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2008/2
別に東大生と限る必要はなかったと思われるが、情報として集めた資料が東大生を対象としたものなのなので仕方が無い。
明治期から現代までの大学生の読書事情、とくに図書館の利用法や大学の講義事情などが書かれていて、興味深い。
ただ、タイトルから書評的なものかとも思ったが、そういう類の記載はほとんど無い。
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どんな本を読んできたかというより、東大の学生がどうやって困難な時代に書籍を入手して、学んでいたのか、ということは感動的。東大生協の前身、学消赤門支部は一般業者が学内で暴利を貪っている状況(学外よりも価格が高かったらしい)を打破し、学生自らが出資して作った団体。業界の常識に挑戦し、書籍や古書を通常よりも安く学生に届けた。ただ安くということではなく、学生の求めている書籍を、見方によっては非合法といえるかもしれない手段で入手してきて、学生に届ける。そういう学消を学生は支持する。「学生は学生の店へ」のスローガンがまぶしい。
「読書」についても、面白いというか、ある意味書籍人にとっては幸せな時代だったし、今でも幸せな場所なんだろうと思う。「50-60年代は学生とは本を読むもののことだった」「60年には、本郷・駒場合わせて毎月平均で「世界」240部、中央公論」150部・・・が売れていた。」。90年代になっても「7冊から9冊程度の本を毎月購入している。」。2000年の調査においても、新入生へのアンケート調査で入学から11月下旬までにの「8ヶ月間に読んだ本の平均は78冊で、内コミックが36冊・・・」。書籍もコミックも、東大生は貪欲に読んでいることが判る。まだまだ、飛ぶように本が売れるんだろうなー。
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タイトルの「新書っぽさ」で敬遠せずに読んでみるといいかも。明治から現代までの東大生の読書史を記述。ただ、その読書のあり方と切り離すことのできない社会情勢との対比もしっかりとあるので、個人的には「読書史」という矮小化した形でなく、読書から覗いた「日本現代史」といった趣のほうが強く感じられた。
「東大生」と言うものの、我々が一般に「大学生」というときの理想像がここに凝縮されていると思われるので、所謂「若者論」と組み合わせて考えられそう。
かつての東大では、共同的な読書文化が形成されていたが、70年代の学生運動の失敗を契機に、哲学・左翼思想への期待感が薄れ現代では「孤読」化が進んでいるという。そこからもう一度共同性を復活させるための手段として「読書マラソン」のようなものが在るという。
左翼思想全盛期は「読むべき本」の序列が決まっていたし、寮文化の中で後輩へと受け継がれる読書の在り方というのが存在していた。現代はそういうものが無くなり、「何から読むべきか」という選択が困難な時代だそうだ。
本論でも書いてあったが、コンスタントに読む層と全く読まない層の分化が激しいので、一個人としては全く読まない層は脇において、自分の手で「共同性」をゆるい形で担保していく方が合理的だ、としか感じない。
著者は80年代において大学生を始めとする若者文化発信の担い手であった「ぴあ」や「東京ウォーカー」のような情報媒体がネットの登場で衰退していくことを危惧していたが、読書の共同性の回復という観点で言えばネットは寧ろ利点がある。
「孤読」化は確かに進展しているが、それの集積装置としてのネット読書会という営みは著者にとっても有益であるに違いない。
あとこの手の本を読んで安心?するのは、東大生も大衆化のはるか前の昭和初期から「最近の東大生は馬鹿」と言われ続けてきたということを知るとき。
あいにく私は東大には本郷に一度だけしか行ったことがないのでさっぱりだったが、現役・OBの東大生の人からすればとりわけ書中で記述されている明治〜昭和初期にかけての古書店の風景は現代とのリンクで読めるはずなので、面白いかもしれない。
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明治時代から130年にわたって、東大生の読書状況について書いた本。
基本的に面白くない本だったと思うのですが、3色ボールペン読書の練習だと思うとさくっと読めました。それとも実は読みやすいのかな。
昔の東大生は意識高い。刺激はされます。
昔は今以上に貧困が一般的だったらしい。そんで富裕層階級としての東大生はある種の使命感を感じていて、その結果、東大生は使命感だかく運動が盛んだ、という様子だったと解釈した。
今、大学生ですが、正直大学を変えようとかそういう気概を持った人は、引かれてしまうような状況。
大学生が大衆化した結果だとも述べられていた。
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2012 9/21読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
以前からずっと読みたいと思っていた、読書史の本。
東大創立以来=明治初期~現代、特に1970年代ころまでを中心に、東大生=学生階級の読書環境・空間・習慣の歴史を紐解く本。
図書館も当然、出てくる。
むしろ序盤は図書館史によるところ多し。
設立当初~戦後ある時点まで確かに存在していた、読者集団の中心をなす学生読者による、共通の読書基盤(読書会を開いたり「これを読まねば・・・」というような体系の存在)についての記述が大半をなす。
終盤ではそれがいかに崩れたか、という話になるのだけれど、やはりこの本のメインは明治・大正・昭和中期あたりまでで、それは歴史的な話をするなら当然現代はしにくいのでそうなるだろう、とも思ったり。
また、本人もむすびで述べているが、マルクス主義の影響の強さも感じられる本であった。
と、一読しての感想は以上なんだけど、そういう知識的な部分のほかに、この本がどういう研究方法に基づいて成り立っているかという、方法論的な部分にも興味があるので。
また再読する必要があるかも(ちゃんとした歴史のトレーニング受けろよって話かもだが)。
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教養と言われていたものを形成するために東大生がどのような本をどのような時代に読んでいたか。様々な時代背景がある中で、本の価値や使い方も大きく変わって来ていると感じる。今は漫画や村上春樹が東大生でも主流となっていると本書では述べている。これを嘆く声も大きいが、一辺倒に否定せず、これらを通じたコミュニケーションへと役立てたいと思う。