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一気呵成に書き上げたという伝説があるが、実際にはかなり練られたとのこと。魂が体を抜け出して若返って、荒野を走り抜けるかのような読後感。旅に出たくなる。
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昔、『路上』という翻訳で、何度か読んでは途中で投げ出し、また読んでは投げ出し、結局、最後までざっと目を通しただけで、何が面白いのか、分からなかった。
このたび、新しい翻訳『オン・ザ・ロード』で、もう一度、最初っから最後までじっくりと読んでやろうと思いたち、図書館で文庫本借りて気合入れて読み始めたんだけど、途中で、単行本があったことに気づき、そちらをまた借りて、続きをドンドン読んでいった。
1部2部と、どうでもいい登場人物が次々に出てきて、どうでもいい話が延々と続き、退屈でクジけそうになったけど、アメリカの地図を何度も見て、移動の経路をたどることで乗り切った。
あと、出版社のページに載ってた登場人物の関係図も見て頭の中を整理した。
http://www.kawade.co.jp/ontheroad/
はじめて『路上』を読んだ時、オレはニューヨークに行ったり、ボストンやワシントンやカナダをウロウロしたことはあったけど、東海岸だけだった。
でも、その後、フロリダにも行ったし、カナダの西海岸からサンフランシスコ、LA、を経由して大陸を横断し、ハイウェイをぶっ飛ばして砂漠みたいな景色も見たし、ラスベガスとか寄りつつ、ニューヨークまで移動したので、この物語の「移動してゆくカンジ」は、以前より、リアルに感じられるようになった。
3部に入ってからは、ちょっとだけ面白くなってきて、読むスピードが上がってきた。まるでディーンの運転する車のメチャクチャなドライヴみたいに。
ヒマさえあれば、本を開いて、一気に読み進めた。
でも、4部、5部と続くにつれ「えー、まだあるのー?」って、のけぞった。
それでも諦めず読み続けた。
そうして、なんとか、かろうじて、最後までたどりつけた・・・。
長かったー・・・。
それだけに達成感はある・・・。長い旅を終えたように。
だけど、エンディングも、「え?これで終わり?」みたいなアッケなかった。
ビートニクの金字塔、不滅の名作、永遠の青春の書・・・いろんな人が絶賛しまくってるんだけど・・・・。
・・・・・・どこがおもしろいの・・・・・・・?
つーか、みんなホントにそう思ってんの???
オレはケルアックの詩は好きなんだけど。
『SWITCH』という雑誌に、アメリカの広大なロードのモノクロームの写真が載ってて、そこに彼の詩の一部が乗ってて、一目見て好きになった。
「
I clearly saw ぼくははっきりと見た
the skelton underneath 骸骨を
all this show of personality 個性をひけらかす上っ面の下に
what is left 何が残されているのか
of man and all his pride 人とその全ての誇りの下に
・・・・・」
それで、他の詩も見てみたんだけど、どれも良くて好きになった。
訳者あとがきで書いてあったけど、ケルアックの言葉は尖がってる。
たとえば、on the road っていうのは、単なる『路上』、道路の上、という日本語の言葉とは違って、「旅行中」とか「家出中」とか「途上にある」などを意味する熟語で、「移動している」というニュ���ンスの言葉なのだそうだ。
だから、この題名こそ、まさに移動し続ける登場人物を言い表していることになる。
驚くべきことに、ギンズバーグの"Howl"も、バロウズの"Naked lunch"も、ケルアックがつけたんだってー。
すげー。
そもそもビート・ジェネレーションという呼び名自体、ケルアックの言葉だ。
beatは「叩きのめされた」という意味だし、「やっつける」という意味もあり、ジャズやロックのビートでもあるし、beatific「至福の/聖者のような」でもあり、beatitude「至福/無上の幸福/キリストが山上の垂訓の中で説いた幸福」という意味まである。
短い言葉に、これだけ深い意味を含ませてしまうなんて。まるで俳句だ。
だから、ケルアックの詩はスゴイ。
ジャズがいつも鳴ってて、ウィスキーで酔っ払ってて、路上にあって、ブッダの瞑想や、カトリックの祈りがあり、天使が飛んでいたり、打ちのめされていたり、至福があったり、聖者のようだったりする。
それなのに、彼の小説のおもしろさは、オレには、分からないんだよなー。
いくつか小説を持ってて、本棚に並んでるんだけどさー。
多くの人が絶賛してる不朽の名作だっていうのに、オレにとっては、なぜ面白くないのか?
