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ぶっとんだ画家が主人公。
そのやり方の是非はあるものの、夢を貫くことにひたむきな姿勢に逆に爽快感を覚える。
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天才画家といわれたストリックランドの生涯を語り手である作家が語るという手法をとった作品。
突如妻子を捨て、絵を描き始めたストリックランドがわけがわからないけれど、なんとも魅力的で不思議…。どんな絵だったのか、見たくなります。
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証券取引所に勤め、芸術好きの美しい妻と
可愛らしい2人の子どもと暮らす
平凡で幸せな生活に満足しているように見えた。
しかしストリックランドはある日突然パリに失踪した。
夫を捜して欲しいと夫人に頼まれた私が見たのは
安っぽいホテルで身なりも乱れ、絵に向かう彼の姿だった。
その後親切にしてくれた三流絵描きのストルーブ夫妻の生活を
めちゃくちゃにして乞食同然の暮らしを送り、
彼はバリに向かうのだった。
装画:望月通陽 装丁:木佐塔一郎
人間の持つ多面性が描かれた作品だと感じました。
善良な市民であり荒々しい絵描きであるストリックランド、
芸術好きの妻からキャリアウーマンに転進したエイミー、
審美眼を持ちながら自分の絵は優れないストルーブ、
従順な妻であったはずが情熱に身を焦がしたブランチ。
彼らの理不尽な姿が物語を一筋縄ではいかせません。
これに対して語り手である「私」の設定が曖昧だったのですが
最後の解説でモームがゲイであったという背景を受けて
そういう意味もこめられた作品だったのかと驚きました。
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ゴーギャンの伝記かと思っていたが、まったく違った。
こんなに面白い本とは。
中野好夫訳や原書も読んでみたい。
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俗っぽい言い方だけど、「キャラが立ってる」んだよね、この小説の登場人物は。
最後に婦人を登場させたのが何とも好きなところだ。
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美を追い求めて、地球の反対側にあるタヒチへ旅立つゴーギャンと、夫の芸術を理解しない、気位の高い妻。サマセット・モームはひとりの画家の旅を題材にこの小説を書きました。
作家モーム自身も一生を旅のなかで過ごした作家です。作家となってまずスペイン、アンダルシアへ旅し、フランス、イタリア、ベルギー、スイスとヨーロッパを点々とする生活を送ります。月と六ペンスはタヒチをはじめとする南太平洋の島々を巡った2年後に出版。ベストセラーとなりました。しかしそこで落ち着くこともなく、今度は豪華客船で世界各地を旅します。
この本の主人公はたしかにゴーギャンなのですが、モームの旅小説といってもいいでしょう。彼が描いた椰子の林や陸ガニ、素朴なバンガローはいまもタヒチのそこここで観ることができます。なぜ、ゴーギャンはタヒチに渡らなくてはならなかったのか、は、モームがタヒチへ旅した理由と交差しています。そこに自分のタヒチ旅行を重ねてみる。なんて贅沢な読書なんでしょう。
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ゴーギャンがモデルの画家話。
予想に反して、非常に通俗的で面白かった!
芸術に対する深い洞察と表現と、男と女のドロドロとした軽薄な舞台。
質の高い娯楽小説でした。
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2011私的ベストのかなり上位に来そうな物語。
破天荒な芸術家ストリックランドは、本国の妻を捨てフランスの親友夫婦を破滅に導き、さらには南洋の島へと旅立ってしまう。それでいて徹底的に自己中心的で、彼が描く絵画は不思議な魅力を放っている。
周囲の人間を巻き込んでは傷を負わせるストリックランドのような男の人生の足跡がここまで面白く読めるのは、彼が偉大な芸術家だからということではなくて、ストリックランドを語る「私」が彼に魅了されているからではないだろうか。同性愛と呼ぶには何かずれているだろうが、「あなたと私」の閉じた世界が切ない。フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」や夏目漱石「こころ」の、死に行く男たちに対する語り手の憧憬を思い出した。
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衝撃でござる。
こんなにたくさんのメッセージを作品に込められる作家がいるんだなあ。
ストーリーどうのというよりは、ひたすらメッセージ。
でもストーリーもそれなりに引き込まれるように書かれていてすらすら読める。
主題とはあまり関係ないけど、ゲイ小説の空気感。
解説読んで納得。
ブランチの死後のストリックランドと主人公の会話が一番すき。
