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これ自体も悪くはないのだが、個人的には新潮文庫版の訳のほうがよりすっぱりとまとまっていたように感じる。チャールズ・ストリックランドという画家のモデルとなったポール・ゴーギャンの絵を見ながら読むとより質感がリアルに感じられる…かもしれない。
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読みやすい翻訳、内容だったため珍しく2日ほどで読了。
ストーリの構図、時代背景、キャラクターのリアリティどれを取っても申し分なく楽しめました。
同時に芸術とは何かを考えさせられます。
少なくとも自分にはその目があるとは思えないのでこういう物語性が裏にあることで、ゴーギャンの絵に俄然興味が湧いてきました。
尤もストリックランドとゴーギャンの共通性については認識していないのでどこまでを本書を投影してみて良いのかはあるのでしょうが。
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一つだけはっきりわかったことがある。それは、人々が美について気軽に語りすぎるということだ。語感に欠ける人間が言葉を杜撰に使いつづけると、言葉は力を失う。あれもこれもが同じ言葉で語られるうち、その言葉が本来表すべきものの尊厳が損なわれる。人はドレスを美しいと言い、犬を美しいと言い、説教を美しいと言う。そして、「美」なる言葉で表すべき当のものに出会ったとき、それを美と認識できなくなる。(pp.250-1)
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ストリックランドのとてもストイックで芸術家的な性格に面白さを感じた。目に見える六ペンスよりも、精神面に訴えかけてくる月の美を追求する生き方は素晴らしいと思った。
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図書館で借りた本。ストリックランドはゴーギャン、ストルーブはゴッホ、作家はモーム自身をモデルにしてる話かな。とにかくストリックランドは女にモテるのだが分かるような気がした。人間の誠実さを美徳とするなら正反対の性格。だが野性味溢れる身体を持ち、圧倒的な天才さを感じさせる絵画を描く。全ての人を魅了した訳では無いが原始的・狩猟民のような力強さを感じた女性は本能で惚れてしまうのだろう。月は理想・六ペンスは現実。理想を追求し続けるストリックランド。最期はタヒチの山奥で家の壁に絵を描いて癩病で死ぬが絵に圧倒される医師、遺言で家を燃やす現地妻。寂しい老年期では無かったと感じた。
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B933.7-モム 300011194
舞台はロンドン。ちょっとひねくれたイギリスの紳士と彼に関わる人々たちの物語。読書の秋にふさわしいミステリーと独特な美術がクセになる!!
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三流の画家がいます。恋女房と二人暮らし。病気になった貧しい友人を、自宅に引き取って世話をします。
妻もはじめは反対しましたが、夫と共に、甲斐甲斐しく看護します。
男二人、女一人の共同生活。
引き取られた友人も画家。全く売れていません。
でもこの人は天才。天才画家です。
三流画家は、何とか上手く画を売って暮らしています。自分が三流であることも自覚しています。優しく、知性的で、画を見る鑑賞眼、批評眼を持っています。画が、芸術が好きです。
そして、友人のことを、天才画家だ、と見抜いています。
その天才画家は、画を売ることに全く関心がない。認められることに興味がない。最低限の生きていくお金を、怪しい仕事で稼いでいる。極貧。独身。寡黙。粗暴。野性的。傲慢。超絶な変人。世間のモラルの外で生きています。
そして、黙々と個性的な画を描く。
天才画家は、やがて快癒します。去る日がやってくる。ところが。
三流画家の妻が「あたしも出ていきます」。
天才画家は、三流画家の妻と、欲望のままに関係していました。
天才画家は、無言です。彼は、どうでも良いんです。どっちでも良いんです。
そのことを、三流画家も、妻も、よくわかっています。
でも妻は「私はもう彼を愛しています」。
三流画家は、妻に懇願します。哀願します。すがります。
とうとう三流画家は、「愛しい君を、極貧の極寒の不潔な世界に追い落とすことはできない。僕が出ていく」。