考えてみたんだけど・・・・。
主人公のサル・パラダイスがつまんない。
彼の友人のディーンはメチャクチャやってるんだけど、主人公が真面目な性格だから、話としてイマイチ盛り上がってないんじゃないだろうか?
サルのモデルは作者ケルアックなんだけど、彼は大人しい性格だったという。そういうカンジが出てる。
オレは、ギンズバーグの詩とか、バロウズの小説を先に読んだから、ネイキッドランチとか映画でも見たし、本当にもう気が狂ってて、ヤク中毒で、クィアーで、人殺しまでやってて、マジでもうシャレにならんと思った・・・。
ティモシー・リアリーの薬物実験で被験者になって、あり得ないくらいラリって、おかしくなってるギンズバーグとか・・・。
それに比べると、ケルアックがメキシコでマリファナやって気持ち良くなったくらいでは、だからどうした?としか思えない。
小学生の夏休みの旅行絵日記みたいに見えてしまう。
この小説で、とくに心に残ったのは、この部分だった。
「オールナイトの映画に来ている連中は終わっているやつらだった。アラバマから噂につられて車の工場で働くためにやってきたくたくたになった黒人、年寄りの白人浮浪者、さんざ放浪した末に酒浸りになった若い長髪の風来坊、売春婦やふつうのカップルやすることもなければ行くところもなくてだれも信じられない主婦。デトロイト中を篩いにかけても、これほど打ちひしがれた特選級の屑は集められないだろう。」
2012年、ブラジル人の映画監督が、これを映画化して、カンヌでも上映されたそうだ。もう日本で公開されたのかな?・・・・・・公開されたら、ぜひ、映画館で見たい。
映画の評判は、カンヌでは、今イチだったみたい。
なんでも、オン・ザ・ロードという題名どおり、アメリカの広大なハイウェイを行ったり来たりする小説なのに、映画では、セックスとドラッグ���ことばかり描いていて、そこが小説と違い過ぎてて、不評だったとか。
それでも、せっかく、小説をこれほど気合いれて読破したんだから、映画も見たい。
読んだ時はそんなに好きじゃなかったけど、後になってから、だんだん好きになっていく本もあるし。
『オン・ザ・ロード』も、これから好きになるのかもしれない。
この本、図書館に返したら、買おうかな。表紙も好きだし。
映画が楽しみだ。
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舞台は1940年代後半のアメリカ、それはロックンロール成立以前でありジャズが最もトべる音楽と言われていた時代。ジャズに理論はあれど定型は存在せず、絶頂の一瞬を追い求めるためフレーズは変幻自在に変化する。家族からも宗教からも、国家からも切り離させられたビートニク世代の象徴的作品である本作はそうしたバップ時代のジャズそのものだ。卓越した技術と感性を持ちながらも安易な物語性を良しとせず、イカしたビートの上にまだ見ぬ興奮をと縦横無尽にアドリブが吹きすさぶ。旅に出よう、まだ見ぬ景色を。その感覚が全てさ、それが全て。
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50年代のアメリカの小説。私小説かなと思ったけど、けっこう練った小説のよう。
池澤夏樹氏「男2人(中略)気ままな行き当たりばったりの旅にぼくたちは同行する」(帯)
「(この小説は)路上をどこかへの途上と信じひたすら移動を続ける若い連中の話」(解説)
と景気のいい(?)評を寄せているけど、僕の読み方はちょっと違った。
2人とは、著者自身がモデルとなってるサル、コロンビア大出の若手作家と、父親は浮浪者となって行方不明、4度服役もしてる何をしでかすかわからないディーンのこと。
2人が同じものを見ていたようには思われない。
ディーン「マイルを計算して、今夜どこに泊まるか計算して、ガソリン代や天気や(中略)せっせと考える。そんなことしなくたって、どっちみち着くっていうのによ...(292頁)」
一方サル「こういうスナップ写真を僕らの子供たちはいつの日か不思議そうにながめて、親たちは何事もなくきちんと、写真に収まるような人生を過ごし、朝起きると胸を張って人生の歩道を歩いて行ったのだと考えるのだろう(中略)実際の人生が、実際の夜が、その地獄が意味のない悪魔のロードがボロボロの狂気と騒乱でいっぱいだったとは夢にもにも考えないのだろう(355頁)」
2人がロードに見ていたものは違う。
で最後、ガールフレンドとリムジンで、メトロポリタンオペラへデュークエリントのコンサートへ向かうサルは、せめて途中まで乗せて行ってくれというディーンの頼みを冷たく断る。。
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NY近郊在住の僕、若手作家のサル・パラダイスは、ディーン・モリアーティと知り合い、彼の熱狂が伝線したように、アメリカを縦横無尽の路上の旅に出る。
ディーン!輝ける南部の太陽!狂った熱情に突き動かされる路上の申し子!彼との7年間は素晴らしすぎて話さずにはいられない!
