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まだ半分。
タルホ的世界、というものに物凄く興味があって読んでいますが…独特もいいところですね。これを受け入れた文学界に驚いた。つかみどころがないけれどいくつかのキーワードによって一貫された世界に、新しい美しさがありますよね。いまでも新しいと感じるのに、発表当時は如何に…。
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7月15日に、第141回芥川龍之介賞(2009年度前期)が決まる。
受賞候補になった作品。
■磯崎憲一郎(いそざきけんいちろう) 「終の住処」(新潮6月号)
■戌井昭人(いぬいあきと) 「まずいスープ」(新潮3月号)
■シリン・ネザマフィ(Shirin Nezam Mafi) 「白い紙」(文學界6月号)
■藤野可織(ふじのかおり) 「いけにえ」(すばる3月号)
■松波太郎(まつなみたろう) 「よもぎ学園高等学校蹴球部」(文學界5月号)
■本谷有希子(もとやゆきこ) 「あの子の考えることは変」(群像6月号)
その中に6月に、文学界新人賞を受賞したシリン・ネザマフィさんの「白い紙」がノミネートされている。文学界新人賞を受賞した時も、「なぜ、わざわざイラン人の作品を……」とか思ったが。
昨日、選者の一人花村萬月氏の
『花村萬月公式ホームページ ブビヲの部屋』
http://www2.odn.ne.jp/cbr37550/indexl.htm
の、2009/06/07 の記事で。
以下。引用
「もっと早く書こうと思っていたのですが、文學界新人賞。イラン人が受賞して、不満足な日本人がけっこういるみたいです。とりわけ強く不満を抱いているのは、新人賞に応募している日本人ですね。文藝春秋は話題性を狙って外国人に賞を──と、嫌らしい深読みをする人たちです。」
引用終わり。
という部分があり。私もその通りに思っていた。「白い紙」は、読ませてもらったが。非常に素直な小説だった。
しかし、文學界新人賞の応募作品に。先日「1Q84」を発売数日で上下巻各50万部=100万部以上を売り上げた村上春樹氏の影響を受けたというより、【偽】村上春樹氏のような作品が異常に多いらしい。2008年、「時が滲む朝」で第139回芥川賞を受賞した楊逸さんといい。日本にいる外人が日本の文学賞を受けるということは、小説を書く人は成功した作家の作品を読むことから、少し離れたほうがいいのかも知れない。
今、文学は『原点回帰』を求められているのかも知れない。
道に迷って、あちこちウロウロしても解決しないので知っている場所に戻るのと同じ理屈である。
で、稲垣 足穂氏であるが。
私は若い時期(1970年代)から、存在は知っていたし文芸雑誌等でもよく特集されていたのだが。多分、この人の本は高価だったように記憶するし。1970年代付近で、一種ブーム(流行)のような時期があり。私の元来の「へそ曲がり」で読むことはなかった。その証明として2年前から「ルービックキューブ」が私のマイブームで1ヶ月ぐらいかかり揃えられるようになった。ただし左手だけの片手で、だが2分半ぐらいかかるので「自己満足」だけの世界である。なぜか?「右手」とか「両手」を使うと揃えることができない。
稲垣 足穂氏の作品は時代が過ぎてもなかなか文庫化されないのと、忘れていたのとで放置していたのだが。今日、市役所への用の帰りに恵文社バンビオ店で見つけたので購入した。内容をア〜〜ジャコ〜〜ジャ書いても「突っ込まれるだけ」なので読む前にブグログにあげておく。もちろん、目的の作品は「一千一秒物語」である。
ちょっと「一種の危ない作家さん」かな?
お月様とは、仲良くしなくちゃネ。
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ホワイトの表紙に緑がかった金の帯がよく調和しています。良い装丁です。帯の一文が素敵なので、ぜひ新品か、帯付きを探してみてください。
一千一夜物語ではありません。一千一秒物語なのです。まるで夢の中を俯瞰しているような世界です。宮沢賢治を自然と共に過ごす幻想小説とするならば、足穂は近未来に生きているような幻想世界です。
チョコレット、という短編が収録されてますが、おいしそうなタイトルですな。
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松岡氏が千夜千冊で「一千一秒物語」をベタ褒めしていたので読んでみたのですが・・・
ごめんなさい!よく分かりません!!
これが理解できる人って、とんでもなく優秀な読み手なんじゃないでしょうか??
