紙の本
佐藤優の 青春記
2007/12/08 17:39
11人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨年末に「獄中記」を読んで以来 この一年は佐藤の本が出る度に すぐ買う日々が続いた。本書もその流れで購入し 一気に読み終えた。
考えれば考えるほど 佐藤という人は 今の日本の言論界では突出した人である。僕の狭い知見で見る限り 佐藤に対する表立った批判は殆ど無く 完全に時代の寵児である。
佐藤のような経歴と はっきりした物言いを考えてみると 幾らでも反論異論の余地があるような気がするのだが それが出てきていない。
やはり 佐藤の経歴に圧倒されてしまうのだと思う。
神学科でキリスト教を学んだ後に外務省にノンキャリアで入省し ソ連崩壊のモスクワで人脈を駆使し 帰国後は 鈴木宗男と北方領土に取り組み、鈴木宗男の失脚と同時に「国策捜査」にて入獄し 512日もの牢獄生活を 膨大な読書で過ごし 保釈後は 次々と著作を世に問う。
敢えて 長く一文で書き出してみたが こんな経歴の方は 最近では他には見たことがない。
特に 牢獄生活を強いられた知識人などは ここ30年程度余り無かった話だ。佐藤に批判異論がある人も 相手が かような獄中期間に 検察と対峙しつつ 悠々と 哲学や宗教を耽読してきたという部分だけで 位負けしてしまっているのではないかと思うことすらある。
本書は佐藤の「青春記」である。相変わらず キリスト教には疎い僕には 知らない人名も多い。但し これを読むことで ようやく佐藤の「獄中記」の背景が見えた気がした。というか 獄中で行ってきた読書や思索は 佐藤の大学時代の生活の延長にあったことがはっきり分かった気がした。彼は獄に入ったことで読書家・思索家になったわけではなく 読書家・思索家が 獄に入っただけの事なのだ。
しかし 凄い方である。
投稿元:
レビューを見る
佐藤優さんが1975年に浦和高校に入学して、85年に同志社大学大学院神学研究科を修了するまでの回顧録みたいなもの。マルクスを通じてこの世界を描写すると29項に書いておきながら最後のページには「私にとってマルクス主義は行動の規範にならない。行動の規範はあくまでもイエス・キリストである。」と書いている。本を全体的に眺めてみてもマルクスではなく、あくまでも神学について書いているような気がする。誤読したかな? 専門的なところは難しくてわからないけど、佐藤優の高校入学から大学院卒業までを描いた青春小説としてはすごくおもしろい。この人の人格形成が何に拠っているのかがよくわかる。読んでる本の質が違いますからね。デカルト、パスカル、ヘーゲル、ハイデッガー、フォイエルバッハ、マルクス、フロイト、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、ホルクハイマー、トマス・クーン。博覧強記とはまさにこの人のこと。この人には遠く及びません…。印象に残った言葉を一つ挙げるとすれば堀江先生のこの言葉、「本当に好きなことをやって食べて行くことができない人は、私が知る限り、一人もいません。ただし、ここで重要なのは本当に好きなことでなくてはいけません。中途半端に好きなことでは食べて行くことができません。」(110項) とはいえ、それを見つけるのがどれだけ大変か…。
投稿元:
レビューを見る
元外交官の思想的自叙伝。『国家の罠』を読んで彼のユニークなキャラクターに興味を持ち、この本を手に取った。その他にも、彼が在学した同志社大学のある京都が舞台であり、マルクスの「資本論」や「学生運動」など、イデオロギーが社会と連動していた時代の雰囲気を知りたい私の琴線に触れるキーワードがたくさんあったのも理由だ。
彼のユニークなキャラクター形成には、これらのことが多分に影響しているようだ。特に同志社大学神学部で専攻した東欧のキリスト教神学が、彼の思考法やその後の外交官としての働きを決定づけた。キリスト教文化への理解は、キリスト教世界の人々との信頼を育み、世界の扉を開くことがよく分かる。
当時の大学生活のエピソードもおもしろい。私は京都生れなので、エピソードの中に京都の地名が登場すると、自分の記憶を辿りながら親近感をもって楽しむことができた。
投稿元:
レビューを見る
「私のマルクス」ということですが、マルクスについての本ではなく、帯にもあるように若き日の思想的自叙伝になります。また、「私のマルクス」というよりも「私のキリスト」というタイトルの方が内容的には合っているような印象です。いずれにしても『国家と神とマルクス』という本を上梓しているように、このテーマは彼がずっと関わっていくテーマ群なのでしょう。自叙伝に寄せるのではなく、もっと本気であたって深堀りをしてみせてほしいところです。(自叙伝はそれとして面白いですが)
