投稿元:
レビューを見る
赤塚図書館908
最終盤でテレザが「トーマシュを引きずり下ろしたのは自分で、そのことに気がつくのにここまでくる必要があったのか?」と思い悩む様はリアルなのかも、私はまだわかんないけど。
そばにいて欲しいって願望がトマーシュを小さくさせてしまったし、結婚の本質って夫婦を同質にしてしまうものなのかも?一緒にいられるように。
キーワードはキッチュ。
一夫一婦制ってキッチュ?トマーシュはサビナが嫌うキッチュに結局おさまってしまったのか?
サビナが最重要人物かと思いきやそうでもなかった?まぁそもそも群像劇だけど。
2017/2/1再読
全然読んだ記憶がなくてびっくりしました。なんか5年前に読んだ時よりは頭に入ってきたかも…。チェコのことを調べたくなった。人生における決定の軽さと、重くし消極的にするということ(消極的ってのがよくわからなかった)木の葉のような人生のことを思った。
アンナ カレーニナが重要らしく出てくるから重要アイテムかと思いきや全然だった。
908
投稿元:
レビューを見る
大学時代の英語のクラスで読まされたことを思い出す。講師はアメリカ人(おそらく)だった。授業は和訳すると言うことではなく、あらかじめ読んでおいて、その中身に関していろいろディスカッションするものだった。
1度というのは、1度きりという場合に無いことに等しい。2回以上ある場合に置いて、一度は意味を持つ。人生は一度きりだから、そこでの失敗も成功も意味がない。そして一度きりの人生は無意味だからこそ、そこに意味を見いだそうとする人の思想・行動はそれが1人でないという意味に置いて、考慮に値する。ただ考慮に値することを考慮することは一度きりの人生に置いて意味がない。
その無意味に過ぎない自分の人生の行動が宿命によるものだとしたら、その無意味さはいっそう無意味になる。ひとは起こったことを、とくに本意とは異なる結果になったときに、それを嘆いたり後悔したりするかわりに「こうなる運命だったのだ」と自分を慰める術をもつ。
しかし、慰めの事態を避けるために、人は積極的に自分の意思としての人生を求める。動物と人を分ける、人生の選択性、積極性。だが、それをどこまで求めてもつきまとう。一度きりという無意味性。
原発問題や政治腐敗、交通事故や病気。歴史の大きな流れや人生の小さな流れもその瞬間に於いて人は大騒ぎするけれでもそれも時間が経てばそれ一度きりの無意味なこととして過ぎる空虚感。それでも生きる人と動物のように生きる人。表と裏の中間には何が存在するのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
あらゆる視点から描かれていること、時系列が行ったり来たりすることが、最後に来て、こんなにも救いに繋がるとは思ってもみなかった。
投稿元:
レビューを見る
5回ぐらい図書館でかりて、読んでを繰り返してとうとう購入。時々、人生について賢くなったように感じられる本に出会うけれど、”存在の耐えられない軽さ”はその一冊だ。
投稿元:
レビューを見る
難解で読みづらく、半分くらいの成分はチェコ、プラハの春に関わる歴史小説。
ところどころの文章にはっとさせられる事が多い。重く難しい本だったけど読後の満足感は十分ある。良書だった。
投稿元:
レビューを見る
新訳で再読。生の不条理、愛の不確かさについてこれ程までに向き合いながら、なぜクンデラは正気でいられたのだろう。人間が本当に耐えられないのは軽さや重さそのものではなく、全ての決断の裏に潜む可能性の存在だ。プラハの春とその挫折という歴史は政治の持つ不条理さを暴き出し、それは恋愛の不条理さと呼応する。安易な人間らしさ=キッチュなものに対して抵抗しようとする生き方は苦痛と困難を伴うものであるが、だからこそ最後には至福の感動に辿り着く。例えそれが喪われる事を前提とした、手の平程の小さな幸福だとしても。圧倒的大傑作。
投稿元:
レビューを見る
人生と愛なんてとんでもない壮大なものを書き切った一冊。これを読むと一回分の人生を味わった気にすらなってしまう。「ノルウェイの森」とこの本は私の本棚にいつも置いときたい。もし子供がいたら、いつか読んで欲しい本。
投稿元:
レビューを見る
75/100人生は(物の数にも入らない)1回きりで、どの決心が正しくて、どの決心が間違っているのか知ることはできないなら、自分が望むように行動しているという確信を持てれば、上出来なのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