「女ってのは、愛したら相手の魂を所有するまで満足せんのだ。」p.266
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下手に感想を書くのがためらわれる。
私のバイブル…になるかもしれない。
ストリックランドや作品の主題についてはあえて触れまい。その代わり、作品の語り手について興味を持ったことを記しておく。
物語の登場人物は全て語り手によって語られる。しかし語り手について語る者はいない。
シニカルで謙虚、道徳を重んじ野蛮なストリックランドに嫌悪感を抱きながら惹かれてもいる。真面目なのか皮肉屋なのか。この語り手がどういう人間なのか示す手がかりは意外と少ない。
この語り手は、冒険に憧れつつあくまで傍観者にしかなり得ない、その他大勢の具現化なのかもしれない。
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ゴーギャンをモデルとしている画家ストリックランドの半生を追った作品。作家である「私」が、ストリックランドとの交流や、彼の死後にタヒチで会った人たちからの聞き取りのような形で話を構成している。
ゴーギャンを描いた本だと、ほかにマリオ・バルガス=リョサの「楽園への道」を読んだことがあるが、対象への踏み込み具合でいうとリョサの方が数段上である。「月と六ペンス」では「ストリックランドめ、墓まで秘密を持っていったか」という感じで、何か逃げてしまっているのだ。そのあたりがモームらしいところなのかもしれないが、ちょっと消化不良に感じてしまった。
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ある日突然家庭を捨て仕事も辞めてパリへ行ってしまうストリックランドを連れ戻すように頼まれる「私」。
理由を聞くと絵を描くためにすべてを捨てたのだという。そしてそのことに何の罪悪感も抱かない。
落書き同然と言われていたストリックランドの絵は後に天才と呼ばれ高額で取引されることになる。
ストリックランドの人生を小説家の「私」が振り返ってまとめた…という形の小説。
解説によるとポール・ゴーギャンをモデルにしたと言われているが相違点の方が多く、著者の創作の可能性の方が高いらしい。
おもしろかったな。タヒチに行きたいと思った。
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話が激しく展開していくのとは裏腹に、読みながらゆったりまどろむような気持ちになって、まるで童話のようだった。
男女の機微が随分ミステリアスに描かれていてかわいいなあ、と思っていたのですが最後の解説を見て腑に落ちました。まあそんなの抜きにしてもオトコとオンナのことは第三者が見てわけわかんないくらいの方が素敵だと思います。恋や愛を言葉で説明したってしょうがないや。
しかしこの登場人物と読み手の間の絶妙な距離感はなんだろう。冗談でも「あーわかるわかる」なんて言えない彼らのシンプルな神々しさは。
どの登場人物をとっても「このひとはきっとどこで何しててもこういう風にしか生きられなかったろうな」と思わせる凄みがあって、人はそれを生命力と言うのかもしれないし、使命とも宿命とも、あるいは呪いの様にも見えるんだけど不思議と恐怖も嫌悪も感じなくて、ただ愛おしい。或いはもしかしたら、羨ましい。
その性格の頑固は、多くの人にはきっと滑稽だったろうけれども本人たちはなかなか満足そうだし私みたいな他人はなにも言えませんのである…。
でもせつないなあ。寂しいなあ。
こっそり言うけど。
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モームのストーリーテリングがうますぎて一気に読んでしまった。
ザ・強者。強者の理論を振りまきまくる人間全然好きじゃないけどここまで強いと美しい。
「それに、夫に戻ってほしいと言うのが愛情ゆえなのか、世間の噂を恐れるからなのか、その辺の判断もつきかねる。夫人の心は破れ、傷ついた。だが、その心の中で、裏切られた愛の苦しみが、傷ついた見栄と混じり合っているのではないかと思うと、私の心中も穏やかではなかった。人間性がいかに矛盾したものかを当時の私はまだ知らず、見栄など醜いだけのものと思っていた。誠実さにどれだけのポーズが含まれ、高貴にどれだけの野卑が含まれ、自堕落にどれだけの善良さが含まれているかを、私はまだ知らなかった」
「ストリックランドはにやりとして、『エイミーの馬鹿め』と言うと、一転、苦虫を噛み潰したような軽蔑の表情に変わった。『女ってのはそんなことしか考えつかんのか。愛・愛・愛! 逃げるのはいつもほかの女のためだと思ってやがる。おい、おれが女のためにパリくんだりまで逃げてくると思うか』」
「世の中に、他人にどう思われようと少しも気にしないと公言する人は多い。だが、そのほとんどは嘘だと思う。実際は、自分がきまぐれにやることなど世間は知らないし、知っても気にしないと高を括っているだけだ。それか、少数の取り巻きにちやほやされ、それを頼りに世間の大多数の意見に逆らってみているか、だ。たとえ世間的に非常識なことでも、それを常識だと言ってくれる仲間がいれば、強引に押し通すこともさほど難しくない。そして、そんなことができる自分をすばらしいとさえ思える。身に危険が及ばないところではいくらでも大胆になれる――その見本のようなものだ。だが、文明人の心の奥底には、実は他者に認められたいという強い願いがある。それは最も根深い本能と言えるかもしれない」
