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蟹とはガンを指す。ガン闘病私小説。パタさん(彼)とドブさん(私)は、もはや男女の関係というより兄妹のような同棲関係。パタさんのがん治療に、民間治療やあやしげな宗教にまで足を運ぶなど最善を尽くしながら、両親の介護と仕事もこなす八面六臂。ときにはヒステリーを起し辛さを吐露するが、パタさんのがん(蟹たち)の幕間狂言やカッパの登場で不思議な闘病小説になっている。著者お得意のダジャレも気にならない。かけがえのない人の闘病を見つめる辛さ哀しさがこころに迫る。にもかかわらずなんだか明るい爽やかさが読後に残る。
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癌=キャンサー。キャンサーの語源はカルキノス=蟹。籍を入れないまま15年間連れ添った彼の看病をする「私」=荻野アンナ。懸命に彼を支え、励まし、看病をしたからといって彼の死後に財産がもらえるでもなく、法事にも肩身の狭い思いでしか出られず、老いた自分の両親の介護とのダブルパンチで体を壊す。ここには、いわゆる恋愛小説の甘美な陶酔感はどこにもない。ただ、損得を超えて彼の看病をする姿勢には本当の「愛」があると思う。
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2008年2月14日という日に、私は2人の人間の「生と死」に立ち会うこととなった。とはいっても、モデルになった人々こそいれど、両人ともあくまで虚構の世界の住人である。その日、私は夕方に映画「潜水服は超の夢を見る」を渋谷で見て、夜に荻野アンナの本作を読んだ。先に断っておくと、両方ともなかなかの力作だったと思う。毛色の違うこの両作を単純に比較することは余りに暴力的ではあるが、私という媒介を通じて同時に受容されたこの2つの作品を、ここでは強引に結びつけて理解してしまおうと思う。「潜水服〜」も本作も、共に一人の人間の「死」を巡る物語ではあるけれども、「潜水服〜」が「死」を人間的な孤独と結びつけて描写しようとするの対して、本作において「死」は人と人の<間>に存在する物として取り扱われる。それは単に語りの主体の位置の相違のみに起因するものではなく、両者の間に存在する絶対的な断絶として理解されるべきであろう(しかしながら、それは実は絶妙に紙一重なものであることを、我々は本作の“パタさん”の描写を通して知ることになる)。この両者は、決してどちらが正しいということはなく、実際には同時に成立するものであろうと、幸いなことに未だ身内が存命である私は貧困な想像力を働かせて思う。ただ、そうした同時並行的に進行し、そしてどこかで必ず交差することになるその両者のうちで、本作で荻野氏が語りだすテーマは、自分の/自分の親しい人の「死」という絶望的な瞬間を受容していく上での、ポジティブなパワーを提供してくれるメッセージとして捉えることが可能だ。「潜水服〜」が「死」を持って物語の終焉を迎えるのに対して、本作はそこから生まるる「生」をもって物語を完結させる。この意思こそが、恐らくは「死」と向き合う人間にとっては、あるいは「死」を見取る人間にとっては必要なのではないかと感じた。ちなみに、余談であるが荻野氏は元々16世紀のフランスの詩人・ラブレーの研究から始められた人であり、彼女のポジティブなメッセージや独特の作風はそこから影響を受けているものと思われる。私は荻野氏が教鞭を取られる学部の学生であったが、フランス語を専攻していなかったこともあって、残念ながら彼女の授業を受けることは遂になかった。本書を読んで、彼女のラブレー論は聞いてみたかったなぁと、今更取り返しのつかない妄想をしたりもした。「潜水服〜」の中にこんな一節が出てくる。「笑うものがないときに笑うのは、それは道化ぐらいだ」。荻野アンナのラブレーは、笑えない現実を笑ってしまうだけの「覚悟」を持って、我々に人間の「いきかた」を提示してくれているのではないだろうか。まぁ、バレンタインの日に「Love」が「0(零)」である私にとっては、「逝き方」の前に現在の「生き方」を真剣に考え直す方がよっぽど先決かもしれないが。苦笑
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う〜ん、がん患者も家族にもつ私としては共感できるところ、多数。苛立ちとかいろんな迷いとか、そうなんだよ、と頷きながら読んでました。でもなんかすっきりしないんだなあ。。。関係性があまりにも違うから?
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途中から重くなる。
状況を客観的に見ているようで見ていない。
自分から状況を招き入れて嘆いているのかもしれない。
途中からの繰り返しも理由がわからない。
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著者の自伝的な小説。
蟹とは、癌のことでした。
軽妙な語り口で、駄洒落満載で描かれているものの、中身は非常に重いです。
癌の最期は本当に壮絶。
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2004年4月、パタさんに癌が見つかった。
入院や通院を繰り返すなか、日に日に痩せ細り弱っていくパタさん。
それを自分の仕事を抱えながらも挫けながら折れながらも支える私、ドブちゃん。
怪しげな胡散臭い治療法を試したり、少しでもパタさんに長く生きてほしい思いであれもこれも試した日々。
出だしが癌である蟹の会話ってのがすごい。
クワッって鳴き声とともにカッパが出てきてドブちゃんになっちゃうのもすごい。
なんかふざけてる感じだけど真剣に読めるのはドブちゃんが人間らしくて真剣だからだ!(謎
猫が肺がんで死んだってのに、偶然にも癌ネタの本読んでら~
わが名はフランソワ、不思議なオーラ大爆発だけど面白い)^o^(
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癌との闘病記とも読めるし、長らく内縁的な恋愛関係にあった彼が癌になり死に近づいて行く様に向き合う女性の自分との戦いを書いた作品とも読む事ができるし、ある意味壮絶な恋愛物語としても読める。どう感じるかは、読む人の今までの人生経験によるかも。力作だが、やはり人の死を題材にした作品は読むのがつらい。