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何らかの災厄(作中では明らかにされていない)のため、ほとんどの生命が死に絶え、燃え尽きてしまった世界を、南を目指し旅する父と息子の物語。最初は読みにくかった読点のない文章も、終わらない悪夢のなかにいるような(何しろ、わずかに生き残っている他の人間でさえ脅威となるような世界なので)二人の切迫した心情をありありと伝えるものとなっている。また、そうした文章のなかに挟み込まれた父と子の会話は、それがどんなに他愛もないものにせよ、そこだけがふわりと浮き上がってみえて、貴いもののように胸にしみる。
父親が草の茎を細工して作って息子に与えた笛をめぐる会話―
それはそうと笛はどうした。
棄てた。
棄てた?
うん。
そうか。
うん。
もしかすると、他人を助けようしない父に対する腹立ちまぎれだったのかもしれないが、父親にとっては唯一善なるもの、神聖な火、希望である息子に傾ける思いと、その父に向ける息子の思いとの微妙な温度差は、どんな状況下にあっても存在するものなのだろうな、と感じさせるエピソードで、少しせつない。
――The Road by Cormac McCarthy
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世界は本当に終わってしまったのか?
滅びゆく大陸を漂流する父と子の壮絶な旅路を描く、巨匠の代表作。ピュリッツァー賞受賞。
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世界の全てが灰に染まり、夜になると星の光も届かない。生物は死滅し、秩序は崩壊、略奪、放火、殺人のみならず、人食いを行うものも現れる「世界の終わり」。父と息子は冬を越えるため、ただひたすら南を目指し道にそって歩きます。
父と子を対比する描写がすばらしい。父は息子を守るため殺人も辞さない覚悟をかため、救いを求める人間がいたとしても見捨てるように努めます。対して息子はこんな世界に生まれながらも光をまとったかのように慈悲と知性をもちあわせています。父はそんな息子に手を焼きながらも、ふかく愛し、優しさと力のすべてをそそぎながら守っていきます。
父も子も饒舌ではない。ですが、父子の短い会話のなかにさまざまな思いが、生への執着と死への渇望、互いへの理想と妥協とがこめられています。今、父親の方、これから父親になる方におすすめの一冊です。
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破滅した地球に僅か生き残る人達。未来を暗示する少年を父親が護り旅を続ける。SFウェスタン小説みたいな作品。
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終焉を迎えた世界を南に旅する父子。
切り取ったように狭い範囲をひたすらに描写しており
それが常に不安と死の気配を感じさせる。
父と子の会話からは、
子供を人として在らせたいという父の気持が伝わってくるが
子供を持つようになったら違う感じ方もできるのだろうか。
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たまたま最近読んだのでそう思うのか、ゲバラの『ゲリラ戦争』での「人民の前衛としての自覚を持つ」ゲリラ戦士の資質と、『ザ・ロード』の少年の資質が、まだ幼く未熟とはいえよくかぶっていて、うーんと思った。南に移動する苦難の行軍もずいぶんと訓練になっただろうし、将来は立派なゲリラ戦士になるのではないかと楽しみ。傑作ではあると思うけれど、個人的にはこの小説の続きを想像するほうがわくわくする感じ。
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世界を覆うような核の気配。はっきりとは何も書かれていない。またまた本当に起こりそうな本を読んでしまい、怖くなって眠れなくなった。
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世界の終わりを旅する父と息子。ポール・オースターの『最後の物たちの国で』を思い出しました。息子の純粋さが救いでもあり、苛立たしくもあり。読みながら、この物語はどこへ続いて行くのだろうと思っていましたが…きれいなラストでした。映画化が決まっているようですが、これは小説として完成した物語であって、映像化するとイマイチなような……。(2008.10.22読了)
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でももし迷子になったら誰が見つけてくれるの?あの子を誰が見つけてくれるの?
