紙の本
「低俗マンガ」も「高等な芸術」もわけへだてなく取り上げた労作。
2007/11/20 13:08
9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
マンガが文化研究の対象に含まれるようになったのは、それほど昔のことではない。そのせいかどうか、マンガの研究水準に関する一般の認識はあまり高くなく、昨年度のサントリー学芸賞受賞作であるマンガ研究書についても一悶着あった(以下を参照。http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20061109/1163057045)
知識人がマンガに真剣な関心を寄せるようになったのは、少女マンガによるところが大きい。1970年代半ばになっていわゆる24年組(萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子ら昭和24年前後に生まれたマンガ家)が注目を浴びたのは、無論作品の質にもよっているけれども、同時に吉本隆明のような高名な思想家や当時は新進気鋭の評論家だった橋本治が少女マンガに注目して自著の中で取り上げたからでもあったのだ。
しかしそれで少女マンガ全般への理解と関心が高まったかというと、いささか心許ない。それまで少女マンガは「少女趣味」「現実逃避」「成長途上で一時的に夢中になるだけの娯楽」というレッテルを貼られて片づけられていたわけだが、大部分の少女マンガは24年組登場以降も同じ見方をされていた。24年組のように知識人によっても評価される「芸術的な」少女マンガは実は少数派なのであって、『りぼん』や『なかよし』に掲載される作品は相も変わらず「少女趣味」的であり、知識人に取り上げられることもなく、しかししっかり少女たちに読まれ続けていたのである。
こうした状況下で、知識人だけに注目されるような作品やマンガ家だけに限定せず、戦後の少女マンガを網羅的に取り上げた書物が1980年に小さな書肆から出版されたが、ここしばらく入手困難となっていた。それがこのほどようやく文庫化されたことを喜びたい。
本書はまず少女マンガというジャンルの形成から話を始めている。知識人が論じるような「高等な」少女マンガは言うまでもなく、少女雑誌に連載されて絶え間なく消費されているような「低俗な」少女マンガも大昔から存在していたわけではない。今の若い人には分からなくなっているが、昭和30年代初めまでは少年少女向けの雑誌と言ってもマンガで埋め尽くされているわけではなく、活字の物語が主流であり、そこに挿絵という形で絵が入っていたのである。本書が少女マンガ成立への一つの前提としてこの絵物語に言及しているのは重要な部分であろう。手塚治虫的なストーリーマンガだけを端緒とするのは、特に少女マンガの場合は方手落ちなのであって、24年組においてもストーリーから独立したコマが挿絵的に挿入される場合があったことを考えれば、ストーリーと絵の乖離はこうした少女マンガの起源からこそ来ているのだと納得できるのである。
著者が取り上げるマンガ家や作品の数は膨大である。80年に単行本が出ているから70年代末までしか対象になっていないが、それでも一読、こんなに多種多様なマンガ家がいたのかと今更ながらに感心してしまう。マンガというジャンルがそもそも量の上に成り立っている以上、当然と言えば当然であるが、これだけの量を読みこなし適切に分類し当を得たコメント付けるのは、いかにマンガ好きの人であっても大変な作業であったはずだ。労作という言葉が躊躇なく当てはまる書物である。著者が昨年、50代前半で逝去されたのはまことに残念と言うしかない。謹んでご冥福をお祈り申し上げると同時に、本書の続編が志ある著述家によって書かれることを望みたい。
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80年刊行の少女マンガ通史。ちょうど自分がリアルタイムで読み始めるあたりまでの過去が網羅されております。少女マンガの通史というのはこれ以外ないらしく(アマゾンレビューより)、やはり米沢先生の仕事は偉大であったと思うのです。文庫化に際してのはじめにで、去年ご逝去されたことを今頃知りました。改めて合掌。
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高校生の頃これを学校の図書室で読んで、萩尾さんや竹宮さんを知りました。これは最近復刊したバージョンみたいです
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ディープすぎてちょっと私には理解しがたいです。
どこらへんから、ホモがでてきたとか そうゆうことしか覚えてません。
しいて言えば、漫画のタイトルがいちいちかわいいことです。
すてきなコーラとか、かわいすぎるでしょ!!
