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ケータイ小説が浜崎とつながって、ヤンキーへ、地方社会へ-。一見無関係のようなこれらの単語の羅列が、見事につながってくる。自分でも実感をもって納得して読んだ。
NANAもケータイ小説も、回想的モノローグとトラウマ回復の物語だば!
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自称ケータイ小説評論家・速水氏の傑作。
私が中学生の時、別マが大嫌いだった理由がやっとわかった。スッキリ!
主張はどれも納得できるものだったけど、1つだけ非常に疑問思ったことがある。
「ヤンキー少女」達はなぜ物語が「ノンフィクション」じゃなきゃいやなのか?感覚的にも理論的にも理解できない。「ノンフィクションの事実度」と「フィクションの創作度」なら後者のほうがふつう高い、つまり「正直で本当」だと思うのですが…。
(追記)→土井隆義/「友だち地獄」で少しわかったかも
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この本の意義は、"ケータイ小説"なるもののルーツを丁寧な調査から、はっきりと導き出した点につきると思う。
タネあかしをしてしまえば、“ケータイ小説”は、レディース雑誌の“ティーンズ・ロード”にその原点があり、その系譜であるレディース系の系譜に実はいた歌手“浜崎あゆみ”の歌詞の世界感にある、という解釈である。
非常におもしろく、説得力のある展開であった。
何より感動したのが、こういう一見ポッと出の訳の分からない、どう位置づけて良いかわからない文化にも、ちゃんとルーツと系譜がある、ということを示したという著者の活動のすばらしさである。
良く分からない“コワイもの”の正体を解き明かす行為はなんともエキサイティングで好きだ。この本は一種の推理小説的な知的快感が味わえる一冊だと思う。
一点、現代のケータイに囲まれて生活する少女にとって、「届かないかもしれない」未達に終わる、闘病ノートや、絵馬とったメディアにある種の逃げ場や、心の逃げ場を感じている、という点には強い興味を覚えた。(シュー論のテーマに近いものを感じるし、そうしたサービスが何かできそうだと思ったのです。)
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個人的に
非常におもしろかった本
なぜケータイ小説が早かったのか
というのを軸に
最近の若者の傾向をひも解く
そして
ケータイ小説を好む若者って
ヤンキー化してるんじゃないの?と筆者は記す。
私もそう思います。
私は「恋空」しかケータイ小説を読んだことはないんだけど
妊娠、レイプ、流産、病気etc...
いろいろありえないハプニングが起きるわけですよ。
だけど
ケータイ小説にはまる人は
「なんか口語調で書かれてるし、内容もすごいリアル」なんて言う。
正直リアルには程遠い
ケータイ小説を好む若者は
浜崎あゆみが好き
田舎に住んでいる
NANAが好き
ギャルが好き
恋愛大好き
という傾向があるそうです
激しく同意
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ケータイ小説を読む層と浜崎あゆみを聴く層は同じというようなことを言っている本
それとケータイ小説には「この話はノンフィクション」というのがデフォですが、それはそういう風にしたほうが面白いからであって、読み手もケータイ小説が本当に真実かどうかはそれほど求めていない、という話にはなるほど、と思いました
日本で一番有名な某ケータイ小説を「現実との統合性がない」と批判しているアンチがいますが、ある意味それは論点がずれているのでしょう
ちなみに私個人としては、ケータイ小説もそういう文学として認めてもいいじゃない、というスタンスです
それほど興味がないということなんだけど
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【ケータイ小説は似通ったプロットやモチーフに偏る傾向がある】
似通った作品が同時多発的に生み出されていった背景には文化的、社会的な何かが存在するといった作者の仮説の元、話が展開されていく。
文化的な背景には”浜崎あゆみ”が存在するというのが、第一章の著者の仮説と主張
【ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞には以下の三つの共通点がある】
1.回想的モノローグ
2.固有名詞の欠如
3.状況描写の欠如
【回想的モノローグ】
「恋空」は基本的に三人称で書かれる小説スタイルをとっているが、突如一人称に変わるモノローグ的な文章が突然、何か所にも登場する。
自分の身に起きた数年前のエピソードを、かなり遠回しに、しかも感傷とともに語る「回想的モノローグ」は、浜崎あゆみの歌詞にも多く登場する。
【固有名詞の欠如】
【状況描写の欠如】
ケータイ小説には固有名詞、状況描写がほとんど書かれていない。
浜崎あゆみの歌詞に対しても、SEASONSを例にとり、抽象的であり、情景描写がないと指摘。
”一切の風景がなく、漠然とした感情的な心の中だけが示される”
第二章 ケータイ小説におけるリアルとは何か?