次々と視点が変わる,時系列も行ったりきたり,哲学的・政治的な登場人物の思考過程の描写,そして作者のコメントも入ってくる,ととても読みにくい要素のオンパレードのはずなのに,一気に読み進められた。とても不思議な読書体験。それだけ,登場人物に感情移入できるし,哲学的思考にも共感するところがたくさんあるのだと思う。
"Einmal ist Keinmal",未経験の惑星に生きる自分たちの選択行為の意味,人生が全てリハーサルの無い本番であること。その他にも多くの問題提起がなされていて,まだほとんど自分の中で消化できていないような気がする。
何度も読み返したい,そんな強い思いを抱く本当に素晴らしい小説でした。
投稿元:
レビューを見る
優秀な外科医トマーシュは女性にもてもて。しかし最初の妻と別れて以来、女性に対して恐怖と欲望という相反する感情を抱いている。彼は二つの感情と折り合いをつけ、複数の愛人とうまく付き合うための方法を編み出し、愛人たちとの関係をエロス的友情と呼んで楽しんでいた。そんな彼のもとにある日、たまたま田舎町で知り合った娘テレザが訪ねてくる。『アンナ・カレーニナ』の分厚い本を手にして。その時から彼は、人生の大きな選択を迫られることとなる――。
長くて読みづらい文学作品。普段なかなか読まない類のものなので、正直理解できない部分もかなりあった。でも題名にある「軽さ」と「重さ」の対比の部分はわりとサビナというフィルターを通して読んだせいか納得できた。消極的なものから積極的なものへ。単に重いから良いわけではなく、人生は何度も戻れず一回だけ(ないに等しい)なのだから軽い選択もありうる・・・確かに。トマーシュもテレザもフランツもあっけない死で、余計に空虚さを感じる余韻でした。人生っていったい何なんだろう。闘うことの意味って、と考えさせられる。チェコの歴史を知りたくなった。
投稿元:
レビューを見る
池澤全集で再読。
舞台はチェコスロバキアの近現代、
トマーシュ、テレザ、サビナを通じて語られる
クンデラ先生の授業内容は「人生の選択について」。
一度きりの人生で人はたくさんの選択を迫られる。
その選択が正しいのか、間違っているのか。
重いのか、軽いのか。
それはわからないけれど私たちはそれでも道を選び進んでいく。
その歩む道の違いがそれぞれの人生。
そんな小難しいけれど魅力的な授業、
その教科書の名は「存在の耐えられない軽さ」。
投稿元:
レビューを見る
2016年3冊目。
タイトルに魅力を感じて手に取った。
冒頭の池澤夏樹さんの解説に「これは従来の文学の枠に収めにくい異形の哲学小説」とあったのでそのつもりで読み始めたが、毎晩寝る前にウイスキーのようにちみちみと読み進めていたので、一読目は全体感をつかみきれずに終わってしまった。
が、気づけば貼った付箋の数が50枚近く。
心の中で形にならなかったものが音を立てて言語化されていった感覚。
たった一度しか起こりえない選択を、取り返しがきかないという意味で「重い」ととらえるか、繰り返されないのだから「軽い」ととらえるか。
今の自分は後者に救われた気がする。
次は他の本と併読ではなく、この本だけに集中して読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
新訳で再挑戦。文章の格調の高さ(訳文の)という点では集英社文庫版だが、あちらはかなり散文調で、わかりやすさという点で新訳が勝ると感じた。まあ、好みの問題という違いでしかないレベルだと思うけれど。
「存在の耐えられない軽さ」というタイトルは、極めて逆説的な意味を持っているのではないかと思う。筆者が最初に定義しているように、軽さイコール自由であるとするならば、自由であればあるほど存在が耐えられなくなるのだ。政治により自由を束縛された登場人物達を通して描かれる自由の不安定感はとてもリアルで秀逸だと思う。
投稿元:
レビューを見る
学生時代に読んだはずなんだが、ちっとも覚えてなかった・・・読んでも思い出せなかった・・・。面白かった記憶はあったが。で、今回も面白かった。チェコの現代史の理解にもなるし、主人公男女の関係はある意味憧れる。実際は絶対嫌だけど。
投稿元:
レビューを見る
共産主義に生きる男女4人の哲学的恋愛小説? ジャンル付けするのがナンセンス。
外科医のトマーシュ、田舎娘のテレザ、芸術家のサビナ、大学教員のフランツとその周辺(犬のカレーニン、フランツの妻のマリー=クロードなど)を「私」の視点も含めて語っていく。
エネルギー取られる本