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牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち みんなのレビュー
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紙の本
事実と事実の欠落を著者は豊かな想像力で埋めてみせる
2008/12/26 23:52
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は刊行当時から話題を呼んでいたので、大きな期待を持って手にした。そうして、期待は裏切られなかった。2008年初頭に読売文学賞を受賞しているが、それにふさわしい読み応えがあった。
著者は、韓国に近い対馬から始まり、近畿、伊勢、伊勢の対岸にある津島、さらに関東、東北などを訪ね歩き、「牛頭天王」が日本においてどのように受容されているかを明らかにする。
「牛頭天王」とは、朝鮮半島から渡来人とともに伝わってきた信仰対象である。在来のアマテラスオオミカミを頂点とする万世一系の天皇制と相容れないため、明治期の神仏分離令や廃仏毀釈の荒波を受け、各地からその存在を消されていった。しかし、その痕跡がいたるところに残っていることをフィールド・ワーカーとして明らかにしていく。
正史としての日本の系譜からははずれた存在であるため、常に圧迫される憂き目にあり、その難を何とか逃れる必要があった。うまく逃げおおせた果てに、いろいろな形に姿を変えて、今でも各地に息づいていることを著者は実証する。
牛頭天王を追いかけることは、日本の異端の歴史を追うことにつながる。それは古代の朝鮮半島および大陸と、日本の関係性への解明にも発展していく。各地を訪ねて著者が示すそれは、どれも実に興味深い。
正統性をもたないがために、たとえば牛頭天王はスサノオノミコトに読み替えられて生き残る。京都の八坂神社がそうだ。先頃、ポスターの奇抜なデザインが注目をあびた東北の「蘇民祭」にも見出される。
書名にある「蘇民将来」は、牛頭天王が宿を求めたときに、こころよく一宿一飯を差し出した人物である。断ったコタンの方は、のちに牛頭天王の荒々しい力によって滅ぼされてしまう。
牛頭天王の荒ぶる神としての側面がポジティブに転ずれば、心強い守護神となる。それが、日本の各地の家に飾られたり、張り出されたりしている「蘇民将来之子孫」のお札である。
このお札があれば、牛頭天王によって守られる。蘇民将来の子孫であることを示すことは、牛頭天王を親切にもてなした存在であることを意味するからだ。半島から伝わった天王信仰は、様々な圧迫を受けながらも、人々の暮らしの中に今でも生き残っている。この書評を読んでいるみなさんのなかにも、「蘇民将来之子孫」のお札に心当たりのある方がおられることだろう。
日本が純粋な国風文化だけで成り立っているわけではなく、重層的な歴史を持つことが解き明かされていく。この謎解きにも似た読書の楽しみは、格別なものがある。
著者は、本書を書き出した時点では、書物の構成を決めてはいなかったに違いない。かなり急展開していく部分があり、様々な話題にその都度、飛んでいく。思いつくままに書きつけていった著者の姿が浮かぶ。それがみなぎる力となり、読者を引きつける。
著者は研究者らしく、次々に事実を掘り起こす。しかし、同時に空想も膨らませて、事実と事実のあいだの欠落を埋めていく。その空想は著者も自覚しており、読者には茶目っ気として映る。このこともまた、本書をエネルギーみなぎる書物にしている。
整然とした書きぶりではないが、それが決してマイナスには働かず、かえって起伏に富み、ワクワクさせるような荒削りなものとなって読者の好奇心をくすぐる。
歴史を学ぶのは、確定した事実を単に暗記することではなく、欠落した部分を想像力によって補いながら、”物語”として受け止めていくものであることを教えてくれるようだ。
日本史の隠された部分に光をあて、見事に輝きを与える本書は痛快な読み物として賞賛に値する。ぜひ一読をお薦めする。
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