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孫子と戦争論の比較から戦略の用い方について記されている本。
正直孫子の方が優れている感じは否めない、、
ただ、孫子の入門として分り易く
現代への当てはめ方の考察は良い。
歴史が好きな僕は楽しみながら読めました。
◆孫子 紀元前500年頃、孫武という武将が著す
日本は縄文から弥生に移り変わる時期
◆戦争論 19世紀初頭、カール・フォン・クラウゼヴィッツが著す
◆百戦百勝は善の善なるものに非ず
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり
◆必ず全きを以て天下に争う
◆不倶戴天
ともにこの世に生きられない、生かしてはおけないと思うほど恨 み・怒りの深いこと
◆ゼロサム、トレードオフの関係
◆戦争の法則 相互作用、両極性、偶然性
◆勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵にあり
善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり
◆兵は拙速を聞くも、いまだ功の久しきを睹ざるなり
◆要諦
◆その道を迂にして、これを誘うに利を以てし、人に後れて発し、人に先んじて至るこれ迂直の計を知る者なり
◆囲魏救趙
◆休憩で相手の流れを遮断
◆アサヒの戦略 勝ち癖
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書評は
http://www.algorism.jp/review/20101214191216.html
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東洋戦略論のバイブル『孫子』、西欧戦略論の古典クラウゼビッツの『戦争論』、洋の東西を通じて戦略の活用に関する原理原則を導き出した本です。
『孫子』と『戦争論』には、いくつかの矛盾点が見られます。たとえば『孫子』では、詭道と呼ばれる騙し合いを肯定しているのに対して、『戦争論』では実力を磨いた上での真っ向勝負を推奨しています。中国が権謀に渦巻いていた、あるいは西欧が騎士道精神に溢れていたという違いなのでしょうか。
この本では、それは立場の違いであると看破しています。『孫子』を記した孫武が呉の武将として政治家としての戦争に至るまでの駆け引きの側面を持っていたのに対し、『戦争論』のクラウゼビッツは職業軍人であり、実際の戦闘における決着をいかにつけるのかにフォーカスしているということです。つまり現代社会でいえば、『孫子』=経営者向けの戦略論、『戦争論』=現場マネージャー向けの戦略論 といったすみ分けになるでしょう。そうやって考えて読むと、どちらも非常に機智に富んだ内容として理解できるようになります。
個人的には、ヤマダ電機の首都圏店舗戦略を思い出しました。ヤマダ電機は池袋のビックカメラのすぐ近くに店舗を開きました。ヤマダ電機の店長クラスからすれば、この池袋店での売上げや利益を上げていくのは値引き合戦などもあってなかなか難しいでしょう。恐らく、負けない=不敗の状態を保つのが精一杯だと思います。でもヤマダ電機の経営者から見れば、ライバルであるビックカメラの本拠地に脅威を与えておけば、自らの収益源である地方のロードサイド店舗にビックカメラが進出しづらくなるというわけです。そうするとヤマダ電機の経営者としては、必ずしも池袋店で収益を上げる必要はなくなってきます。
多くの企業において、社長=プレイングマネージャーとして経営者が営業の最前線に立っているケースが散見されます。しかし、それぞれの立場によって採るべき戦略は必ずしも同じではなく、むしろ別の人格での判断が要求されます。戦略論の限界というのは、やはりそれを使う人に依存するということなのでしょうね。
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自分は孫子に関して、随分とひいき目で見ていたところもあったので、
クラウゼヴィッツの戦争論と対比させて読むと、奥が深いなと思った。
それでも、孫子の考え方は好きなのですが。
現代で活躍される人の著書からの引用も多く、
戦略に関して、あらゆる角度から考えることができる。
また、最後のまとめも、その通りだ。と納得させられた。
僕が読む限り、隙の無い本。
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判りやすい文章で、各章も短くまとめられているので読みやすいし、再読もしやすいと思う。
クラウゼビッツと孫子がが似ているからこの本が出来上がったと思って読み始めたが、どちらかと言うと孫子に主点をおいてクラウゼビッツを対照にして書かれているように感じた。
クラウゼビッツはすでに上、外部から定められた戦いにいかにして勝つか、一点突破的戦術志向だが、孫子はその上の大局的観点から、戦う意義、戦う場合の勝ち方、その後の展開まで含め視野にいれているところが違うところ。
孫子の見方をすべき ととらえられがちだが 追い込まれたらすべてを集中してその突破に専念すべきというところなどはクラウゼビッツに学ぶところがある。
孫子はいかにして「最終的に勝つか」( たとえば7勝3敗でも、勝ち越し)の方法論、決して全勝ばかりを狙うものではないという説き。 クラウゼビッツは、目の前の戦いにいかにして勝つか を説いているように感じた。
そういう意味では孫子が経営者によく読まれるという理由もわかる気がする。 日本が縄文、弥生時代だったころにこの様な記録を残している中国史の奥の深さには驚きを感じる。
各章が短いので、あとからちょっと時間のあるときにポツポツと拾い読みできそう。