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広河隆一(1943年~)氏は、中国天津市生まれ、2歳の時に本土に引き揚げ、早大教育学部卒。フォトジャーナリスト。フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」を発行する(株)デイズジャパンの前代表取締役。(尚、2018年に週刊文春でセクハラ、パワハラについて報じられたが、極めて残念である)
「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」(NAKBAとは、アラビア語で「大惨事・大厄災」の意味で、1948年のイスラエル建国により、同地域に住んでいた約75万人のパレスチナ人が追われ、難民となった出来事を指す)は、広河氏が40年に亘ってパレスチナを取材した膨大な記録をもとに、パレスチナの歴史と現実を明らかにしたドキュメンタリー映画で、2008年に製作・公開された。
本書は、同映画の採録シナリオ、主な登場人物、解説、メイキング、プロダクションノートなどを収録したものである。
広河氏は、大学卒業後、映画会社の内定を辞退して、1967年にイスラエルに渡り、当時理想的な共産主義共同体を実践していたといわれるキブツに入ったが、入国からわずか2週間後に第三次中東戦争が勃発し、6日間でイスラエルが勝利を収めた。広河氏は、滞在していたキブツ・ダリヤで、イスラエルが建国された際に破壊されたパレスチナ人の村の廃墟を発見したことなどにより、反シオニスト(反イスラエル)的な活動を行うようになり、エルサレムで反シオニズム写真展を開催した後、1970年に帰国、その後は中東諸国を中心に取材活動を続けてきた。「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」は、そうした広河氏の活動の集大成ともいえる作品である。
私は、コロナ禍の前に、プライベートかつ単身で1週間ほどエルサレムに滞在し、エルサレムのほか、公共のバスを使ってヨルダン川西岸地区を訪れたのだが、それは、イスラエル・パレスチナはある意味で世界の縮図であり、世界のことを理解するためには、その土地とそこに生きる人々について、自分の目で見、肌で感じる必要があると思ったからである。
当時は、トランプが米国大使館をテルアビブからエルサレムに移すと宣言する直前で、小競り合いすら見ることはなかったのだが(各所にマシンガンを抱えたイスラエル兵士が立ってはいたものの)、パレスチナ人の自由な移動を妨げる長大な分離壁や、西エルサレムと(パレスチナ人が多く住む)東エルサレムの街並みの違い・格差や、西岸地区で見かけた不法な入植地などから、パレスチナ人がどれほどの苦難を強いられているのかは容易に想像がついたし、争いのない日々が続いて欲しいと願いつつも、それが長く続くとは思えなかったのも事実だ。
そして、懸念した通り、昨年10月にハマスがイスラエルを攻撃し、イスラエルのガザ侵攻が起こってしまった。パレスチナの歴史を一通り理解し、現状を目の当たりにしていた私としては、ハマスの攻撃直後に国連のグテーレス事務総長が言った「ハマスの攻撃は他と無関係で起こったのではないことを認識することも重要だ。パレスチナの人々は56年にわたり、息の詰まるような占領を受けてきた。・・・(パレスチナの人々は)自分たちの土地が入植によって着実に侵食され、暴力に苦しめられるのを見てきた。」という言葉に、強い共感を覚えざるを得ない。
本書については、今般たまたま新古書店で目にして入手したのだが(2008年の映画のことは知らなかった)、一通りページをめくって、強く再認識させられたことは、現在のイスラエルの国土が、1948年以前にパレスチナ人が住んでいた住宅や農地が破壊された上に存在するという、当たり前のことだった。国際世論は、ややもすれば、1968年の第三次中東戦争でイスラエルが一方的に占領地を拡大する前の境界を落しどころに二国家共存を主張するが、それでは基本的なパレスチナの難民問題は解決しないのだ。
パレスチナは日本からは遠く、また、日本にはさほど多くのパレスチナ人・アラブ人やユダヤ人が住んでいるわけでもなく、無関心を装うことは簡単である。が、それでいいのだろうか。。。(市井の)日本人にできることは限られている。しかし、関心を持ち続けることだけはできるはずだ。本書(及び映画)が、その強力な一助になることは間違いない。
(2024年4月了)