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大好きな映画の原作。
原作はどうなっているのか、気になって。
短編も蜜の味がしますが、ここから映画に広げたアン・リー監督の才能に圧倒される。
そして、うらやましいほどの想像力と創造力。
あんな監督と同じ時代に生きていることの喜び、
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08年映画公開と同時に張愛玲作品が文庫で出版された。
このこと自体は大変うれしいこと。
「ラスト・コーション」(色・戒)ももちろん名作だが(しかし映画には不満あり)、わたしはやはり「愛ゆえに」(多少恨)が好きだ。
これは張愛玲が書いた「不了情」(尽きせぬ思い、1947)というタイトルの映画の脚本をノベライズしたもの。
いまこの映画はDVD化されて中国で販売されている。映画を見ながら本作品を楽しむと、魅力がさらに増すに違いない。
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フェミニズム小説と言えるのだろうけれど、そこからいつも頭を突き出している様な所が私が特に著者を賞賛する理由。さらに『色、戒』ではもう全身飛び出している。
私がふと思ったのはウルフによるシャーロット・ブロンテ批判。女性側から描かれたもの、女性の抗議、として優れているだけでは駄目なんだ、そうしたものを超えた、シェイクスピアの様な普遍性で書かれた文学が、女性によってものさなければならない。それが出来たのはブロンテではなくオースティンなのだ。うろ覚えだが、そんな論旨。
そういう意味で、著者にはオースティン的な高さがあると思う。『色、戒』にはそれが良く現われている。
男女が触れ合えるのは、お互いに焦点が合うのはほんの一瞬。でも人はついその一瞬の邂逅の為に全てを犠牲にしてしまう。何の為?そうしたわからないものが本当は人生の多くを占めている、という事に我々は小説でも読まないとなかなか気付かないし、その謎の力へと肉薄すること。それが人間を描くという事なのだ。
これはスパイの話でもあるが、勿論、ペルソナを持つ以上、全ての人間はスパイなのだ。殊に男女の関係において。
そしてまた、何だろうね、この恐るべき凝縮度。ひたすら省略と暗示。日本語にする時点でかなり解凍されて緩んでいるのだろうけど、原文ならとんでもない圧縮物なんだろう。文学というよりも映画技法を研究し、そのまま移し替えたのだと思う。ヘミングウェイとは全く異なった方法で、象徴に封じ込めずに飽くまで具体的に圧縮してくる。
映画版の監督は、オースティンの『分別と多感』を映画化した人でもあるんだね。
私のお気に入りは『愛ゆえに』。映画の脚本を自らノベライズ。初期のラブコメ映画(ルビッチとか好きなのかな?)のベタな魅力をしっかり醸しつつも、どんどん容赦なくなって行く。男のアホさ幼稚さ単細胞さ、甘えに対して厳しさを突きつける。でも男はわかんなくてポカンとしてる。そのへんが凄く源氏的。 読んでいて、男としては、ぐうの音も出ない。
ちょっと当時の実際の映画版を見てみたのだが、映像的にお粗末で残念。これは成瀬巳喜男を思い浮かべて読みたいところ。
全編井戸端会議である『お久しぶり』もなんだか凄い作品。オースティンが生き生きと持っていた生活感・俗な目線、その生命力を著者もまた生き生きと持っている。