【リアルというのは、実際に起きたかどうかではなく、その圏域に属している人たちが「本当にありそうだ」と感じらるかどうかという意味である】
九十年代末以降のの中高生の読書傾向として、それが本当にあった話かどうかを重要視し、「リアル系」の作品を好むようになった。
このリアル系読者のニーズに合致したのがケータイ小説。
【リアル系の作品ポイントは、人物描写がない、風景描写がない、心理描写がないことなんです。出来事が次から次に出てきて、それを追っかけて行くと終わるんです。】
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ケータイ小説の中で作者が無意識に共依存の関係性を描いている点、デートDVへの言及はなかなかであった。
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小生は「ケータイ小説」なるものは読んだことはないので何とも言いかねるが、ケータイ小説に地名等の固有名詞が殆ど出てこない理由などは興味深く読ませてもらった。
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ケータイがどう使われているのか。今どうなっているのか。ティーンズロードが典型的なCGM。とは知らなかった。でもそういうなら、たまひよも典型的なCGMだ。そういえば「コウモリ城へようこそ」というのもそうだ。
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この本の中に出てくる考察は興味をひかれました。
特に若者の中にある「リアル系」の追求という点は、なるほど新しい発見でした。
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いまさらだけど、アマゾンマーケットプレイスにて180円でゲット。
これは確かに面白い。装幀はアレだが。
新たなヤンキー像の定義について、大変しっくりきた。
「地元つながり」「『東京に行かない』感覚」「『電車に乗らない』感覚」
旧ヤンキーは外部=社会に敵を想定
新ヤンキーは自分の内側の敵=トラウマとの闘争
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ケータイ小説とその周囲で流行った物事を恣意的に曲解して結びつけた本。頭文字Dの下りは失笑を禁じ得ない。それじゃ湾岸ミッドナイトは?ナニワトモアレは?あの当時FCやFDの中古がBMWよりも高値で取引されていたことを筆者はしらないのだろうか、男のくせに。ステロタイプと勘違いでぐいぐい読ませるのは文体が軽いから。浜崎あゆみのファンもこの本を読んで腹を抱えて大笑いだろう。
ケータイ小説は発表時はともかくとして、書籍出版時には編集者より固有名詞の削除を求められる。ケータイ小説黎明期にゴーストをやった経験より。故意に固有名詞を登場させてないのではなく、編集部の意向により固有名詞を削除しただけ。そのデットコピーである携帯小説には固有名詞が登場しない。それだけ。
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第1章で持ち出した浜崎あゆみとケータイ小説との連関はもう少し裏付けが欲しかった。『恋空』では、美嘉の恋人ヒロへの無意識の殺人欲が、自分を愛してくれた男の物語に書き換わっているという指摘(p186)は鋭いと思う。
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日本での中高生向け書籍には、
漫画とラノベだけではなく、ケータイ小説がある!
文系やオタクだけじゃなくてギャルやヤンキーも楽しめる文字文化があるってことは、日本は豊かなんだよね。
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・「こどものもうそう」からぽちっとした。米光さんの紹介はいつも上手だなぁ。タイトルを見たときは、別に「ケータイ小説」に興味ないし……と思っていたのに。
・タイトルについて。「。」が最後についているのはなんでだろう? 「モーニング娘。」的なただのかっこつけ?
いやいや「ケータイ小説的ななにか」について書いているのではなく、「携帯小説的であること」そのものについて批評するんだよ、という意志と態度を「。」に込めたんだろうな、と読んでから思った。
・少女たちの文化と生態をケータイ小説から読み解いてみる……という惹句も。この評論は「ケータイ小説」について語る本ではなく、「現代の若者の生き方が端的に表れているメディア」として「ケータイ小説」は読めるのだということが書いてある。ケータイ小説についての本じゃなくて、軸足は若者論つーことで。
・で……なんか突然出てきたかのように見えるケータイ小説だけれども、もちろんケータイ小説は孤島じゃなくて、いろんなものとの接続から成り立っているんだってことが書いてある(…ということは「こどものもうそう」を読んでいるよい子にはわかるのだ、もちろん言及あり)。例えば直接には浜崎あゆみであり、その浜崎あゆみはどっから影響を受けているかというと『ホットロード』(紡木たく)であったり『ティーンズロード』(雑誌)の投稿欄だったり。つまるところケータイ小説の文化的背景は「ヤンキー文化」にあるのだ、という指摘がまずは新鮮。
・で、その類似点を指摘するだけじゃなくて、そっから話は現代における「ヤンキー文化」の受容・継承と「地方」というキーワードについて話は発展していく。
・ケータイが恋愛を変えた」という章。DVというと「ドメスティック・バイオレンス」だからして家庭内暴力なわけだが、現代では「デートDV」という「恋人間の暴力」というのが増加中であるらしい。そしてその原因はケータイの普及にある。というところから、AC(アダルトチル)、「ケータイ小説」や『NANA』に見られる「やさしい関係」へと論は進んでいる。
・ケータイ小説が出てきた当初、『だからあなたも生き抜いて』とか『プラトニック・ラブ』とかの「トラウマ語り」が大流行していたという指摘は興味深い。トラウマ語りはその当時に限らず、いつでも人気だったと思うのでちーとばかし留保をつけたい気持ちもあるのだけれど。AC論そのものが、かなりあばうとで検証不能なところがあるので、そこに突っ込みすぎるとツライ……と思うけど、そこは比較的さらりとしてるので、拒否感までは。
・ん~。対談、という形式は実りが少ない気がして好きじゃないんだけど、この著者とおもしろい組み合わせはあるんじゃないかなぁ。