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これ、面白いのか・・・?
じゃじゃ馬じゃじゃ馬って言われてるけど、そんなにじゃじゃ馬じゃなくて、まっとうな主張してないか、と思ってしまった時点でだめだったんですね。
現代の感覚で読むもんじゃないんだよね、たぶん。
そんないたいけな女子を、金目当ての男が自分に貞淑な妻に作り変える、というのが主題ですから。
舞台で見たりするとわくわくしそうな予感はしますね。
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男尊女卑がすごい
劇中劇みたいな形をとっているけど、
そんなことをする意味はなかったと思う。
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図書館から借りました
劇用シナリオ。
富豪の娘キャタリーナはすごいじゃじゃ馬。
持参金目当てに、婿の名乗りをあげたのはペトルーチオ。
不眠不休で絶食。
ふらふらのキャタリーナ。
同じ条件の上、暴れて怒鳴り続けているのに元気なペトルーチオ。
おそらく、キャタリーナはここで大いに悟る。
「パワーでは勝てない」と。
ペトルーチオの上手いところは、「焦げていてこんな肉は体に悪い」「こんな汚いシーツで寝るなんて、君のためによくない」「愛してる系美辞麗句」とを繰り返し、キャタリーナにはまったく恫喝しないところ。それに、絶食も一緒にやっている。
空きっ腹で寝不足なところに、可愛いだのなんだのと大盤振る舞いな愛の押し売りやってくるし、逃げ切れないし。
だからキャタリーナは諦観した。
口先だけ付き合ってれば、とりあえずなんとかなるから。
これでもし、ペトルが自分だけ食い、自分だけ寝て、キャタリーナを恫喝し、殴る蹴るとやらかしていたら。
たぶんキャタリーナは切れて、いつの日にか亭主をぶっ殺してしまったことだろう。
諦観したあとのキャタリーナは省エネタイプになる。
そして最後に妹や再婚したばかりの未亡人に告げる、あの名セリフ。
「夫は君主。命。彼らは私たちのために海や陸で苦しい目にあいながらも、私たちが安穏と暮らせるようにしてくれる。なのに私たちに求める見返りは「愛と優しい微笑みと従順な心」だけ。女の体は世間の荒仕事に向いていないの」
翻訳すると「「愛と優しい微笑みと従順な心」はあげるから、私たちによもや辛い仕事とかさせやしないでしょうね? がんばって働いてちょうだい、私たちが楽に生きるために」だと思われる。
さて。
それなのに、じゃじゃ馬が馴らされた、女らしくなったと大喜びの男衆。
無夜には最後に勝ったのは、キャタリーナにしか見えないんだが。
男ってバカね?
と、いう物語な気がする。
だいたい、オリジナルではこれ、作中劇で、嘘と嘘と嘘が二重三重になっている試験的な劇だから。
この最後のセリフ、額面通りに受け取るもんではないのではないかねー?
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複数の登場人物が身代わりになって、どたばた喜劇が行われる。テンポがよい。駄洒落も多くて笑える。翻訳も簡潔で読みやすい。読んで楽しい台本小説だとおもいます。
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実際演劇で見てみないと分からないかも。
シェイクスピアの芸術的野心とか新しい試みとかは、よく知らないと実感できなさそう。
内容は、フェミの人が怒りそうなものです。もっとロマンスがあるものだと思ったのに…
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じゃじゃ馬の姉とお淑やかな妹。妹は求婚者もいっぱいでモテモテだが、強気な姉には誰も言い寄らない。金持ちの父親は姉を先に嫁にやってからでないと、妹との結婚を許可できないという。そこに、金持ちになれるならどんな娘と結婚してもいいと言う男が現れる。
シェイクスピアの作品。新婚で夫に食事させてもらえない姉が可哀想だった。強情な性格の矯正のつもりなので、喜劇なんだろうけどね、、、じゃじゃ馬のままでいてほしかったな。
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このストーリーと人物造形を喜劇として鑑賞するためには、シェークスピアの生きた当時のイギリスの社会情勢と人々の生活、そして思想とを理解し、その前提のうえで味わう必要があるように思う。
結婚という人生の一大イベントに際して、欲と思惑で大立ち回りを演じる登場人物達の滑稽さが生き生きと描き出されているのだが、それ以前に、家柄と財産を最重視する結婚観と、女性の価値を見た目の美しさと親や夫への従順さのみで計ることへの抵抗感が先に立ってしまい、素直に楽しむことはできなかった。
原文で読み、あるいは実際に英語で演じられているのを見るだけの語学力や知識がなければ堪能できない、散文と韻文の入り混じった巧みな文章構成や、古典からの引用、言葉遊びのような洒落、楽屋オチ、そしてかなり際どい艶めいた冗談をもわかりやすく巧みに伝える訳文は見事である。