ボロボロのヒッチハイク、綿摘みの日雇い、女の子たち、マリファナ。
くたびれた世代(ビート・ジェネレーション)の異分子(ヒップスター)たちが突き動かされるままに過ごした時代をそのまま紙面に写し取ったロード・ムービー的小説。
===
作者ケルアックの精神的自伝小説でしょうか。ディーンはじめ登場人物たちは、ニール・キャサディやウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグといった実在の人物がモデルとなって…と言うことだが、それらの名前を聞いても「裸のランチ 映画版」しか思い浮かばない私としては、その辺はいまいちピンと来ず…、その上ヒッピー用語?の語感が素晴らしいんだが、それもやっぱりピンと来ず…。
また語り手サルは、バカなことをしつつも根本は知的で冷静な面も感じられ、作品の熱狂と知性が不思議な距離感。
どちらかというと、巻末の作者の年表に書かれた、ケルアックやキャサディ、バロウズの人生のほうもかなりインパクト大。
殺人の証拠預かり?!妻を過失致死?!仏教、禅の勉強?!野垂れ死に?!
本文もさりながらこの年表でビート・ジェネレーションというのが垣間見えた気がする。
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何の説明もなしに読めば、多くの読者は、本作は1950年代に登場したとは信じないだろう。勿論、青山南先生の素晴らしい新訳のおかげかもしれないけれど。それにしてもノンストップで読みたくなる凄い躍動感。なんだ、ディランとか、スプリングスティーンとか、デニス・ホッパーとか、みんなケルアックの焼直しじゃない、と言いたくなるくらい。
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当時における斬新さや、これからカルチャーが生まれたってのは分かるんだが、そこまで夢中になれず。若者がどこに行ってもバカ騒ぎしながらアメリカ横断してるな…と、一歩ひくというか。若いときに読んでたら違ったのかな。終わりが気になったので、読了困難ではなかったけど。
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全巻揃えよう!っと思っている池澤夏樹世界文学全集の第1巻。
若くて自由でどうしようもない感じが溢れていて、若い頃だったら読めなかっただろうと思う。(高校生の頃、ライ麦畑もよくわからなくて好きになれなかった。なんとなく同じ匂いがするのだが。)
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わりと好きで読んでいる池澤夏樹のセレクト世界文学集の1番目という点に興味を惹かれて手にとってみた。
初めは若者の日常や次々とでてくる友人の描写で散漫な印象だが、巻末の著者来歴を読んでこの小説が著者と友人の実体験をベースにしている事を知ってとにかく読んでみようと。
安定した平凡な日常生活を退屈と感じ、移動、スピード、パーティー、ジャズ、女…とにかく変化を求めていく。大事なのは今を思い切り感じることという感じ。ディーンの気分が乗ってきたときは「いいね!」が決め台詞。望まれる良い市民の型に価値を認めない。お金が全く無いことなど日常茶飯事。その価値観のまま生きたであろう著者はおそらく酒と麻薬で体を悪くし、友人も行き倒れ同然で二人共40代で早死している。著者の復帰兵という来歴の影響もあるのかもしれないが、身を守る意識が薄い。小説の中の友人は浮浪者の子供で犯罪に慣れて育ったせいもあるだろうが、さらにぶっとんでいる。
アメリカ大陸を横断する途中に味わいあるストーリーがあるのだろうという期待は裏切られる。時速170キロでとばし、広大な距離を縦横無尽に軽々と移動していく。
いわゆる世界文学の名作という固まったイメージから離れるが、1950年代では新しさを感じさせたのではないか。何度も書き直して出来上がった作品らしい。文体や主人公が未知にむかって進んでいく感じは村上春樹ものに似ていると感じる。文学者の像としても学者、知識人の路線でない新しいタイプというのが面白さのポイントでは。
