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少し前に読んだ本だが、猛烈に印象が残っている。
本書は19世紀に生存した画家、ゴーギャンをモデルとした作品である。ゴーギャン自体、私自身はあまり詳しくないがどうやら只者ではなったらしい。只者ではなかったとはつまり、かなりの変わり者だとか、気違いだとか、そういった意味においてである。
この物語内でもかなりの部分、大変な代わり者の気違い男として描かれている。証券マンとして安定した収入と温かい家庭を突如として捨て、ボロ雑巾のように心の中にある何かを求めて絵を描いて生きる、彼の姿は多くの人の共感を得られるものではないだろう。ましてや結果的に彼の絵が評価される頃にはもう、彼はこの世にいない。
しかし、彼は周りの視線や評価に対しては微塵も興味がなく、ただひたすらに自分自身の内なる声に忠実に生きるのである。それと対照的に彼の妻やその他大勢(これは現代の私たちの大半もそうだが)は何かを基準となるモデルに沿ったりそのコピーとして、自分自身の人格や人生を形作って、謂わば自分の物語を何かからデザインして生きている、ように思う。
つまり、ゴーギャンが正真正銘「自分自身を生きる」を実践していることに、猛烈な印象というか、刺激を受けるのだと思う。常人にはこのような生き方はとても困難であろうし、彼自身が幸せだったかどうかもわからない。
しかしながら何事かに煩わされず自分の信念だけを持って形振りかまわず生きる姿に、見習うべきことがあると思わずにはいられないのである。
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いやー面白かった。
一気に読めた。
芸術家の理想って、こういう生き方だと思う。こうじゃなかったら嘘だ。ここまでは目指せんでも、こういう姿勢を皆、目指すんじゃないか?
芸術は、名誉とか金とか社会一般のモラルなどから人を解放していく作業。
生き方がこうじゃなかったら、やっぱり似非だ。
主人公のストリックランドはとても非情で、地獄行き間違いなしの人物でありながら、それでもどこか心惹かれる。
心の中の欺瞞を徹底して排除している人間だから、普段少なからず心に嘘を持ちながら生きている人間からしたら、う~む、と唸ってしまう気持ちが湧いてくるんだな。
不思議だ。ストリックランドは偶然、本作の中では奇跡的な才能の持ち主であったために、周囲の人々から憎まれながらも助けられた。
しかし、彼は例え誰も、彼を認めず放置しておいても、決して媚びたりせずに無名の闇に消えていったんだろう。何も文句も言わずに。
異常なまでの信念に取り憑かれて、最後まで飼いならされない情熱を胸に抱き続けた芸術家、俺は憧れるなあ。
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新訳だったからか、とても読みやすかった。
やっぱり偉大と言われる芸術家は、この作中のストリックランドのように魂を捧げるようにして作品製作に取り組むのだろうか。
ただ、天才と言われる芸術家は変わり者で、作品製作のことしか頭になく、生活は貧しい、といったありきたりな設定がちょっとどうかと思う。
作品としては、1人の芸術家の人生を追っていく小説として面白いと思う。
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株の売買人から画家となり、タヒチで芸術活動に励んだポール・ゴーギャンをモデルとする架空の画家、ストリックランドの生涯を描いた小説。
なぜストリックランドは突然、妻を捨てて、画家となったのか、その心情は全くわからない。しかし、男とは気まぐれに人生を何かに賭けたくなるのだろうか。その一方で、ストリックランドの妻は現実的だ。生きるために、自分を捨てた夫の名声を利用する。
この夫婦の対比が強烈な印象に残った。
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ぶっとんだ画家が主人公。
そのやり方の是非はあるものの、夢を貫くことにひたむきな姿勢に逆に爽快感を覚える。
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天才画家といわれたストリックランドの生涯を語り手である作家が語るという手法をとった作品。
突如妻子を捨て、絵を描き始めたストリックランドがわけがわからないけれど、なんとも魅力的で不思議…。どんな絵だったのか、見たくなります。
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証券取引所に勤め、芸術好きの美しい妻と
可愛らしい2人の子どもと暮らす
平凡で幸せな生活に満足しているように見えた。
しかしストリックランドはある日突然パリに失踪した。
夫を捜して欲しいと夫人に頼まれた私が見たのは
安っぽいホテルで身なりも乱れ、絵に向かう彼の姿だった。
その後親切にしてくれた三流絵描きのストルーブ夫妻の生活を
めちゃくちゃにして乞食同然の暮らしを送り、
彼はバリに向かうのだった。
装画:望月通陽 装丁:木佐塔一郎
人間の持つ多面性が描かれた作品だと感じました。
善良な市民であり荒々しい絵描きであるストリックランド、
芸術好きの妻からキャリアウーマンに転進したエイミー、