自分の快適なアパートメントを、妻と、天才画家のカップルに明け渡して、身一つで、パリの街に去っていきます…。
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ゴーギャンのお話です。
と、言うと正確ではなくて。画家として有名なゴーギャンさんをモデルと言うか、参考に?して、サマセット・モームさんが書いたフィクションです。
悪魔的に面白い。
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ゴーギャンさんは1848−1903。パリ生まれのフランス人。
晩年は、理想郷を求めて?南太平洋のタヒチに移住しています。
1848年生まれですから、ちょうど、ナポレオン三世の時代に生まれたことになります。
ナポレオン1世が有名ですね。1815年に失脚して、フランスはなんとなくまた「王政」に戻りました。でも、ぼちぼち「王政」は時代遅れで。いろいろあって1848年に二月革命っていうのがあって、共和制に。その中からナポレオン三世(ナポレオン1世の甥)が選挙で選ばれて、やがて「共和制っぽい中で一応皇帝」という地位に着きます。
この時期はヨーロッパの強国はみんな、アジアやアフリカに侵略して直民地にして、国家としてボロ儲けをする、という時代ですね。フランスもそうしていました。
そして1870年、ゴーギャンさんが22歳くらいの頃にナポレオン三世は普仏戦争に負けて失脚、再びフランスは完全な共和制になります。それ以降、フランスは2016年現在までずーっと共和制です。
パリの芸術家、ということで言いますと。
ゴーギャンさんは、ルノワール、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、といったあたりと同時��。交流もありました。ゴッホとの奇妙な友情は有名ですね。
(この小説ではそこは触れていません。伝記ぢゃないんです)
(ちなみにルノワールさんは普仏戦争に従軍しています)
ルノワールさんが筆頭有名ですが、印象派というグループが台頭するのが1874年。第1回印象派展。
その頃に同年代のゴーギャンさんは何をしていたか。なんと株式仲買人でした。それなりに成功も収めて、市民的に結婚して子供も授かっていました。余暇に画を描いていました。
30歳過ぎ、40歳くらいから、なんでかはともかく、職業画家になろうとするんですね。世間は印象派華やかなりし頃。その中で、認められません。不遇。貧乏。事実上離婚。家庭と市民生活を捨てます。
そのまま、徐々に一部から認められながらも、我が道を進み、南太平洋で暮らして死にます。
(ちなみに、1868年、ゴーギャン20歳、この年が日本で言うと明治維新です。だからまあ、日本人で言うと伊藤博文とか、やや年上ですが坂本龍馬さんとか新撰組なんかと、同世代になります。
幕末明治と日本の浮世絵が流入して、全てのヨーロッパの画家に驚きと賞賛で受け入れられ、強い影響を与えたそうです)
(ちなみに、ピカソさんが1881年生、マティスさんは1869年生。ゴーギャンさんやルノワールさんよりも、30〜40歳くらい下になります)
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小説「月と六ペンス」は、1919年に出版されています。ゴーギャンさんが、晩年にそれなりに有名画家になって、南太平洋で死んでから16年後。
なんていうか、岡本太郎さん(1996年没)をモデルにした小説、みたいな距離感ですかね。
描いたサマセット・モームさんは1874年生まれですから、「月と六ペンス」の出版時、45歳くらいでした。
モームさんはイギリス人です。若くから成功した小説家で、パリでも暮らしていたから、フランスもよく知っているわけですね。
でも、小説「月と六ペンス」の天才画家、チャールズ・ストリックランドはイギリス人の設定になっています。
ゴーギャンと同じく株式仲買人として普通に暮らしていましたが、蒸発するように妻子をロンドンに残して、パリに行ってしまう。全てを捨てて、もう若くもないのに画家になってしまいます。
そして、この狂気の天才、ストリックランドさんが、パリで無茶苦茶な人生を送った後、タヒチで過ごして死ぬまでを、知人のとある小説家「わたし」の目線で描きます。
つまり、モームさん自身のような小説家が、「月と六ペンス」の語り部です。
なので、狂気の天才の異常な人生を、「面倒で厄介な男だなあ…天才なんだけど」という距離感で眺めている人の語りで楽しむ趣向です。
あくまで、狂気の天才の頭の中、心の中に、分かったようなふりをして入り込んだりしない。
