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第4部、第10編「子どもたち」の魅力
2007/09/26 20:05
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
『カラマーゾフの兄弟』が二部構成の小説として構想されていたことは、よく知られている。本編4巻+エピローグで構成されるあの大長編の冒頭には、謎めいた序文がつけられている。これから語られる物語は、われらの主人公アリョーシャの13年後の「今」を描くために必要不可欠な、彼の青春時代の一エピソードに過ぎない。伝記は一つなのに、物語は二つである。あの大長編は、もともとは来るべき第二部のための壮大な予告篇として構想されていたというのだ。
だが、その二つめの小説は、作者の死によって永遠に失われてしまった。
本書はその失われた物語のプロットを、できるだけ作者の意図に沿って復元してみようという試みである。こういう作業はとても興味深いが、危険をともなう。並みの書き手では、結局のところ書き手の器に話が収まってしまい、さまざまな声の響きあうドストエフスキーのあの凄みが感じられなくなってしまうのだ。
その点、著者の亀山郁夫は今回の画期的な新訳のために全文をなめるように読み込んだ文学者なので、大いに期待が持てる。評者は新訳カラマーゾフ読了の勢いの消えないうちに本書を読むことができ、大きな満足を味わうことができた。
亀山続編構想の一番の特徴は、今まで多くの論者に採用されていた「アリョーシャが皇帝暗殺者となる」というドラマティックな展開を捨てたことである。しかし、本書の論証にもあるように皇帝暗殺(=父殺し)というモチーフそのものは、当時のロシア社会の現実から考えても継続させられたはずである。では一体誰が実行犯となるのか。そしてアリョーシャの役割は。
そのとき、鍵になるのが、第4部第10編「子どもたち」である。その昔『カラマーゾフ』を原卓也訳で初めて読んだときには、この第10篇は冗長な感じがして、正直言って違和感を覚えた。しかし、亀山訳で読み直した今回は違っていた。亀山先生のおっしゃる通り、ここには第二の物語への助走がはっきり感じられる。今は、まだ数えで13歳のコーリャ・クラソートキンこそが、第二の小説の要の人物であり、きっと皇帝暗殺実行グループの長になる。そこにスムーロフやカルタショフがどのように絡むことになるのか。イリョーシャの姉ニーノチカとコーリャの関係は…など、書かれなかった13年後を空想しながら少年たちのやり取りを読むことはとてもスリリングな経験だった。
諸家の論を参考にし、新訳のための綿密な読みに基づいた亀山オリジナル・プロットは本書213ページ以下に読むことができる。第一の物語と形式を同じくする4部構成12編+エピローグからなる綿密なシノプシスに感動を覚えた。『カラマーゾフの子どもたち』というタイトルも決まっている。
ベルナルド・ベルトルッチ監督『1900年』という5時間を越える超大作映画に、線路に横たわって、汽車をやり過ごすというコーリャのエピソードが引用されていることを唐突に思い出した。長尺の映画の主人公たちの少年時代のエピソードだが、映画のラストでもう一度引用される。そうか、ドストエフスキーだったんだ。
20年以上前に見た映画の意味が今になってやっとわかるというのも、よいものである。さすがドストエフスキー、さすが亀山訳と、妙な感動の仕方をしている。
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これまでよく唱えられていたアリョーシャが皇帝殺しのテロリストになるという説を修正し、コーリャが実行犯になりアリョーシャはそれに影響を与える側にまわるとする。当時の検閲の徹底ぶりの指摘など説得力がある部分と、そうか?と思わせるところ両方あり。
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言われてみればどれもこれも伏線のように思えてきます・・・でもアリョーシャがテロリストに?!!すごいなぁ。アグレッシブな2章、ぜひ読みたかったなあ。
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期待以上に面白かった。
続編の予想としてよりも、本編の背景解説として楽しめた。
アリョーシャが変貌するのかぁ。
本物の続編、読んでみたい。でもそれは叶わないのですね。
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「アリョーシャがそんなことするなんてっ!!」カラマーゾフを読み始める前は、全然こんな本「ケッ」って思ってたんだけど、読み終わったら、ぜひ買わなくては読まなくては、と思った。書かれなかった第2の小説。それがどんな展開になるかを科学的(?)に分析。どうなるの?どうなるの?と思ってさくさくと読めました。特にこの本、訳者の亀山先生(現在『罪と罰』を訳し中らしい☆楽しみ!!)が書いているんだから、信憑性が高い!!そうか、そうかー、なるほどーー、ふむふむ、と思って読めました。読みながら自分も第2の小説を考えられて、もしかして、こんな筋道!?と思ってたら合ってたりして・・・そこらへんの推理小説よりは面白いかも♪(カラマーゾフの後なら)
