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紙の本
昭和の笑芸の貴重な証言
2008/09/02 00:31
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
漫才師の喜味こいし氏が語る半生記。兄の故・夢路いとし氏との六十六年に渡るいとし・こいしのコンビ時代を中心に、生い立ちから共演した芸人・俳優の思い出から、様々な話を語る。
登場する話は、いずれも非常に貴重である。その理由は、こいし氏が昭和二年に生まれ、赤ん坊の頃から役者であったという点にある。ご両親が旅一座の役者で、生まれて間もなく赤ん坊の役で舞台に出たという。そして十歳の頃には、兄いとし氏と荒川芳博・芳坊のコンビ名で漫才の道に入る。
だから、こいし氏の思い出は、昭和の関西を中心とした笑芸・芸能の歴史の一側面になっている。例えば昭和十五年、吉本興業の寄席でのオーディションの後、電車で帰るふたりに、「鳥打帽にマスクしてコートを着て立ってる乗客がな、少し離れたところにいて、『おい、お前、よかったぞ、漫才!』っていうてくれたわけや」(p.29)。しかし、その乗客がマスクをずらすと、誰あろう二人が目標にしていた横山エンタツだったという。これは、いい話であるとともに、歴史の一場面と言っても大げさではない。
他にも、恩師である漫才作家秋田實、そして秋田の下でともに漫才を勉強した秋田Aスケ・Bスケ、ミヤコ蝶々・南都雄二なども話に登場する。
関西の漫才師だけでなく、榎本健一と酒を飲んだ話や、古川緑波の最後の舞台に出演した話、柳家金語楼との思い出など、東京の喜劇人との交流も語られ、更には笠置シヅ子、美空ひばり、江利チエミ、大川橋蔵、勝新太郎など、歌手・俳優の名前も次々と登場する。こいし氏の(いとし・こいしの)芸歴の長さ、そして漫才に限らず、舞台・時代劇映画など、幅広い分野での活躍を感じさせる。
もちろん、いとし・こいしとしての活動についても語られている。まず興味深いのは、ふたりの漫才に自己紹介がない理由。ふたりは舞台に登場すると、お辞儀をしてそのまま漫才が始まる。これは、ふたりが出演していたNHKラジオ『上方演芸会』がきっかけらしい。番組が生放送で、途中で放送が終わってもいいように若手は最後に出演していた。そして登場前に司会が二人の名前を呼んでくれる。そこで、「できるだけ早う本題に入らんと時間がもったいないということが癖になったということもあるわね」(p.124)ということだったらしい。これは意外な理由で、興味深かった。
それから、ふたりの漫才にずっと現役感があったのは、「兄貴のいとしの『我々がしゃべる漫才は、自分たちの年恰好や口調に合うたネタを演ろうや』という意見で決まりましたな」(p.164)というように、自然にできるネタをしゃべったことが理由のようだ。子ども漫才の頃は子どもらしく、青年時代は恋人を題材に、そして結婚、子ども、孫と、年齢にあった内容を話題にしていた。
それからもうひとつ、テレビ番組『がっちり買いまショウ』のエピソードも面白かった。まず、元々はオリエンタルカレーが提供していたこの番組、途中でグリコの提供に替わっている。その理由が、オリエンタルカレーの社長の招待によるパーティで、放送局の方が何度も「ハウスカレー」と間違えてしまったことだという。出来過ぎている気もするが、これは面白かった。
それから、お嫁に行く直前の娘さんとお父さんが出場した回で、ふたりがそれとなくヒントを出して、ぴったり十万円の買い物になり、選んだ商品に加えて現金十万円も授与されたという。一年後にふたりが巡業に行った際、その時の娘さんが楽屋にお礼に来たというのも、いい話だったなあ。
他にももっとたくさんの思い出話が登場する。こいし氏が色々な出来事を記憶していて、かつそれを面白く話している様子が目に浮かぶ。私はあまり笑芸に詳しくないし、生まれる前の話も多々あるので、知らない出来事や人物もあったが、それでも面白かった。ご存知の方は、もっと面白いだろうと思う。
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