善意が見つけてくれるんだ。いつだってそうだった。これからもそうだよ。
(´;ω;`)ブワッ
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この作家の本は『血と暴力の国』しか読んでいないので、本書が二冊目である。前作もロード・ノヴェルであったが、本書はまさにタイトルの通りのロード・ノヴェル。それも究極のロード・ノヴェルである。しかし巻末の訳者解説により、この作家はすべての小説がロード・ノヴェルなのであることがわかる。
こちとら70年代アメリカン・ニュー・シネマの世代である。ということは、ロード・ムーヴィーの世代ということでもあるのだ。だから、今でもロード・ノヴェルには魅せられる。例を挙げれば『イージー・ライダー』『バニシング・ポイント』『スケア・クロー』等々。
ロード・ムーヴィーの原点は、間違いなくウエスタンである。フロンティア・スピリットの横溢する未開の荒野を、文明人であったはずのアングロサクソン民族が、焚火・野営・銃器などというアウトドア、つまり人類の原点回帰に戻るドラマが、いわゆるウエスタン、西部劇であったのだ。『明日に向って撃て』『ワイルドバンチ』『ロング・ライダーズ』等々。
その意味でロード・ムーヴィー、ロード・ノヴェルはアメリカそのものであった。国際的なロード・ムーヴィーという意味では『地獄の黙示録』ですらアジアを舞台にしたそれであったのだ。
しかし本書は、そうした観念を撃破するくらいに衝撃的である。第一パラグラフで、読者は世界の選択を迫られると思う。世界設定は、何と、滅びゆく地球ではないか。地上にある家という家は焼けつくされ、動物も植物も滅び去り、空から太陽は消え、大地は寒さに覆われ、雪が降り続く世界。
そんな世界をあてどなく南へ、と向う父と子のロード・ノヴェルなのである。これ以上ハードな設定はないだろうと思われるほどの極限状況。他者は基本的に存在しない。あるのは屍ばかりで、たまに出くわす生者たちは、生存のために殺人者となり、人肉食いとなっている。
そんな極北の世界(でありながら、何年か前までは確実に平和であったアメリカを思わせる世界)を、旅する父親は、かつての時代の想い出を抱きしめるが、炎が地球を焼き尽くした後に生まれた息子はこの世界しか知らない。
それでも息子は父親に言う。「ぼくたちは殺さないよね」「食べないよね」「ねえ、あの人を助けようよ」「食べ物を分けてあげようよ」
ああ、この会話だけで泣けてしまう。人間の善なるものは髪が搬んでくるものではなく、人間のどこかにもともと備わっていたものなのだ、と発見したのはトルストイ『戦争と平和』のある登場人物であった。『クロイツェル・ソナタ』『光あるうち光の中を歩め』でもトルストイは、神ではなく人間自身の中に抱えている何ものかを執拗に追跡したものである。
父は子に言う。お前は火を運ぶ者だ、と。人類の滅亡に際して、火を搬ぶということの意味が小説では、何を表しているのだろうか。プロメテウスが太陽(ゼウス)から盗んできた火なのであろうか。プロメテウスはその後永遠に天を支えよ、罰を与えられたのではなかったか。そうして天を持ち上げるプロメテウスの絵を、五味川純平の『戦争と人間』のなかで、軍閥である伍代家の三男は見つめつつ、育ってゆ���、満州侵略への不条理を抱え込みつつ命を燃えさせてゆくのだった。
滅び去った世界のイメージを、何で感じてきたかというと、ぼくの場合は圧倒的に映画『渚にて』である。角川映画の『復活の日』は観ていないが、『マッドマックス?』なども滅び去ったその後であり、大友克洋のコミック『アキラ』も同設定である。しかしそれらのどれとも異なるのが本書のエンド・オブ・ザ・ワールドのイメージであろう。
近未来小説というのが苦手なぼくであっても、この作家の文章力、プラス、訳出力に感じ入った。唯一無の作品の持つ燃焼力(無論、火の!)には圧倒され、一気に読まされる何ものかを感じさせられた。
ピュリッツァー賞を受賞し、全米ベストセラーに輝いたそうである。コーエン兄弟の映画化で『ノー・カントリー』がアカデミー賞総なめにしたばかり。コーマック・マッカーシー恐るべし!
