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安吾は日本観が独特でいいなあと思う。飾らない、うつくしくない日本を愛していたんだなというのは、小説を読んでいても伝わる。
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本書に収められている作品の中では、「桜の森の満開の下」が一番好きな話でした。幻想的かつ幽玄的な世界観、雰囲気に惹き込まれます。独特なリズムを持つ文体も魅力的です。
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角川文庫版の『堕落論』・新潮文庫版の『白痴』に入っているもののみ再読。
何度読んでも<堕落論><続堕落論>は良い…。
<FARCEに就て><石の思い>には泣いた。
矛盾に満ちた愚かな存在たる人間を嫌なほど理解した上で、こんなにももがき続けられる人がいるなんて。
坂口安吾。一人ひとりの事情を肯定したり甘やかしたりは絶対しない、だけどそれぞれに人生七転八倒している姿が人間なんだ…と背中を押してくれるような存在だなぁ。
愛情と憎悪というのは「その感情を抱いた対象に行動を支配されてしまう」という点に関しては全く一緒であって、なので愛情と憎悪は私にとって全く一緒のこと。甘い私は「だから両方いらないんじゃないかしら。」と思いがち。もちろんそんなあり方を望むのは、人間として本当は違うとわかっている。逃げだと知っている。
矛盾や、愛情や憎悪も自分のものと受け入れて、七転八倒してみせろよ!と私に力をくれるのが坂口安吾…、なのかもしれない。
他には、「風博士」「勉強記」「湯の町エレジー」「桜の森の満開の下」が特に好きだった。
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日本の荒れた山賊の話はなぜこんなに魅惑的
桜が咲く前に「桜の森の満開の下」が読みたいな、と思ったのに、読めたのは5月も中ごろという。
「桜の森の満開の下」に「堕落論」「白痴」が入っているものを、となるとこの本になりました。
昔谷崎潤一郎を読んだ記憶があるちくま日本文学です。
堕落論と白痴は学生時代に読んだのですが、当時よりも味わい深く、楽しく読み終えることができました。
読むのには若すぎたのか。最近戦争関係の本を多少は読んだので、心得が違ったのか。
小説と随筆が混ざるなか、「石の思い」「風と光と二十の私と」での学生時代・代用教員の思い出話に沿って出てくる、白痴への思い、堕落への背景。それが戦中、戦後の「日本文化私観」「堕落論」「白痴」に結実するのでしょう。
「桜の森の満開の下」は初めて読んだのですが、芥川といい、日本の荒れた山賊の話はなぜこんなに魅惑的なのでしょう。桜の下に大勢の人が集まるのは、無人になった時の桜の力を怖れるかのようですね。
この作品を読む前と読んでからでは、桜への対応方法が変わってくると思います。来年の春は、一人で桜の下に行けないのでは。
ああ、思い出した。カレカノで出てくる話だ。
(彼氏彼女の事情)
この漫画を読んだ当時に読みたいなと思っていたのに、実際読むのには15年ほど間が空いてしまいました。
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人生の中で衝撃を受ける本は数少ないが、この1冊はその中に入る。坂口安吾のストレートに物を申す迫力ある言葉と華美に羅列される言葉に魅了されてしまう。
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おばあちゃんは坂口安吾と同時代を生きてきたんだなとなんとなく思って、そう思ったら文学がとても身近に感じた。たった50年60年前の日本なのに全然ちがう生活。あ〜でも人間がお金のことと色恋のことだけ考えて生きてるってのは今もそんな変わってないか。これから50年後どうなってるんだろうか。それを知るためにも生活を続けていくのも面白いかもしれないな。
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自伝半分。小説半分。
現代小説と交互に読んでたせいだと思うけど、やはり読みやすさで言えば現代小説のほうが読みやすいなと思った。
「日本文化私観」に生活の便利に則してれば着物を捨て歪曲した足でズボン履いてようが日本文化じゃん?みたいな言説に、なんとなく永井荷風を感じるというか、これは永井荷風も読み直さないと行けない案件だけどちょっと思った。何を読んだ時にそう感じたんだったかな…
筋金入りの偏屈だけど、先生やってる時の話(風と光と二十の私と)読んでると教え子を愛してるし、教え子じゃなくても子供はかわいい。悪童のほうがかわいいみたいな感じで意外といい人なのかもしれないと思った。いろんな所業をきいたあとだからそう思うのかもしれないけど。
「金銭無情」に織田作之助を感じる
成増図書館 ちくま文庫集めてるところ918
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引用
頁五五
「一体、人々は、『空想』という文字を、『現実』に対立させて考えるのが間違いの元である。私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費やしているものだ。人間自身の存在が『現実』であるならば、現にその人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで『現実』でないことがある。実物を掴まえなければ承知出来ないと言うのか。掴むことが出来ないから空想が空想として、これほども現実的であるというのだ。大体人間というものは、空想と実際との食い違いの中に気息奄々として(拙者などは白熱的に熱狂してーー)暮すところの儚い生物にすぎないものだ。この大いなる矛盾のおかげで、この篦棒な儚さのおかげで、ともかくも豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである、人間というものは。
