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2007年(底本1988年)刊行。
著者は元防衛大学校教授。
太平洋戦争開戦前後2回にわたり、陸軍士官学校を出てしばらくの新米少尉が連隊旗手として参加した中国湖南省長沙攻防戦。
勝ちと断じにくい第一次、負けの第二次の夫々の経過、そして陸軍士官学校時代と初陣、また自身担当の幹部候補生教育の裏話などが叙述される。
そもそも第二次は、主作戦(香港攻略)が完遂した以上、余計な転進をして長沙に赴く要はなかったのだが、阿南司令官の独断専行に近い形で実施し手痛い被害を被った。
従軍した著者も、敗残行からの反転攻撃の際、弾が胸を掠めるなど危うい状況に陥っている。歩兵戦のこの臨場感が生々しい。
一方、阿南の訓示が、彼の考え、つまり大本営軽視、補給・糧食軽視(「2日喰わざれば戦必ず勝つ」「補給困難は理由として採用せずして進攻を断行せり」)を雄弁に語る。
他の司令官も恐らく似たりよったりか。
そしてラスト近く。著者直属上官、亀川連隊長による畑俊六総司令官への、阿南司令批判を内包する意見具申に涙。
「弾を持たせずに突っ込まされるなんて今度が初めて…。香港が陥落…時点でなぜ作戦打ち切りをお命じにならなかったのですか」。
慟哭下の意見開陳をする亀川氏こそ「良識ある某」と思うが…。
しかも、第二次長沙作戦後、亀川大佐は、広島文理大学配属将校への転属(事実上の左遷人事とも。またトカゲの尻尾切りか口煩い奴の口封じの可能性も。もっとも後に少将には昇進したが、前線に戻ることはなかったよう。これはどう見たらいいのか)というおまけ付きである。