「絶えず傷つきながらも、相手に悪意を抱けない善人。毒蛇に何度咬まれてもその経験から学べず、咬み傷の痛みが治まると、また毒蛇をそっと胸元に抱き寄せる。その人生は、どたばた喜劇に仕立てた悲劇のようだ」
「『言いましょうか。きっと、数ヶ月間はこれっぽっちも頭に浮かばなかったでしょう。自由になった、これでようやく自分の魂が自分のものになった。そう喜んだでしょう。もう、天にも昇る心地だったかもしれません。ところが、です。突然、我慢できなくなります。ふと足元を見ると、天に昇ったどころか、ずっと泥の中を歩いていたことに気づきます。その泥の中を転げ回りたいという衝動が押し寄せます。たまらず、女を探します。粗野で、下品な女。思い切り下卑た女。目をそむけたくなるようなセックスを売り物にする女をね。そして、けだもののように襲いかかり、そのあと、目が見えなくなるほどの怒りの中で飲んだくれるんです』
ストリックランドは身じろぎもせず、私をずっと見つめていた。私はその視線を受け止め、ゆっくりと言葉をつづけた。
『これから申し上げることは、ご本人にも不思議としか思えないでしょう。飲んだくれたあと、酔いからさめると常になく清らかな感じがします。肉体から解き放��れ、霊そのものとなったかのようで、手を伸ばせば美の実体に触れられそうです。そよ風とも、芽吹く木々とも、虹色に流れる川とも親しく会話できるような気がします。一言で言えば、神になった感じでしょうか。そのときの気持ちを私に話してくれませんか』」
「いや、ブランチに限らず、ほとんどの女性がそうだ。だが、実際には、どのような対象にもなびく受け身の感情にすぎない。言わば、どんな形状の木にも巻きつく蔓だ。身の安泰からもたらされる安心感。財産を持つことの誇り、望まれることの喜び、家庭を営むことの充足感が合わさった感情――そこにいかにも精神的価値があるかのように思い込むのは、女の女らしい虚栄心のなせる業に違いない」
『この世は厳しくて、残酷だ。なぜここにいて、どこへ行くのか、誰も知らない。人間は謙虚でなくてはね。静けさの中に美を見つけなくてはならない。悲運に目をつけられないよう、人生をひっそりと生き抜かねばならない。単純素朴、無知な人々に愛されるのがいい。その人々の無知は、ぼくらの知識のすべてよりまさっているから。その人々にならって、ぼくらも口を閉じるべきなんだ。謙虚で、穏やかで、与えられた片隅で満足する。それこそが人生の知恵だと思う』
『女ってのは、愛すること以外に何もできんのだな。滑稽なほど愛を大きなものだと思い込んでる。愛こそ人生のすべてだなんてぬかして、男を説得しようとする。実際はどうでもいいものよ。肉欲ならわかる。それは正常で、健康的だ。対して、愛は病気だ』
「真鍮の塔に閉じ込められていて、他者とは合図でしか意思を通じ合えない。しかも、その合図の意味づけは人ごとに異なるのだから、伝えられる意思は常に曖昧で不確かになる。伝える側は、心に抱く宝物を他者にもわかってもらおうと痛々しいほどの努力をするが、他者にはそれを受取る力がない」
「タヒチ島は高い山をいただく緑の島だ。深い山襞は緑が濃く、そこに目をこらせば、薄暗さの中に神秘を宿した静かな谷が見て取れる。その谷間をさらさら、ぴちゃぴちゃと冷たい小川が流れ落ちる。その光景と音は、太古からこの木陰で営まれてきた無数の生を思わせ、見る者を深い感慨に引きずり込む。この地でも、やはり悲しむべき何か、恐れるべきことどもが起ってきたのか……。だが、そんな感傷は一瞬で消え去り、反動で、いまこの瞬間の喜びがいっそう強く、大きく感じられる」
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画家のポール・ゴーギャンをモデルにして描き、1919年著者45歳で出版された小説。
作家である「私」が親切にしてくれた作家ローズの茶会でストリックランド夫人を紹介され、知り合うと夫人が自宅の茶会にも招待してくれる事になった。
ストリックランド夫人の家族は夫婦と息子と娘の4人家族。
16才の息子はクリケットをしている少年。
14才の娘は母親ゆずりの黒髪豊かなで優しそうな少女
夫のチャールズ・ストリックランドは証券取引所で働いてる株式仲買人。そして、死ぬほど退屈らしい。
茶会は無事終わって、その後ローズからチャールズ・ストリックランドが家族を捨てて失踪したとの噂を聴かされて「私」は困った立場に追い込まれた。噂を聞く前にストリックランド夫人を訪問する約束を伝えてあったかである。
噂は知らないふりをして伺うも隠しきれず、パリでチャールズ・ストリックランドを探して欲しいと頼まれる。
しかし、チャールズを探して話を聞いてみると「俺は帰らない。絵が描きたいんだ。」と言われてしまう。
ストリックランドの絵を描く事に対する情熱は凄まじい物があると思います。それ以外の事には自分の事に対しても無頓着・無関心。
サンセット・モームの小説は始めて読みましたが、なかなか読み応えのある作品だったとおもいました。物作りとは苦しみ生みだすから人に感動を与えるのでしょうか。