佐藤さんは、高校生時代(1975)に東欧の一人旅をしているのですが、その辺からそういう発想が自分にも家族にもなかったですね。私も学生のときに共産圏崩壊後数年の東欧を一人旅をしてみたのですが、その頃もまだまだビザ取得など大変でしたが、それでも佐藤さんが行った頃とは随分と違っているように思います。もちろん今はもっと違っていると思いますが。
大学時代の話は、自分の学生時代と比べて、これが大学生という同じカテゴリーだったのかと思うほど、勉強含めて密度の濃そうな生活を送っています。学生運動などは、実感としてまったく理解できないところです。
またこの本では、佐藤さんの精神的バックボーンとしてのキリスト教というか神の信仰がよく分かります。こういった類のどこか芯の強さを持っている友人が、実はクリスチャンだったということは数度あります。自分として神がいるという概念自体全く共感することができないのですが、そういう場合には、ある種の敬意は持っておきたいと感じるところです。
自叙伝としては、今回が学生時代までで、外交官時代の話については別に出る(続編?)ということです。それも楽しみに、ということで。
投稿元:
レビューを見る
著者の青春譚。県立浦和高校から同志社大学神学部、同大学院を経て外務省入省へと進む、著者の大学院までの自伝。
高校入学後の東欧・ソ連旅行に始まるマルクスとキリスト教への傾斜、学生運動への関わり、プロテスタント入信など自己の告白。交友・師弟関係の中で著者は如何に行動し思索したか・・・希有な知性形成を窺い知ることが出来た。
題名は出版元の営業的理由だろう。内容は著者の思想の萌芽、恩師の多彩さを良く理解できるものとなっている。チェコの思想家フロマートカ、経済学者宇野弘蔵への造詣が深い。
投稿元:
レビューを見る
拘置所時代、外務省ロシア時代、ときて、高校の終わりから大学時代にあたるこの作品へと読み進んだ。マルクスの解釈は、こういう読み方もあるんだなあということで、ともかくとして、当時の運動の状況などがわかっておもしろかった。あと、神学部がどうなっているかの一端(いまは状況が違うのかも知れないけれど)を知れてよかった。けれど、この人はカリスマ性があるのかもしれなけれど、肌の合わない人とものすごく揉めるとか、悩むとか、落ち込むとか、人に相談するとかいうことがないのかというか、そういうことは書かないんだなあと思った。
投稿元:
レビューを見る
カール・マルクスの両親はともにユダヤ教のラビの家系。共産党とは別の神学とマルクスのつながり何て初めて知らされた。そもそもマルクスの資本論なんて難解そうだぐらいのイメージしかなかったから、経済入門にマルクス入門書でも読んでおかないといけないかと感じた。
佐藤優は鬼才だと思う。本書の内容も半分以上理解不能だった。
投稿元:
レビューを見る
佐藤優の高校入学から、外務省入省までの自叙伝的な小説。後半2/3の、同志社大学神学部入学以降は、「同志社大学神学部」と重なる点も多い。
高校1年生でヨーロッパから、東欧を旅行したところから、同志社で多くの人との関係の中で、鬼才の才能を少しずつ発揮していく様がわかる。それにしても、本当にアカデミックなことが好きな人間であると同時に、本質を見抜きたい願望が強い方なんだと思った。なかなかここまでの人には会ったことがない(というのが、自分の限界でもあるなと感じていますが)
登場人物の人間としての弱さが、さらっと書いてあるのが非常に心が惹かれた。人間は、立場はともかく、このような生き物なのかもしれないと思う。
投稿元:
レビューを見る
佐藤さんはよく考える。
よく勉強する。
よく覚えている。
いろいろ考えはするけど ここまで勉強が続けられるひとは
あまりいないと思う。
読書にしても 著者と対話ができているというレベルまで読み込むのであろう。だからこそ
誰の思想がどうなってという抽象的な話も
身につくのだと思う。
マルクスや無神論はともかく
知的営みはこうあるべきといった
姿を具体例として示してくれている
好著。
私も頑張ろうー!
おーっ!
投稿元:
レビューを見る
マルクスの経済分析は普遍だが、全ての社会がプロレタリアート独裁の共産主義に移行するという点には同意できないってことやな。
投稿元:
レビューを見る
氏の高校から大学院にかけての自叙伝。
どんな少年時代をおくったら、高校生で資本論を読みこんで、自分の意見を持つことができるんだろう?
こんな人が身近にいたら、ものすごく影響を受けるだろうなぁ…