ここの仕掛けが、この小説の謙虚さであり、上品さであり、面白さであると思います。
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ストリックランドさんは、極貧と不潔といかがわしさと孤独の中でひたすら画を描きます。彼はなぜ描くのか。
それは本人ぢゃないから、わかんないんです。
でもどうやら、彼は、自分の内側の何者かに突き動かされるようにして、自分の内側の求める至高の芸術の奴隷となって、描いているようです。
そのストイックさ、世間との乖離具合は、怖いくらいです。
ハッキリ言って、これで描いたものが評価されなかったら、生前だって死後だって、ただの異常者です。
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ロマンチックな小説ではないなあ、と思いました。
凄まじいイキモノの記録を、叙事的に突き放して楽しませてくれる感じです。
むしろ、冒頭のお話の、「妻を寝取られた三流画家」みたいな、ストリックランドに振り回される常識人の悲哀のほうが、皮膚感覚としてはわかります。面白い。このあたり、小説として上手い。
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それでも、貧しさと狂気のローリング・ストーンのような、ストリックランドの異常な人生は面白い。転がるように南太平洋の孤島について、現地の人々との暮らしに、一種の安住を見出してしまう。
そして、そこで、老いて。病魔に侵されて。
死の間際まで憑かれたように描き続けた姿には、もはや、分かるとか分からないを超えて、突き上げてくるヒトの情熱みたいなものに、鉄槌で打たれるような味わいでした。
序盤はちょこっと入りづらいですが、ストリックランドがパリに蒸発してしまうあたりから、俄然面白くなって、そのまま読み終わりました。光文社古典新訳文庫、400ページちょっと。
モーム、西洋絵画、ゴーギャン、パリの絵描き、芸術家の物語、そんなものに興味あれば、実に楽しめると思います。
丁度、フランス映画「モンパルナスの灯」を観たりもしたので、読みやすかった気もします。アレはモディリアーニさん(1920生)のお話ですが。
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ただ、ちょっと思うのは。
きっとこの小説は、「かなり創作しているけど、ゴーギャンさんがモデルですよ」という入り口で読者を誘っているんですよね。恐らく出版当時から。
そして、「かなり創作しているんだろうけど、ゴーギャンもこんな感じだったんだろうなあ」と読み進める訳です。
(どのあたりのエピソードまでが実際にゴーギャンさんの話なのか、そのあたりは分かりませんし、まあ、その辺は敢えて追求もしませんが…)
そこンところ抜きにして、フィクションの物語として読んだ場合、どうなんだろうっていう気はちょっとします。
だからと言って伝記小説でもないんで。
ちょこっとズルいような気もしますね…。
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ストリックランドは絵を描くため突然家族を捨てたり、ストルーブの妻を奪った末自殺に追い込んだりと、“人間の屑”だと思います。けれど、ストリックランドの生き方には憧れてしまいました。「何が何でも描かねばならん(p88)」という情熱があり、「他人の意見などほんとうに気にならず(p99)」、「いまは幸せですか」という問いに「ああ(p147)」と答えられる、そんなストラスブールが羨ましいです。
やりたいことがあって、他人を気にせずそれをやっている人たちが輝いて見えて、“幸せ”について考えさせられました。
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人間は本来矛盾を包含した複雑な存在であることが、ストリックランドやストルーブなどの人物像の描写から感じ取られた。知らない時代、知らない土地、知らない文化が頭の中に浮かぶような鮮やかな情景描写に惹き込まれた。小説自体とても素敵ではあったけれど、最後に解説を読んでいる時が一番楽しかった、という意味でもとても新鮮な感覚があった。
訳本が素敵であるが故に、やはり英語で読めたらどんなにいいかと思わされた。いつか挑戦したい。