いや、なんとなくおぼろげにそこはかとなくやんわりとは感じるものがあるんですよ。自分を落としたとか、星を拾ったとか、そういう部分。
でもちょっと私にはフワッとしすぎ・・・いや、フワッとじゃないな、哲学的な、前衛的な、繊細な・・・なんというか、うーーーん。感想すらちゃんと書けません。
その他の話も読み取りにくかったです。おおお、私はまだまだ未熟者だわい。
これを分かる日がいつか来るのだろうか??
09.12.06
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後半からは挫折してしまったけど、前半の「一千一秒物語」なんかは、私のもろ好みど真ん中で、読んでて何度ため息をついたことか・・・。あの怪しくもファンタジーな物語を大正の時代に書いた日本人がいたなんて、とても信じられない。・・・けど実際にいたんだから信じざるを得ないんだけどね。参りましたーー
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前半の物語は
ひたすらに明かされる
星や月の性質を表す物語。
唐突で泰然としていて
普遍的で刹那的な性質。
それでいて人を食ったような。
動力かと思うと御伽噺で。
後半は数多の知識にひげ根を伸ばした
繊細でいて太い、樹木のような物語。
こうもタッチの違うダッシュが描けるのかと驚く。
まだ私は表現できる言葉を持たない。
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カテゴリを小説にしていいものかどうか。
クラフト・エヴィング商會にはまって以来、いつかは読んでみたいと思っていた稲垣足穂。ようやく読めました。
んで、読んでようやく、本当の意味でクラフト・エヴィング商會を楽しめるような気もしています。
リンクというかすべてが彼らにつながっているように感じました。しかしながら稲垣足穂のすべてを読んだわけではないので、まだまだこれからなんでしょうね。
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稲垣足穂 1900-1977
「大阪・船場の生まれ。幼いころ兵庫県の明石に転じ、神戸界隈で育つ。少年時はヒコーキに熱中。関西学院卒業後、上京。はじめ飛行家、ついで画家をめざした。文学に転じたのち佐藤春夫の知己を得て「チョコレット」「星を造る人」を発表。イナガキ・タルホの名前で「一千一秒物語」を出す。放浪生活のかたわら、文壇とは遠いところで独特の作風による小説を書きつづけた。」(表紙カバーの折り返しより引用)
どういう経歴だ、とつっこみつつ、作品を読むと妙に納得してしまう。
「一千一秒物語」では、ひたすらお月様とお星様とケンカをしている気がする。カチン!パタン!ピシャ!という衝突音が聞こえて、目の前がチカチカしてくる。
しかし、月や星を単純に擬人化しているのとも異なる。「ポケットの中の月」の冒頭を読んで、目が点になった。「ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた」 こんな自由な一行は、どんなに純粋な子供にだって書けないのではないか。
決まりめいたものから超越した、浮遊感のある世界。正直なところ、私には合わなくて、「一千一秒物語」と「チョコレット」だけで挫折してしまった。
勿論メルヘンチックな作品ばかりではないし、『少年愛の美学』は読みたいと思ったこともあったが、本書の「異物と滑翔」すら読めそうにない。
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アンソロジー。
著者は、天文学が好きで月やら星やらのことをよく書いているようだ。他には少年愛や機械を好む傾向がある。日記的な作品を読むと、戦時中の灯火管制の下(星や月がよく見えただろう)このように楽しんでいたとすると、強かというかやるなと思う。
「一千一秒物語」はたしかに楽しい。日本人的な作品ではない。現代でいうとこの話の短さは、リディアデイヴィスのようだ。しかし、内容としては、月や星をなんでそんなに急に殴りつけたりしたいのか不明だ。暴力的すぎるだろ。それから同じような話が何度も出てきて飽きる。星の粉をパンにしたり、星を飲んだり吸ったりしているのは、おいしそうではある。他にも「星を売る店」は詩的で素敵である。
収録されている、「山ン本五郎左衛門退散仕る」はすごく面白い。原作は平太郎化物日記(稲生物怪録)として知られているもの。
最後に収録されている「異物と滑翔」は読むのがものすごく苦痛な代物。澁澤龍彦感がある話題だが、訳のわからない独善的な文章で自分の妄想をベルクソンやらフロイトやらハイデガーやらフランスの詩人やらのことを引き合いに出してこじつけながら嬉しそうに話しているのが気持ち悪くてしょうがない。意味不明であり、主張していることも何ら正しいとは思えない。フロイトが過去の遺物になるに伴って、フロイトの話に依拠してきたこういう作品も唾棄すべきものとなるのは必然なのだろう。
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中身を理解するというより、読んでいるうち、自分が異空間にいるような、重量や時間、観念を越えた 美しく妖しい中に漂う感覚。