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核戦争後の(たぶん)終末世界で生き抜く父と息子の生き様の物語。状況が状況なので、イメージするのは難しいけれど、米国では映画化が進んでいるとのこと。日本での封切りが待ち遠しい。
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この物語に登場する人たちはみな生存者ではない。
焼き尽くされ既に灰となってしまった世界が
完全な終わりに向かうプロセスの中で
ただ死に遅れてしまった人々です。
明確なものは何もない。
今がいつなのか…明日はどうなるのか…
確かなのはただ今という瞬間にまだ死んではいないという事実と、
きっともう長くは生きられないだろうという静かな覚悟。
すべてを諦め、すべてを疑わなければ生き延びられない…
ただひたすら父を信じ父を見つめ続ける少年と、
父親が交わす短い言葉での対話が哀しく胸に迫ります。
死滅した世界の遺灰がただ風に舞うだけの…
凍てつく道をふたりは歩きつづける。
ただひたすら南へ向かう父子の行程を見つめながら、
この物語を読む側も瞼を閉じ息が絶えそうな
疲労と寒さを重く感じてくる。
本当の世界の終わりとは…
もしかしたらこうなのかもしれない。
淡々として延々…
描写される父子の毎日を読み取るには、
想像力が求められる独特の筆致で書かれた作品。
でも本当は、現実の将来を考えるのにも、
同じ想像力がもとめられるのだと思う。
世の中には、決して元に戻せないもの、
ふたたび創り上げることなどできないもの…
そういったものがたくさんある。
人間はすべてに手を付けてしまった。
たとえば50年後…
絶えずに続いてきた人間という一団は、
自分たちを種として存続できているのだろうか…?
生気と色を失くした世界…ひと組の父子…
延々とつづくふたりの行程…
そこには安易な平和や自然保護についての主調があるわけでも、
ましてや読者に何かを判らせようとするような
押し付けがましいメッセージがあるわけでもない。
でも自分の中の悟性のどこかに静かに働きかけてくる力を感じます。
世界には罪の数よりも罰のほうが多い…
自分たちは自らの罪によりどれほど多くの罰を後代に残すのだろう。
読み終わった時についつい、
子供たちの笑顔に救いと気づきを求めたくなってしまった。
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なんらかの理由で文明は完全崩壊し、空は灰色の雲に覆われ、気温は石がひび割れるほど低い。そんな世界で、父子は暖かい南を目指し、ボロボロの地図を手にひたすら歩いていく。食料は乏しく、野蛮人と化した者たちに襲われる危険が常につきまとうが、父は息子を必死に守りつづける。いったい、二人の旅の終わりには何が待ち受けるのか……。核戦戦争後の未来、その恐怖をリアルに提示するという意味では小説以上の表現形態はないはずで、ピューリツア賞受賞もうなずける。死に直面すると人は人生の意味を考えるが、単なる個人の死であれば、家族に思いを残すとか、未来に何かをつなげるとか、幻想ではあるかもしれないが何らかの形でその人間の生を伝えていくことができるが、人類自体が消滅してしまうとすると、どんなささいな人間の営為も無に帰してしまう。人間存在とは何だろうか?という問題をこれだけのスケールで提示したのは、この小説が初めてではないだろうか?
ただ、物語は、核戦争が起こった後のような廃墟の中を、父子が、寒さに震えながら、飢えに苦しみながら、下等の襲来に怯えながら、ただひたすら南に向かって歩いていくという話し。起承転結のようなストリーの興奮感はなく、ひたすら陰鬱な物語が続く。
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5つ星では到底足りない大傑作。
読むのに相当精神力の要る作品だったが、
その価値は大いにあった。
世紀末とは? 親とは? 子とは?
絶望とは? 希望とは?
答えにならない答えが見つかる。
それはまさしく(ジャケットのような)灰色の世界。
それにしてもアメリカの根っこには、
フロンティア・スピリットが奥深くまで根付いている。
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「お前が今まで一度も本当になかった世界やこれからも絶対にないような世界を夢に見てそれでまた幸せになるとしたらおまえはもう諦めてしまったということだ。わかるか?でもおまえは諦めちゃいけない。パパが諦めさせない。」
どうやってあきらめずに歩いていくのか、私も知りたくて読み続けた。(あまりにもつらい設定を読み続けるのはきつかった)
読み終わった今も、答えを得られずにいます。