正解かもしれない。ただし、アメリカ国内でという話だけれど。
それにしても、アメリカ国内の人種問題とはこんなに個人のレベルで根深いのかと驚いた。法的に問題が解決されても、国民の生活の中ではなにも解決していない。
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変化に乾杯!
自分の運命を変えた子どもたちと先生の物語。先生に反発していた子どもたちもいつの間にか先生の思う方向に引っ張られ、最後は自分で選んで進んでいった。引っ張る先生のエネルギーや手腕もすばらしいし、当たり前で仕方ないことと諦めていた自分の社会における立場は、実はおかしいってことに気づいたこと。自分の人生の責任は、自分にあるってことを気づかせることが素晴らしかったと思う。人にいい影響を与えられる人間になれたら…先生は私の憧れです。