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またまた,著者の水内さんにいただいてしまった本。実は今月27日に大阪で開催されるかなり少人数の研究会にゲストスピーカーで呼ばれていて,水内さんや大城さんにもお会いするので,そんなこともあって読んでみた一冊。おそらく,自分で積極的には買わないし読まない本。
著者も前書きで書いているように,元来地理学とは地図という表現手段に非常に固執してきた学問である。そしてその地図はまさに旧来の地理学の象徴であるかのように,近年の新しがっている地理学研究は地図表現を用いないことで,古臭い研究から脱却していることを宣言しているような節がある。しかし,いくら新しさを強調しようが,私の知っている多くの地理学者は旅行好きであり,鉄道好きであり,高みからものを眺めるのが好きなのだ。まさに,高みからの視線の象徴が地図。少なからず私も地図が好きだった。
まあ,著者たちはそんな古くから地理学者がこよなく愛してきた地図を武器に,一般読者に地理学の魅力を知ってもらおうと意図している。しかも,旧来の地理学がやってきた地図の読み方ではなく,より深みのある地図の読み方を提供すると書いている。まあ,ここでいう一般読者というのが具体的にどのような人々を想定しているのかはなはだ疑問ではあるが。そんな目的にしがたって,著者の一人,水内氏が現在勤める大阪市立大学の院生であった,現在神戸大学に勤める大城直樹,そして同じく大阪市立大学の院生だった京都の立命館大学に勤める加藤政洋,その3人が大阪を中心に,神戸と京都の事例も加えて,関西3都市の近代以降の歴史を読み解こうとする。
本書は非常に読みやすく,私の知らなかった史実が山ほどあって,それはそれでとても勉強になる。しかし,それ以上ではない。本書の方法や文体は,これまで主に加藤が書いてきた学術論文のスタイルに似ている。しかし,学術論文はそうした史実の整理の先に議論するテーマがあるが,本書はそういう議論を極力省いている。参照されている文献は最小限に抑えられ,本文中に組み込まれているだけで文献表はない。もちろん,地図も多用されているのだが,地図以外に空中写真や風景写真も多い。地図そのものを読み解いている場面はとても少なく,むしろ写真や文字資料などを駆使して歴史復元をするなかの一つの資料として地図は位置しているにすぎない。まあ,著者の言葉を使えば「地図的表象を超えたところに空間−社会の構制を嗅ぎ取る感性」(p.1)ということになるのだろうか。
ともかく,本書は読みやすいが故に私にとっては退屈だった。といっても,史実を丁寧に説明していくような歴史書が全般的に苦手なわけではない。まあ,そのことはこのblogの読書日記を読んでいる方にはわかるだろうが,私は読書としての歴史ジャンルはとても好きなのだ。しかし,本書はちょっと苦手なタイプ。だからこそ自分自身に危機感を感じたりもする。もちろん,私は地理学研究としての歴史研究はしていないが,比較的方向性としては近いものを感じる著者たちの関心と私の関心とがまったく相容れない部分もあることを痛感させられる場面は少なくない。
まあ,ともかくまだ著書を1冊も書いていない私にとっては,確実にこ��して形にしていくかれらに文句をいう資格など全くないのだが。