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これまた”百年の誤読”から。お世話になりまくってます。まず、タイトルから内容があまり見えてこず、作家に対するイメージも持ち合わせていないから、全くフレッシュな状態からの読書体験。ほぼ1世紀も前の作品にも関わらず、全く古臭さを感じさせられなかったのは、作品の持つ強さもさることながら、翻訳が素晴らしいから。土屋さん、「日の名残り」もそうだったんですね。どうりで、作品の持ち味を存分に堪能させて頂ける訳です。タイトルは結局最後まで出てこないけど、解説を見て、なるほど”月とスッポン”のことかと納得。でも六ペンスってあまりにも直接的で、それに関していうと、スッポンと比較した本国の諺に軍配が上がりますね。それはさておき、内容に関しては、人物造形がまず強力無比です。作中で語られる対象たる画家の、鬼畜ぶりといったら。あまりに極端すぎて、怒りやらを通り越してもう笑わせてくれます。そこまで酷い人間が、とうとう落ち着いてしまうタヒチって、ここで描かれる風景の美しさも相俟って、彼の地に対する憧憬が自分の中に溢れてきます。当時から結構売れた作品みたいだけど、現代においても全然輝きを失わない、魅力的な作品だと思いました。
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2020年8冊目。
道徳を超えた衝動。道理をわきまえない情熱。危険であるとわかりながら、それを選ばずにはいられない人間のpassion(情熱/受難)を、ここまで見事に描いた作品が他にあるのだろうかと思う。
この本に表れている人間の心情の機微は、一字一句逃さずに浸りたいと思わされる。他の翻訳版も何度も読んできたけれど、何度読んでも「読み終えた」という気がしない。僕にとって、一生気になり続ける作品なのだと思う。
本屋さんの棚に一冊差さっていたこの物語。タイトルだけに惹かれて衝動買いしたかつての自分に感謝するしかない。
▼角川版感想
https://booklog.jp/users/fantasista10/archives/1/4042973027
▼新潮版感想
https://booklog.jp/users/fantasista10/archives/1/4102130276
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夫が出奔したのが絵を描きたいという理由に納得できず、あくまでも女に一目ぼれしてその女を追ってパリへ行ったという流言を自発的に流すストリックランド夫人の心情がよく理解できなかった。自分より魅力のある女性に負けたという方が恥じゃないか…?男の庇護にあることこそ価値があるという今では考えられない思考が当たり前だった時代なんだなと思うとこういったところに通俗小説としての価値があるのかなと感じた。
ストリックランドがゴーギャンをモデルにしているというけれど、晩年のクレイジーさと、亡くなってから名声を浴びるというところから私がイメージしたのはゴッホだった。
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ゴーギャンの絵が好きになった頃、講師に教えていただいて知った本。人間的にあまり好きではないけれど、自分の意思を貫く頑固さは、私も少しは見習いたい。ストリックランドはちょっとやりすぎですがね…。
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イギリスからはじまり、パリ、タヒチへと旅し、最後にイギリスへ戻る。スタートとゴールは同じ場所だが、価値観が180度回転している。いや、もしくは回転していないのかもしれない。つまり、ストリックランド夫人は最初も最後もスノッブだったということだ。夫どう評価しようと、彼女の根幹は揺るがなかったとも言える。
それはともかく、おもしろい小説だ。おとなしく、特徴もなかったストリックランドがパリで鬼のような生活をして、タヒチで魂の自由を手に入れる。土地が人に影響を与えるのだろうか。それとも、人は自分にあった土地をそのつど見つけるのだろうか。
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題名に惹かれて読み始めた。エキセントリックな画家を、近くで見ている主人公の視点から描く。ゴーギャンをモデルとした画家のキャラクターが印象的。偏屈でぶっ飛んでいて、「こんな人現実には存在しない」と思わせる反面、生き生きとしたリアリティを持って描かれているため「作家とゴーギャンは知り合いだったのか?」と想像させられる。解説でモームが同性愛者であったことについて触れられていたが、画家を近くで見守り観察する主人公の視点にその片鱗が感じられるような気がした。