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スーパースター米沢の、米粒ひとつもらさぬ少女マンガ史。もし存命で、このつづきを書いてくれるとしたら、いったいいまの少女マンガをどのように思うのだろうか。
巻末の少女マンガ年鑑も素晴らしいが、木原敏江を突出して書いてくれたのが
単純に嬉しかった。「少女マンガで泣かせることができるのは、木原敏江と大島弓子
だけである」。とにかく大島弓子好きなんだよね、米やん。
この本は書き出すとえんえん長くなってしまうので割愛。解説も素晴らしかった。
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なにがすごいって、著者の圧倒的な知識量。
戦後から花咲いた少女漫画文化を、社会情勢から分析する。
少女マンガ好きなら読んで損はしません。
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小学生の頃、クラスメイトに借りた楳図かずおの怪奇マンガは、本当にこわかった。「サインはV!」も「アテンションプリーズ」も「ひみつのアッコちゃん」もテレビだけど知ってるぞ。「キャンディ・キャンディ」「生徒諸君!」は妹に借りて読んでいた。我が家の向かいののおじさんは「なかよし」の編集長だった・・・。てなことを思い出しました。労作。
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初版のものを図書館で借りたのですが、他の方の感想と比べたかったのでこちらで。実物を見てびっくり。なんとまあ古めかしい…小さなことだが「戦後」という言葉が歴史になっていくのを見るよう…。ページもわら半紙みたいで色も変わってるし。作品からの挿絵もたくさんあって、少女マンガがこんなにあったことに圧倒される。ほう、少女マンガは貸本から始まったんだ。花を背負い瞳には星が輝いて気持ち悪いと言われたころから、それ以前に眼に星も入らないころからどれほどの娘たちが影響をうけてきたのだろう。学業や仕事や結婚観など、もし政府が意図して思想を操ろうとしたらかなり簡単にできそうな気がする。以後、少女たちの生育環境に応じて分化した夢の数を投影して、いろいろなジャンルの漫画がつくられていった。私もマンガがまだ夢を追い、でも夢から少し醒めかけた時代の読者として、マンガを身体の一部にできたことは幸運だったなあと思う。
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私のリアルなマンガ体験は、
ここに挙げられた作品群より後のものになるんですが、
そこに辿り着くまでの「流れ」がわかって面白かったです。
そうか、進化と揺り戻しの繰り返しなのだなぁぁ、と。
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30年前の1980年に前後の少女マンガ全体を通史としてまとめた評論
つまり扱っているのが30年分くらいでそこからここまでと同じくらいある
にも関わらず未だこの評論のほかに少女マンガ全体を扱った評論が存在しないことがこの評論のえらさを示す
いまだここ30年の少女マンガ論がないのは
ひとつには少女マンガということの指すものが幅広いからだろう
少年の上世代は青年だが少女の上世代を指す言葉はない
個人的には『はいからさんが通る』(ライトノベルならもちろん『ジャパネスク』)こそ「少女マンガ」なのだが
では「りぼん」(少年向けなら「コロコロコミック」)が「少女マンガ」でないといえば違うし
(現在進行で描いているという意味で)吉田秋生作品もまた「少女」のマンガに違いない
少年しこうの典型が誰かを必要としない「最強」のみにあるのに対して
少女しこうはファンタジーを必要とするからこそいるのは現実である
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最初の出版当時、この本と橋本治の花咲く乙女たちのキンピラゴボウが少女マンガ評論のスゴい本として登場してきて話題になっていた。当時図書館で24年組界隈のみ読んだ記憶があるけど今全編読み直して、少女マンガ創生からの歴史を踏まえた連綿とした流れをここまで抑えた本だったとは…マニア向けのマンガ家だけじゃなく過不足なく現れる「あー」の嵐。正直資料読み的な部分はちょいちょい飛ばして読みましたが、内容はフェアな物じゃないかなと思います。どこにも手抜きのない重箱の折詰や、一つの巣箱に古い物から今に至る花粉や蜜が備わっている蜂の巣と言う感じです。コミックマーケットの事がさらっと出てくるのも面白いです、対象物の拡大再生産の今はもっと…途中は飛ばしたとしてもあとがき以降巻末は読んだ方が良いw
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自分レファレンスで借りてみましたが
探していた年代より一世代前が中心だった〜。
そりゃそうか、底本1980年刊の文庫化だ。
ただ、知らない年代の話でも
歴史としておもしろかったです。
ここに書いてあるような「お約束の不幸」は
今も形を変えて組み込まれているのかも。