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先日、この戦いの詳細をテレビで見たので、子供が興味を持ち借りてきた。
加来先生の解説の通り、「中世の騎馬戦法VS近世の集団戦法」で、その後の戦い方が変わったのだから、この戦いもひとつの天下分け目の戦いだったんだろう。
それにしても、鳥居強右衛門の行動は、磔の様がその後旗印にもなったくらいだから、籠城者に勇気を与え、多くの武士達の心に深く刻まれたのだろう。
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信玄亡き後の武田家の凋落を決定付けた
「設楽が原の戦い」にテーマを絞って描かかれた漫画です。
話自体は信玄が死んでから3年経過して、
跡取りの四男・四郎勝頼が正式に跡目を相続したところから始まります。
信玄の悲願であった京への上洛を遂げるためには
途中の道を塞いでいる徳川家・織田家をどうしても倒さねばなりません。
また、正式な後継ぎとなったことを内外に示すためにも
勝頼は積極的な軍事行動を展開し、領土を接している徳川家康と、遠江で干戈を交える。
勝頼の圧力に単独では抗しえない家康は
同盟者の信長へ救援を要請し、
ここに織田・徳川連合軍と武田家との一大決戦の気運が高まる。
しかし、織田・徳川連合軍が3万人を超える大軍であったのに対し、
武田家は半数の1万5,000。
上杉謙信・北条氏政に背後を囲まれている勝頼は
どうしても甲斐・信濃に抑えの兵を置かねばならず、
武田家の総力を結集しての決戦というわけにはいきません。
第1章 長篠城攻防
第2章 強右衛門磔死
第3章 設楽原築城
第4章 決戦設楽原
第5章 織田・徳川・武田-その後
長篠・設楽原の合戦をもっとよく知るための基礎知識
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武田信玄の後継者の勝頼と徳川家康が、三河・遠江めぐって争う中、勝頼が三河の長篠城を攻めた。劣勢の家康は織田信長の援軍を要請して城に立て籠もっていた。織田・徳川の両軍は、設楽原で陣を構えた。織田側は、鉄砲を使った戦いで圧勝して武田は滅んだ。