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自分が今まで関わってきた世界とは全く違う世界、人々の行動や思考が読めた点で、価値があった。
ディーンや主人公などの精神病の疑いの濃い危ういタイプと友人になると大変だろうと思うので、現実では関わるのを避けるが、どういう価値観を持ちどんな人生を歩んできたのか、覗いてみたい聞いてみたい好奇心は持っていた。
あまりにモラルが低いので、辟易することも多く、読みながら気分が悪くなっていたが、最後には周りが落ち着いても1人いつまでも変わらないディーンに哀愁を感じる自分がいた。
メキシコに入ったあたりから、特に強く鮮明に色や香り、気候を感じた。
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210208*読了
確かにこの壮大な旅を「路上」と訳してしまってはいけない。路上であり、途上であり、旅路であり、人生である。ニューヨークからサンフランシスコへ、またニューヨークへ。そして、再びサンフランシスコ。さらにメキシコ。語り手であるサルも、ぶっ飛んでいるディーンもいつも移動していて、しばらく留まったかと思えば、また動き出す。そうやっていつも車に乗って、どこかへ向かっている。
ディーンと出会ったことで良くも悪くもサルの人生は変わった。それはディーンにしてもそう、サルと出会ったから感じたことがある。
自分がその空気をリアルで味わうことはないんだけれど、こうして文章から立ち上ってくる熱気。パーティーの、バンドシーンのむんむんとした暑さ。その時その時の空気感が文章から伝わってくる。これが小説のおもしろさ。ケルアックさんは特にその熱気を伝えるのが上手いように思います。
この小説は著者であるケルアックさんの実体験を交えたもの。タイプライターを打ちながら、ロードでの光景が頭に次々と浮かび、当時を振り返っていたのだろうな。
池澤夏樹さん編集の世界文学全集、日本文学全集を読破する、という野望を掲げ、その第一歩をこうして、踏み出したわけです。今年はこの全集の中から十五冊読みたいと思っています。
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1940年代後半、東から西を目指してひた走るサルとディーン。安住を良しとせずここではないどこかを目指す彼らの旅には、目指すゴールというものがいつの間にか消失し、やがて互いも…となっていく。旅で得るものは人それぞれだが、ただ流れゆくことに不安を感じるのは、読んでいるこちらも歳を重ねてしまったからだろうか。ページ的には大長編だが、言葉の「ビート」に乗れば読み進められる。2020年代のジェネレーションズがこれをどう読んで感じるのか、というのも知りたい。
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読みさしのまま図書館に返却しました。
習慣的に盗みを働く人と付き合い続ける主人公につきあう時間が惜しくなったので。
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二人の若者が何かに憑かれたように広いアメリカ大陸を旅する小説。見聞を広げるような旅ではなく、思いのままに定めた目的地までの移動手段を手に入れ、飲酒、ドラッグ、セックス、盗みなど刺激的に移動することだけが大切なこと。人と人との距離が近い古き良き時代の破滅型の青春小説だが、現実的にはなかなか踏み出せない放浪への憧れは、今も昔も変らない。ケルアックのヒッチハイクの旅の経験がベースになっており、実在のモデルが多数登場しているとのこと。
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第二次世界大戦後のアメリカで周囲からも見放されるほど気の赴くままに生きる若者を描いた作品。読み進めるのがしんどかった。池澤夏樹さんの世界文学全集を読んでみようと手に取ったが、あまり面白いと感じれなくて、でも1冊目で途中終了になるも嫌で、活字を追ったという感じ。生きている時代が異なるからか、なかなか面白さがわからなかった。