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紙の本
苦い希望のために
2008/02/14 09:29
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
雑誌「未来」で1996年8月号から2001年5月号まで22回にわたって連載された哲学的エッセーに、2007年11月現在の書き下ろしを追加した本。ほとんど文学的と言っていいような凝縮された文章で、古典時代の思考を材にとった二十世紀西欧の思考を、時代状況に鋭敏に反応した問題意識で考察、展開する。全面的に展開する生政治と世界資本主義の結託によって、人間的な生の圏域から廃棄される大量の人々と、再生産のシステムの中で奴隷化される人々の出口のない二極分化が進行するこの十年を、むしろ何かの役に立つ(有能)であることをもってその成員の条件と為す「社会」から脱落/逸脱した存在としての「無能な者たち」による共同体を構想することで、ほとんど絶望的な状況に対する抵抗の可能性を見出す、というのが全編を貫く基本的なモチーフとなっている。そのために召還されるのは、主にアガンベンのバイアスの掛かったハイデガー、アーレント、フーコー、ベンヤミンなどの思考である。二十世紀の存在論哲学が、本来当時隆盛を極めていた生の哲学への批判として登場したこと(ゆえにそれらは本来的に死の哲学である)を重視し、その言語論から言語と生の両立不可能性へと論を進め、生における可能なものや潜在的なものの枯渇を「無能であること」の条件に組み入れることによってほとんど実質(実践)的には袋小路に入ってしまったかのような連載分のあと、書き下ろしとあとがきで、その部分を反省し、ジジェクのドゥルーズ論を思考のきっかけに、ドゥルーズ的な「ヴァーチャル」概念を通じて言語と生の接続を予告する、ほとんどドラマティックな展開で終わる本書は、空白と絶望の十年として振り返られることの多い時代を、苦い希望でもって語り直す勇気に満ちていて、地味だがやはり感動的だ。やっぱり知的であること、思考することを抜きにして世界に希望を見出すことはできないってことだなと思う。
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