紙の本
あとで思い出すのはこんな日常だ。
2008/05/11 19:00
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の世界は少しざわざわした雑踏の中にまるで自分も存在しているかのような錯覚を覚えてしまう。
ヤキトリの屋台で、ライブ会場で、ランチタイムのイタリアンの店で。
俯瞰のような一体感。そんなものがあると思った。
物語は主人公・実加の目線で描かれるが、同時進行で他の登場人物の気持ちも覗くことが出来る。
登場人物は多いのに圧迫感がない。混乱もしない。
さらりと読めてしまう。
実加が企画した『女の子カフェ』の場面は秀逸。
一部屋に入れ替わり立ち代わり女の子が登場する雑多な感じが伝わってくる。他愛のないお喋り。だらだらと流れる不思議な時間。
決め台詞はないけれど、ふとした時に思い出すのはこんな場面で耳にした何気ない会話のひとつかもしれない。
同時収録の2話も群像劇だ。
『ブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ、レッド』のタイトルを見た時、思わず『きょうのできごと』を見直してしまったがよーく見たら色の配列が違っていた。
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もう少し。もう少し。
おとなしいからなにか起爆剤がほしい。
「ブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ、レッド」はきれいでみとれる。
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あいかわらず、情景をカメラのように描く。最終話の「ブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ、レッド」は「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」を改題したらしい。こだわったんだろう。
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新刊です。久しぶりに読んで、ゆるやかに時の流れる柴崎さんの文体と主人公たちの大阪弁に、思わず癒されました。表題作他、短編3つからなる本です。(2008/3/30読了)
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「可愛い女の子が、一生懸命可愛いことしようとしてるの見ると、胸がつまって泣きそうになる」
この感覚、わかりすぎる。
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この人の感覚やっぱり好き。ついでに大阪に行きたくなる。そんなにいい場所だと思ってなかったはずなのに。大人になって会社に行って月プレみたりランチしたりROVOのライブみて飲んだり、知り合いの個展に行ったり女の子パーティーしたりする。もう大学生とかじゃないけど、大人としてそうやって毎日を送ってる。この人たちが「六十の半分」になるころは、どんな風に暮らしてるんだろう。作者はもうちょっと年上だから、きっと知ってるんだろうと思う。ライブ場面の「自然の水や砂の動きに似た人の波」という描写がとくに好き。装丁:名久井直子 08.05.04
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2008.5/10-11
「主題歌」がいい。女の子カフェが楽しそうでうらやましい。小田ちゃんの結婚式もよかった。
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表題作を含む3つの短篇集。
ゆるい大阪弁が心地よいです。
みんな個性があって、そこが「かわいい」んだと思います。
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素朴。
とても素朴。
今までの柴崎さんの作品も
ありふれた日常の一片を描き出していた感じだったけど
これはさらに輪をかけて日常というか。
物足りないと言ってしまえばそうかもしれない。
今までよりも、なんか物語に不思議さを感じた。
出てくる人物たちの個人的感覚が強い。
それぞれの『自分にしかわからないこと』
でも視点が客観的なところがまた面白い。
*主題歌
*六十の半分
*ブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ、レッド
の三編。
私は最後のブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ、レッドが一番好きかな。
感覚が一番わかった。
でも個人的には過去の作品のほうが好きです。
今回はちょっと自分のポイントからはずれた感じ、かな。
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何てことはない、日常の女の子の会話が実に上手い。だからこそ、今この一瞬が実にいきいきと輝いているように感じる。この一瞬、時間を大切にしなくてはと思えてくる作品です。ここに登場する女の子は、全員可愛いのです。歌の場面では、こちらまで感動してしまいました。あの時が何と輝いていたことか。日常を切り取る手腕はなみたていではない並大抵ではない。上手い作家さんですね。そして、大阪弁も実にいい味です。また、お気に入りの作家さんができました。
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好きな作家だけれど、何だか伝わってこなかった残念な読み応え。描写はいいけれど、もうちょっと深みを持たせてほしかったような。よくわからなかったなぁ。間延びしたような空間使いはいいのだけれど。
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ただ、かわいい女の子やきれいな女優を見ていると、それだけで幸せな気持ちになるし、そのことについて話すのが楽しい。「女子好き」な女性たちのみずみずしい日常の物語。
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あまり おもしろくなくて
途中でやめてしまいました。
期待していたのだけど ちょっと残念でした。
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「テーブルの真ん中に置かれた赤い花は、来たときよりも少し開いていた。窓の外に見えるものは夜の空だけだった。」
柴崎友香の小説は出版の度、ほぼデビュー時から追いかけて来ている。出される度、その淡淡として一瞬で消えてしまいそうな彼女の文章をできるだけゆっくり読むことを意識して来たように思う。それは逆に言えば、するすると読んでしまいたい衝動をこらえながらの読書であったとも言えるものだ。それがどうだろう、この「主題歌」を読み進める速度の無意識のうちの遅さは。特に自らにブレーキを描けることもないのに、意外な程に先へ進んでいかない。不思議な感慨に襲われる。
元々、柴崎友香の小説には、一気に読んでしまっても何かがずしりと残るという類のものではないと思う。むしろ何気ないように見える風景の変化や描写が、けっして決定論的ではない物語の流れをうまく掬い上げているところを読み落とさないように注意していないと、口に入れた瞬間に解けてしまう泡菓子のように手に取ったという感覚だけを残して跡形も消え失せてしまう危険すらある。それでいて「ジャームッシュのようだ」という保坂和志の評にあるような深い印象を残す文章が、彼女の、そして彼女にしかない特徴であると思っている。
恐らく「主題歌」において、物語のながれにおける抵抗感の無さは更に先にいってしまっているのではないか。水の中に一滴だけ絵の具をたらして作った色水で、限りなく透明に近いようでいて読む人ごとに色合いが変化してしまうような風景を柴崎友香は描き出し始めたのではないか、という予感がする。ダウン・バイ・ザ・ローからナイト・オン・ザ・プラネット、コーヒー&シガレッツへの変化のような。
もしくは、それは柴崎友香の迷いのなせるものなのだろうか。何か意図的でない、物語性を意識することのない小説を書いてきたことに対する迷い、あるいは意図的でないことを意図して書こうとするアンバランス。いずれにせよ、本書の柴崎友香は、ぽつりぽつりと短いブレスを取りながら語っている印象が残る。
自由に、受け取った刺激をその年齢の彼女が感じたままに描くことを更に期待したい。その先に何が待っているのかが知りたい。
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ほとんど共鳴するものがなかった。入り込めなかった。僕が注意散漫だっただけかもしれないけれど。このまま、このままの作風でずーっと行くのもいいけれど、何か新しいエッセンス、新しいスパイスもないものだろうか、と読みながら感じていた。(08/4/21)