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とても素晴らしい本だった。
「仏様には差別はない。人間だからとか動物だからというのは、人間が勝手に区別している」という横田さんのお話にとても共感が持てた。
ペットはいつも飼い主に対して、寛容な気持ちでいてくれる。
それを再確認できた本だった。
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愛犬が旅立ってから読みましたが、著者はお坊さん。
感じていた罪悪感から解放されたような気分でした。
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1971年生まれ、横田晴正さん「ありがとう。また逢えるよね。」2008.4発行です。動物の命を救うのが獣医さん、動物の魂を救うのが動物のお坊さんでしょうか。動物は名前を呼ばれた時から人間の一員になる。本当にそうだと思います。家畜から愛玩動物(ペット)、愛玩動物から伴侶動物(コンパニオンアニマル)、そして家族の一員ですね。本書は、私とペットのかかわり、ペットロスについて、それぞれのペットロス、ペットを喪ったあなたへ、ペットの供養Q&Aの5つの章立てです。著者とペットの関わり、涙なくして読めないです。
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動物好きなお坊さんによる本です。
本を読んで、心やさしい少年がそのまま大人になったのだろうな~ということが想像させられました。また、こんなお坊さんにお経をあげてもらいたい、そう思わされました。
私は実家のお墓が曹洞宗ですが、特に普段の生活で仏教を意識することはありません。ですが、15年過ごした猫ちゃんが亡くなった後、簡易的ではありますがお供え物を置いたり、お線香をあげたり・・・そういうことは行っていました。
横田さんも曹洞宗とのことですので、何かご縁を感じます。
こちらの本には色々なパターン別のお別れが書いてあります。
ペットがまだ若い時のお別れ、ペットが年老いてからのお別れ、行方不明のままのお別れ、病気でのお別れ、安楽死でのお別れ、突然のお別れ・・・
また、ペットだけでなく人間の状況についても色々なパターン別で書かれてあります。
単身で飼っていた場合、家族で飼っていた場合、老後に飼っていた場合・・・
そのように色々なパターン別で書かれているので、読み手が「自分と同じだ」と感じる箇所があるのではないかな?と思います。
自分にはまだ当てはまらないエピソードの場合はその状況を想像しながら、自分に当てはまるようなエピソードの場合は涙しながら読みました。
特に、病院で最期を迎えて、最期に立ち会えなかったので、「なぜ、彼が頑張っている時にそばにいられなかったのか・・・」と後悔の気持ちがありました。
辛くて、母に電話して、気持ちを聞いてもらったりしました。母はペットロスの経験をしているので、無理に励ましたりせず、私の話をただ聞いてくれましたし、「最期会えなくて、後悔しているんだね。でも、にくひこもわかっていると思うよ。」と言ってくれました。でも、どこかに「本当にそうかな・・・にくひこはどう思っていたんだろう。」という気持ちがモヤモヤとしていました。
ですが、こちらの本に書いてあった言葉で気持ちが軽くなりました。
「たとえ看取れなかったとしても、ひとりで逝かせてしまっても、離れていても心はあなたと共にあったことでしょう。あなたのことを思って頑張ったでしょうし、あなたに想われていたから、遠く離れていても心を身近に感じることができたでしょう。あなたに心で想われて、あなたのことを想い、最期を迎えることができたのですから、これもまた幸せなことです。別れの時に離れていたとしても、体を離れたらすぐにあなたの側に戻ってきていることでしょうから、ひとりで逝かせてしまったという時間はほんの一瞬のことなのですよ。」
体を離れたらすぐに戻ってきてくれた・・・想像したらそんな気がしてきます。離れて泣いていた私を心配して来てくれたと思います。ちゃんと会えるまで見守ってくれたような気がします。
徳島を朝5時に出発して、高速道路を750kmもクルーズコントロールのない中型バイクで走って、右手もしびれて、両足もしびれて、東京に14時に着いて・・・そんなこともう二度とやらないと思います。。。
最期を看取らせてくれたのも、最期を看取らせてくれなかったのも、彼らなりの気遣いであり、私がいくら最期を看取りたいと思っても、彼らがそれを望まないこともある、とのことです。
これは目から鱗でした。どうしても、最期を看取るのが幸せ、と考えてしまっていました。私は祖父を看取ることもできなかったので、また、同じ過ちを繰り返してしまった・・・と思っていましたが、過ちも何も、ないのですね。そうなる運命で、看取れないことにも意味があったのですね。20年間、自分を苦しめていましたが、そう考えると前向きになれる気がします。
何事も学びに変えて前向きな言葉で語ってくれる横田さんの生き方が素敵だと思います。このようなお坊さんがたくさんいたらいいのにな。