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作者の予告が有りながら、死去により未刊となった「カラマーゾフの兄弟」の「第二の小説」。そのストーリーを新訳文庫の訳者が組み立てる試み。
新訳本出版社の企画ながら、奇を衒わずに公表されている資料に忠実に、解明・組み立てを行っている。
最大の注目は、ドストエフスキーの死後一ヶ月余りで、予想されたストーリーである「皇帝暗殺」が実際に「行われて」しまった事だ。ここをどう片付けるかに注目だ。
作者の予告は「一つの伝記に、二つの小説」。よって、アリョーシャが主人公、エピローグ前に出てくる「少年たち」が物語の中心になることは言うまでもない。
「空想」は資料・史実に照らして、蓋然性有りと読めた。おそらく多数が納得できるはずだ。
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[ 内容 ]
未完に終わった大長編の新訳から浮かび上がった驚くべき「続編」の可能性。
ドストエフスキー最晩年の思想がいま、蘇る。
[ 目次 ]
第1章 作者の死、残された小説(残された手がかり 空想のための九つの条件 友人、妻……同時代人の証言)
第2章 皇帝を殺すのは誰か(序文にすべての秘密がある 「始まる物語」の主人公たち 思想の未来)
第3章 託される自伝層(年代設定とタイトル アリョーシャはどんな人間か テロルと『カラマーゾフの兄弟』と検閲)
第4章 「第二の小説」における性と信仰(リーザと異端派 「第二の小説」のプロットを空想する 影の主役、真の主役)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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なぜ父は殺されるのか?
それは復活のために。
アリョーシャ実行犯説は聞いたときからピンと来なかった。
モチーフである父殺しの反復といえど、ガリラヤのカナで目覚めたアリョーシャが皇帝を、というかキリストを象徴的にでも殺すということがピンと来なかった。
で、本書。読む前は、イワンが無意識にスメルジャコフをそそのかしてフョードルを殺しミーチャが巻き添えをくらったように、アリョーシャが無意識にコーリャをそそのかして皇帝を殺しイワンが巻き添えをくらうのかな、なんて思ってたけど、ガチョウの下りを読んでたときにはたとひらめく。
コーリャがバカをそそのかしてエサに夢中なガチョウの首をはねたように、アリョーシャがトロイをそそのかしてテロに夢中なコーリャの首をはねるんじゃないだろうか。
だからカルタショフはトロイのエピソードを割り当てられたんだよ(木馬だけに)。な、なんだってー!?
とまあ、この思いつき自体には大した意味はない。このひらめきがもたらした意味は内容じゃなく、第二の小説は父殺しを反復する物語ではなく、父殺しを踏みとどまる物語なんじゃないかという考え。
そう考えるなら散々いわれてる検閲も問題ない。そして最後まで読んでるうちにその考えが、冒頭にでてきた言葉にまで発展した。
なぜ第一の小説で父は殺されなければならなかったのか?
自伝的要素のため?古来から用いられてきたモチーフだから?キリスト教を否定するため?
否。それは復活のため。新たなキリストとしてアリョーシャが、ロシアのキリストとして、神の人アレクセイとして提示されるために。
な、なんだってー!?
とまあ、本文とは全然ちがう読み方をして楽しんでいた。ミステリーで謎解きが楽しいよね、って感覚がいまいちわからなかったけど、これは確かに楽しいもんがある。
本文の推理は非常にスマート。さまざまな伏線、構造、自伝的要素までをも巧みに回収して、第二の小説のプロットを提示する。
確かにコーリャはガチョウの断頭台よりは、ミーチャの誤審を反復する方が強いわなー。さらにシベリアなんて裏ドラつき。そしてカラマーゾフシチナや無言のキスまで回収する鮮やかさ。
しかし、まあ、冒頭の考えは捨ててない。
新たなキリストというよりは、神の人アレクセイのように、その死後有名になるパターンだから序文じゃ無名だったんじゃないかなって具合に、いまだにあーだこーだと空想してる。
そういった意味でこの偉大すぎる小説が、より偉大な第二の小説の前振りでしかなかったという事実は、そしてその第二の小説が書かれなかったという事実は、人類の莫大な損失ではあるけれど、測りきれない恩恵でもあるよねっつー。
ま、恩恵たるには今後数百年かかるだろうけど、そのおこぼれとして、こういった楽しみ方ができるんだから、それはそれでありあり。フェルマーの最終定理的な、もしかしたら素人でも人類を悩ませてきた偉大な謎を解くことができるかもしれない、っていう20年くらい前の空気にも近い。
本書はそんな謎��きの世界に読者を誘ってくれる。豊潤で汲み尽くせない謎がそこには待っている。偉大な、偉大な小説家が残した謎が。