審美眼を持ちながら自分の絵は優れないストルーブ、
従順な妻であったはずが情熱に身を焦がしたブランチ。
彼らの理不尽な姿が物語を一筋縄ではいかせません。
これに対して語り手である「私」の設定が曖昧だったのですが
最後の解説でモームがゲイであったという背景を受けて
そういう意味もこめられた作品だったのかと驚きました。
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ゴーギャンの伝記かと思っていたが、まったく違った。
こんなに面白い本とは。
中野好夫訳や原書も読んでみたい。
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俗っぽい言い方だけど、「キャラが立ってる」んだよね、この小説の登場人物は。
最後に婦人を登場させたのが何とも好きなところだ。
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美を追い求めて、地球の反対側にあるタヒチへ旅立つゴーギャンと、夫の芸術を理解しない、気位の高い妻。サマセット・モームはひとりの画家の旅を題材にこの小説を書きました。
作家モーム自身も一生を旅のなかで過ごした作家です。作家となってまずスペイン、アンダルシアへ旅し、フランス、イタリア、ベルギー、スイスとヨーロッパを点々とする生活を送ります。月と六ペンスはタヒチをはじめとする南太平洋の島々を巡った2年後に出版。ベストセラーとなりました。しかしそこで落ち着くこともなく、今度は豪華客船で世界各地を旅します。
この本の主人公はたしかにゴーギャンなのですが、モームの旅小説といってもいいでしょう。彼が描いた椰子の林や陸ガニ、素朴なバンガローはいまもタヒチのそこここで観ることができます。なぜ、ゴーギャンはタヒチに渡らなくてはならなかったのか、は、モームがタヒチへ旅した理由と交差しています。そこに自分のタヒチ旅行を重ねてみる。なんて贅沢な読書なんでしょう。
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ゴーギャンがモデルの画家話。
予想に反して、非常に通俗的で面白かった!
芸術に対する深い洞察と表現と、男と女のドロドロとした軽薄な舞台。
質の高い娯楽小説でした。
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2011私的ベストのかなり上位に来そうな物語。
破天荒な芸術家ストリックランドは、本国の妻を捨てフランスの親友夫婦を破滅に導き、さらには南洋の島へと旅立ってしまう。それでいて徹底的に自己中心的で、彼が描く絵画は不思議な魅力を放っている。
周囲の人間を巻き込んでは傷を負わせるストリックランドのような男の人生の足跡がここまで面白く読めるのは、彼が偉大な芸術家だからということではなくて、ストリックランドを語る「私」が彼に魅了されているからではないだろうか。同性愛と呼ぶには何かずれているだろうが、「あなたと私」の閉じた世界が切ない。フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」や夏目漱石「こころ」の、死に行く男たちに対する語り手の憧憬を思い出した。
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衝撃でござる。
こんなにたくさんのメッセージを作品に込められる作家がいるんだなあ。
ストーリーどうのというよりは、ひたすらメッセージ。
でもストーリーもそれなりに引き込まれるように書かれていてすらすら読める。
主題とはあまり関係ないけど、ゲイ小説の空気感。
解説読んで納得。
ブランチの死後のストリックランドと主人公の会話が一番すき。
「女ってのは、愛したら相手の魂を所有するまで満足せんのだ。」p.266
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下手に感想を書くのがためらわれる。
私のバイブル…になるかもしれない。
ストリックランドや作品の主題についてはあえて触れまい。その代わり、作品の語り手について興味を持ったことを記しておく。
物語の登場人物は全て語り手によって語られる。しかし語り手について語る者はいない。
シニカルで謙虚、道徳を重んじ野蛮なストリックランドに嫌悪感を抱きながら惹かれてもいる。真面目なのか皮肉屋なのか。この語り手がどういう人間なのか示す手がかりは意外と少ない。
この語り手は、冒険に憧れつつあくまで傍観者にしかなり得ない、その他大勢の具現化なのかもしれない。
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ゴーギャンをモデルとしている画家ストリックランドの半生を追った作品。作家である「私」が、ストリックランドとの交流や、彼の死後にタヒチで会った人たちからの聞き取りのような形で話を構成している。
ゴーギャンを描いた本だと、ほかにマリオ・バルガス=リョサの「楽園への道」を読んだことがあるが、対象への踏み込み具合でいうとリョサの方が数段上である。「月と六ペンス」では「ストリックランドめ、墓まで秘密を持っていったか」という感じで、何か逃げてしまっているのだ。そのあたりがモームらしいところなのかもしれないが、ちょっと消化不良に感じてしまった。