ラジオという新しく登場したメディア発展のガイドブック。
2010/01/24 23:28
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高嶋米峰、友松圓諦、松下幸之助、松岡洋右、下村宏というラジオにかかわった五人の人物の評伝に近い形でのメディア論だが、著者の年齢からして、真空管ラジオとは無縁の世代がラジオという新しいメディアが果たした役割を述べているところが斬新だった。
表題に戦争責任という言葉があるために、ラジオ放送やラジオ製作にかかわった五人を糾弾する内容なのかと思いきや、そうではなく、淡々と事実を列記しているので読みやすい内容になっている。
ラジオ放送という新しいメディアを日本人が受け入れていった背景が、プライバシーの無い住環境であったこと、情報を共有する社会であったことを提起しているところに、視点の新しさを感じる。
毎年、終戦記念日にはお馴染みの昭和天皇の玉音放送を耳にするが、あのラジオ放送の仕掛け人である下村宏を第五章に持ってきたのが良かった。その前の第四章に松岡洋右を持ってきているので、なおさら、インパクトが強い。
できれば、ラジオ放送を最初に企画した後藤新平も入れたらば、日本という国がラジオ放送をどのように拡大発展させ、どのように国策に利用しようとしていたのかが分かって良かったのではと、少し残念。
また、出身地の山口県以外にも東京青山霊園に松岡洋右の墓があるが、ここで、彼が意外にもクリスチャンであったことが分かると、国際連盟脱退の演説で十字架のキリストを持ち出した思想の背景もうかがえて良かったのではと思う。
いずれにしても、インターネットの登場で新聞、ラジオ、テレビなどの媒体の在り方が再検討されているが、その資料として一読しておいても損はないのではと思いました。
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2008/3
これは着眼点が非常に面白かった一冊。内容は少し偏っているものの、戦前のラジオと社会について、5人の人物とラジオ放送の関係を述べている。メディア論の本ともとれるが、やはり戦前の歴史についての記録として捉えるのがいいと感じる。
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戦争責任問題云々よりも、ラジオ、演説に関わった昭和の要人ひとりひとりにスポットを当てたある意味伝記的な構成になっているので、読みやすいと思います。
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小学校を中退して丁稚奉公に出た松下は、勉強したくてもできない境遇にあった。日々、様々な教養を与えてくれるラジオは、松下にとって抱いて寝るくらい愛おしいものだった。松下は受信機を普及させて一人でも多くの人にラジオ放送を聞いてもらうことを自らの使命とした。
英語で堂々と日本の立場を語る松岡の姿は日本の聴衆にとって頼もしい限りだった。
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[ 内容 ]
なぜ当時の国民は太平洋戦争を支持したのか?
この根本的な疑問に答えるために、本書では、戦前戦中のラジオ放送にかかわった五人の人物を取り上げる。
労働=修行の思想を説いた高嶋米峰と、それを引き継いだ友松圓諦、受信機の普及に情熱を燃やした松下幸之助、「大東亜共栄圏」を広めた松岡洋右、玉音放送の真の仕掛け人・下村宏。
これまで見過ごされていた「声の文化」の歴史的影響力を真正面から検証する。
昭和天皇の「終戦の御聖断」の内幕も新資料から明らかに。
当時世界最強のマスメディアの功罪。
[ 目次 ]
序章 世界最強のマスメディア・日本のラジオ
第1章 「超絶」の演説家高嶋米峰
第2章 時代の寵児友松圓諦
第3章 熱意の商人松下幸之助
第4章 希代のラジオ扇動家松岡洋右
第5章 玉音放送の仕掛け人下村宏
終章 昭和初期ラジオの功と罪
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僕はテレビを観る事よりラジオを聴いている事の方が多い。家の中で、車の中で、山歩きの相方に、楽しんでいる。いつ頃からラジオを聴く様になったのだろうか、時は小学校4年頃か、あの頃子供から大人まで流行りに流行ったBCLがキッカケとなり、実家にあったラジオのツマミを左右に回しながら、あっ、北海道のだ、東京のだ、九州の放送局だと、一喜一憂していた。その内、自分専用のラジオが欲しくなり、当時一番の性能を誇った、ソニーのスカイセンサー5800をお年玉で買い(すぐに5900が出て泣く事になるが)、内蔵アンテナを高々と上げ、海外の日本語放送にチャレンジ、ベリカード集めに奔走した。海外の放送を聴くのは飽きて、深夜放送を聴き捲った。大学に進む頃、再び遠方の局を聴くのに凝り、車の運転をする様になってからは、一日中飽きる事なく今に至っている。そのラジオが戦争の道具になったのを覚えたのは、5年生の頃。その頃からか、或る程度、本を読む様になってから、其の手の文献を漁る様になり、現在に至る。さて、この本の内容は如何に?で、感想は。創世紀に、というか、これは今現代の話では無くて、放送局が一局しかなくてそれが国のプロバガンダ局である場合、それが正しいかと云うと?だ。唯、そういう時代があったからこそ、今が或る。国敗れて山河在りなのだろうと、今、思う。こうして、自分の意見を堂々と云える社会となったのだから。
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「教養主義の没落」→「テレビは日本人をバカにしたか」→「テレビ的教養」→
題名と一致しているのは前書き、序章、終章のみで、内容も一般論であると思う。本当の内容は戦前から戦中にかけてラジオに関わった4人の人物史である。特に玉音放送に関わった内閣情報局局長下村宏があの明石元次郎から諜報の一切を教えられたという話は興味深かった。現在、著者はその下村の伝記を執筆中という発売されたらぜひ読んでみたい。