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ベストセラーのカラマーゾフの5冊が読み終わりましたが、まだまだ楽しみが残っていました。訳者だった亀山氏がその続編を空想するという何とも素晴らしいファンタスティックな本を用意してくれたのです。カラマーゾフの中に隠された謎の数々、そして妻アンナ他に語った言葉、他作品の中のヒント、そしてドストエフスキー自身の生涯、ロシアを騒がせた事件・思想家たち。それらを組み合わせ、大胆な推理になりますが、実に説得力に富む粗筋が展開しています。あまり解き明かすのも野暮ではありますが、アリョーシャとコーリャそしてリーザの3人が中心に展開し、皇帝暗殺事件へつながっていくのです、その中でアリョーシャは一体どのような役割を果たすのか? むしろコーリャが中心的な位置を占めることは確実な模様です。
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第2のカラマーゾフの兄弟の前に、カラマーゾフの兄弟を読んでいない人間はついていくのが大変だった。
読む順番を間違えた。
だけど、確かな論拠をもとに続編を予測したのはすごいし、まだカラマーゾフの兄弟を読んでいない人間にも、物語は様々な複線を帯びていて、壮大なことになっていることが伝わった。
さて、まずはカラマーゾフの兄弟を読もう。
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光文社はこれまでの出版業からして二流出版社の印象だったが、古典新訳文庫は画期的な企画であったし、なかでも『カラマーゾフの兄弟』は大いに話題となった。ドストエフスキーにも『カラマーゾフの兄弟』にもお座なりな関心しかなかった私が、この機会にと読み出したわけだが、第3巻の途中で他の本を読み始めてどこに置いたかわからなくなってしまった。2年ほどの放置ののちようやく発見し、一気に読了した勢いでこの本まで読んだ。『カラマーゾフの兄弟』を読んだら是非あわせて読んで欲しいと思う一書である。
『フョードル・カラマーゾフ殺人事件』としての『カラマーゾフの兄弟』は何とも俗っぽい話で、第3巻後半のミーチャが事件を巻き起こす下りは、てんかんを病む作家のイントラフェストゥム的喧噪がよく出ていたが、正直、下らない男の下らない話である。背景に仕掛けられた、神の存在・不在といったテーマもいまやそう琴線に響くものでもない。
ところが第5巻では、ドストエフスキーの生涯と全体の解題がたっぷりあるので、『カラマーゾフの兄弟』に続く第2の小説の存在、そしてそれが皇帝暗殺を一つのテーマとするだろうという話から『カラマーゾフの兄弟』が逆照射されることで、めくるめくほど深みを増すことがわかった。私にはそれはソヴィエトのスターリニズムに続く絶望的な社会の有り様、さらには現代のテロルにも通ずるものとして、にわかにドストエフスキーが同時代人となった様に感じられたのだ。『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する、という題名を付けた著者は「空想」と謙遜しているわけだが、ドストエフスキー自身の序文、同時代の証言、『カラマーゾフの兄弟』中の伏線と思われる箇所などを資料とし、しっかりと根拠を追っているので、空想どころではなく、続編を推理するミステリーの趣がある。
『カラマーゾフの兄弟』と同じ四部+エピローグという鋳型に収められた続編の亀山版シノプシスは私には恐ろしく説得力があるものに感じられた。亀山氏には、定年退職してからで結構なので、続編を贋作していただきたいと思ったほどである。(『新カラマーゾフの兄弟』がその期待にこたえるものになっているかどうか、私はまだ知らない。)
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読書会に向けての参考資料となるかと考えて、図書館より借りてみた。しかし、あまりにも酷い内容で驚いた。記述の大半が論拠希薄な空想・妄想のオンパレードである。またキリスト教への下品な偏見も散見される。本書で展開されている自説を補強するために原文改竄したのかと疑いたくなるような珍訳・奇訳まで散見される。「カラマーゾフの兄弟」の内容理解を深める助けには全くならなかった。
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19世紀のロシアを代表する作家ドストエフスキ-(1821-1881)が『カラマ-ゾフの兄弟』の完成からわずか3ヶ月足らずして他界 ▷1880年の末、首都サンクトペテルブルクでの噂「続編では、アリョ-シャが皇帝暗殺の考えに憑りつかれるそうだ」 ▷アンナ夫人の証言「単行本刊行後、二年ほど休息し<第二の小説>に取り掛かる心づもりでした」 ▷著者の「序文」によると「第一の小説」は「13年前の出来事」であり、「13年後の出来事」は「第二の小説」で扱われることに ▷翻訳者の亀山郁夫氏が「未完の小説」の続編を再現する。