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紙の本
読書体験の原点
2023/03/21 02:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
学齢期に初めて読了して以来、
飽かず読み返してきた本です。
折に触れ繙く度に、
作中の登場人物と出来事とを、
その時点の自分の人生を取り巻く事柄に
重ね合わせて味わい直すわけです。
昨今ヮ、根強い人気も相俟ってか、
映画化されたほか、五指に余る新訳が
あらわれてもいます。
敢えて本作の訳文上の好みを言えば、
個人的な思い入れの深すぎる、
この、高橋健二訳の岩波書店旧訳版に
止めを刺します。
紙の本
こんなに魅力的な先生たちに会ってみたい
2001/07/23 12:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:呑如来 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「飛ぶ教室」というのは、この物語の舞台であるドイツのヨハン・ジギスムント高等中学の寄宿学校で、クリスマスに演じられる劇の名前です。この未来の学校はどうなるかを予想した劇それ自体もなかなか示唆に富んでいるのですが、この物語が凝っているのは、まえがきとあとがきに語り手が登場し、この物語について読者に語りかける構成をとっているところでしょう。この場面によって物語の真実性が増し、子供たちも登場人物へ感情移入しやすくなるはずだからです。といっても大人の私も存分に寄宿舎生活を満喫することができました。
男の子だらけのドイツの寄宿舎は萩尾望都の漫画にもたびたび描かれていますが、この作品が素晴らしいのは、登場する先生たちがとっても魅力的なこと!
“禁煙先生”、“正義先生”という名前からも、彼らが生徒たちにとても慕われていることが感じとれます。そして世捨て人のような禁煙先生は、大人というよりみんなのお兄さんという存在で、生徒たちが他の学校の生徒と決闘したり、弱虫だと思われていた子が勇気を見せるために高い鉄棒の上から飛び降りたりしても、そのことについて叱ったりしません。むしろ少年から大人へなるためには欠かせない通過儀礼だと是認しているのです。上からではなく横からの視点でアドバイスをくれる先輩、そんな存在が少なくなった今だからこそ、いろいろなエピソードがとても心に染みます。
友情、親子の愛が等身大で描かれており、クリスマスの時期にはぜひ読み返したい一冊です。
紙の本
それでも、少年の目を忘れるな
2000/08/16 17:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:乾侑美子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ケストナーは古いだろうか。子どもには子どもの世界があり、全力で成長しようとする。周囲の大人たちには、さまざまな問題をかかえてぶつかってくる子どもたちをしっかりと受け止め、導く。存在感がある。そういう世界の話は、どれほど筋立てがおもしろく、会話はいきいきとはずんでユーモアに満ち、読み手をぐいぐいひっぱっていく力をもっていても、過去のものでしかない..だろうか。
子どもと大人の境目は、あやふやになってしまった。子どもは、苦しみながら成長しようとはせず、なんとなく大人になる。大人は大人で、なんとなく大人にはなったが、成熟した一個の人間としての存在感からはほど遠い。誰もかれも、一見問題がなさそうで、それゆえにこそ、生きているという実感も希薄でしかない。こんな子どもや大人には、『飛ぶ教室』の世界は、まるで絵空事にしか見えないかもしれない。だがそれでも、私は、一読をすすめたい。こういう世界があることを知らせたい。
ケストナーはモラリストだった。自分自身の生き方もそうだったが、人はこうあるべき、生きるということはこういうことだ、という確固とした信念があり、正面からそれを語った。とびきりおもしろい、読み手をぐいぐいひきつける物語として。
『飛ぶ教室』には、それぞれの問題を抱えた、さまざまな子どもたちが登場する。読み手はたやすく、その中の一人に自分を重ねあわせられる。どの子も、切実な実在感を持っているからだ。こういう少年の目を忘れるな、自分が子どもだったことを、大人になってもけっして忘れないでと、ケストナーはくりかえす。
ケストナーのこの思いは、実際、危機的な状況を背景にしている。『飛ぶ教室』は、1933年に書かれた。ナチスが台頭した年である。ケストナーは、ヒトラーに熱狂する人々の姿を目の当たりにしていた。ヒトラー個人と、この総統に熱狂する人々と、どちらがより多くケストナーを絶望させたか、それは分からない。冷厳な目を持つケストナーには、行く末がどうなるかも充分予測できただろう。彼自身も著作活動を禁じられ、出した本を公衆の面前で焼かれた。その現場に、命の危険を冒してケストナーは出かけていき、一部始終を見届けている。そうして文化人が次々に国外に脱出する中、ひとりドイツに止まった。ユダヤ人ではなかったからこそ、それが可能だったのではあるが、命の危険は常にあったし、最後にはほんとうに、命からがら脱出しなければならなかった。『飛ぶ教室』は、ケストナーが戦前に出せた最後の本である。その中で、最後の希望を子どもという存在に託したのだ。
『飛ぶ教室』はおもしろい。けれど、読後にむなしくなる。これは結局、一つの理想郷にすぎないから、という意見もよく聞く。だが、求めて得られない理想郷ではあるまいと、私は思いたい。こういう友だち、こういう先生とめぐりあいたい..そう願う心は、やがて、それにふさわしい自分になろうという努力に結びつくだろう。
訳文について触れたい。ケストナーを読むならどうしても高橋健二訳で、という人が少なくない。日本語としては多少ぎくしゃくした、ドイツ語が二重写しになって見えるような、この独特な文体を、今の子どもだちが読みこなせるだろうか。どうか読みこなしてほしい、と思う。そうしてさまざまな味わいの、ことばのおもしろさに気づいてほしい。