単に『形が無い』というだけで、現実と非現実とが区別せられて堪まろうものではないのだ。『感じる』ということ、感じられる世界の実在すること、そして、感じられる世界が私達にとってこれほども強い現実であること、ここに実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない」
頁三〇〇
「しかし富子はうちの宿六はたしかに本当に偉いんじゃないかと思うことがあった。それはつまり、守銭奴で大酒飲みで大助平で怠け者で精神的なんてものは何一つないというのはつまり人間が根はそれだけのくせに誰もそれだけだということを知らないだけなんだ、といううちの宿六の説が本当にそういうものかしらと思われる時があるからである」
頁三七六
「人間のよろこびは俗なもので、苦楽相半ばするところにあるものだ。置くというものがなくなれば、おのずから善もない。(中略)人間は本来善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っているのだ」
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安吾の代表作をほぼ網羅した編纂本。小説もエッセイも初読の作品が並ぶけど、その作品が作家の体をなした徹底的に現実的な社会史観の語り部としての部分特に面白く読めた。
「続堕落論」の「文学は常に制度の、また、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。」。
日本文化史観の「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである。(中略)必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこに真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似に恥じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。」。
市井の善良な体をとる思考停止に対する冷徹な安吾の声。自分はきちんと思考しているか?いま改めて日本人としてしっかと彼の姿勢を受け止めたい。
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「白痴」だけ読んだ。
現実逃避のために女を匿ったのかなと思った。
あの後、バットエンドにしかならないと思ったけど、主人公はそれを求めていたのかもしれない。
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高校生のころ、日本文化私観の一部分をたまたま読んでから坂口安吾ワールドにどっぷりハマった。
その中でもこの本は安吾の代表作が多く収められており、重宝する一冊。
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「堕落論」「白痴」といった代表的作品ほか、随筆・小説を合わせた計14篇収録(※青空文庫でも読めます)。端々に本人の実体験が織り込まれているため、冒頭だけでは随筆なのか小説なのか捉えかねる作品もあり、書き手自身と切り離さないほうが、より味わえる作家だと思いました。多分に毒を含んだ内容ながら、人間らしさやユーモアが見え隠れする描写で、粗野に感じられないのが不思議です。良い意味で中毒性がありました。
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『新潮』に新発掘の安吾の探偵小説が掲載される、と聞いて読んでみようかと思ったところ、むしろ、今までまともに安吾を読んでこなかったなと思い直してこちらを読んだ。『桜の森の満開の下』くらいしか既読がなかった。
『白痴』『堕落論』『日本文化私観』あたりの迫力がすごかった。『勉強記』などの自伝的なものも面白い。著作はものすごい量だけどもっと読みたいなと思った。安吾、面白かった。
ところで『勉強記』の比較的頭の方に「尾籠な話で恐縮だが」で始まる文があり、どうもこの言葉には三島の日記のイメージが強くて、面白くなってしまった。次は三島を読もうかな…。
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小説やエッセイを収録した坂口安吾の作品集。
坂口安吾というと「アウトロー」のイメージが強いが、現実の生活に根差した作品をユーモラスに描いているという印象。
(戦時下に「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。」と書いていて、当時の体制においては「アウトロー」ではある。)
装飾ではなく必要からくる実質こそがほんとうの美を生むと説く「日本文化私観」、働かない夫にかわり妻が奔走する居酒屋をめぐる出来事を描いた「金銭無常」が特に面白い。
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諸君は偉大なる風博士を御存知であろうか? 御存知じない。それは大変残念である。
そして諸君は禿頭以外の何者でもない彼を御存知であろうか? ない。
嗚呼、それは大変残念である。
諸君、彼は禿頭である。しかり、彼は禿頭である。然るに、禿頭なのである!