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有名な宗教指導者が「ゆるす」ということを、どう語るのか知りたく購入。
2020/11/21 21:41
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投稿者:まお - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名な宗教指導者が、「ゆるす」ということを、どのように語られるのか知りたく購入。章ごとに、「思いやり、愛するということ」、「自由と権力」、「祖国チベットについて」、「再生、平和への道」とテーマが分かれています。色のコントラストが比較的ハッキリとした印象の強い写真が多いように思います。写真とダライ・ラマ14世の言葉が掲載されています。2008年の記者会見の内容や、Q&Aも掲載。Q&Aには、「ダライ・ラマの一日」として、一日のスケジュールが24時間円グラフで表記されたものもあり「こういう一日を送られているのかぁ」と思いました。
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うえつじといえば、テンジン・ギャツォが大好きであることで、日本ではつとに有名ですが、今回はそんなダライ・ラマ14世のお言葉を紹介します。
・怒りや憎しみでは、問題を解決することはできません。それらを解決できるのは、思いやりと真の優しさによる癒しだけなのです。世界平和を持続するための手段は、「思いやりによるゆるし」しかない。私はそう思うのです。
・人類、さらにはすべての生きとし生けるもの--人間も動物も--には、幸福を求め平和に暮らす権利があります。これとは反対に、他人に痛みや苦しみを与える権利を持つ者など一人もいません。
・ゆるしの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、「自分を自由にする手段」なのです。
・愛、ゆるし、思いやりにより、私たちはさらなる希望と決意を手にし、より明るい未来に向かって進むことができます。怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます。
・利己的な考え方は他者を害するだけでなく、まさに自分が望んでいる幸福を阻害します。
・本当の意味の思いやりは、まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。まず自分自身に思いやりを持ち、それを周りの多くの人たちに向けて広げていくのです。つまり、自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、他者を思いやることなど不可能なことだからです。
・私たちは知らず知らずのうちに、愛や思いやり、協力、いたわりといった人間になくてはならない最も基本的なものを育むことを忘れるほどに、物質的進歩に夢中になってしまったのです。
・今の自分の幸福があるのは、すべて他人の勤勉な努力のおかげです。自分の周囲を見回して、住んでいる家も、働いている建物も、使っている道路も、着ている服も、食べている食物も、すべて他人が提供してくれたものであることを認識しなくてはなりません。見知らぬ無数の人々の親切がなかったら、これらのどれ一つとして存在せず、享受することも利用することもできないのです。
・人権は万人共通の関心事です。なぜなら自由と平等、そして尊厳を求めることは人類に本来備わっている性質であり、私たちにはそれを獲得する権利があるからです。
・不幸なことに、最も声をあげられない人々こそが、人権を奪われている人々なのです。したがって、こうした自由を享受している私たちこそが責任を負っているのです。
・どんなにひどいやり方で強制しようと、暴力は人間が根源的に求める自由への願望を押さえつけることは決してできません。
・政治それ自体はなんら汚いものではありません。人が政治をそうしているのです。
・経済は大切です。しかし、人間性はもっと大切です。人権や環境問題など、経済より大切なことはたくさんあります。利益を求めてビジネスの世界で関係を築いていくときにも、大義を見失わないことが肝心です。
・怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なの���す。これこそ私たちが全面的に立ち向かい克服すべき相手なのであり、人生に時として現れる一時的な「敵」は真の敵とはいえないのです。
・普段、あなたの怒りが10分間続くのなら、8分に減らしてみてください。次の週は5分に、次の月は2分に減らしてください。そうして怒りをゼロの状態まで持っていってください。そうやって、心を鍛えてください。
・宗教の目的は、美しい教会や寺院を建てることではなく、寛容、高潔、愛といった肯定的な人間の資質を培うことにあります。
・裕福であれ貧しくあれ、教育を受けていてもいなくても、どの国家に、どの宗教に属していようと、どのイデオロギーを信じていようと、最終的に私たちひとりひとりは、他の誰とも変わらないひとりの人類にすぎないのです。私たちすべては幸福を望み、そして苦しみを望みません。
・たとえ過去に深く傷ついたとしても、怒りや憤りを手放すことができます。我慢強さと寛大さでそのときの状況を冷静に分析すれば、「過去は過去だ。だから怒りや憎しみを抱え続けていても意味がない」ということに気付くことができます。
・心の内なる平和と社会的調和を同時に体験するには、物質的進歩に精神的進歩が伴わなければなりません。心の内なる平和なくしては、心のやすらぎが欠けていては、平和を保ち続けるのは不可能です。
・精神的な幸福は、五感で味わう快楽よりはるかに大切なのです。快楽が続くのは短い間ですが、本当の幸福とは長期にわたって続くものです。
・古くからの友人は去ってしまいましたが、新しい友人がやって来ます。毎日の生活と同じことです。古い一日が過ぎていき、新しい一日がやって来る。重要なのは、それを意味のあるものにするということです。つまり大切な友人、あるいは有意義な一日にするということなのです。
・自分の欠点にひとつでも気付くことは、他人の百個の欠点に気付くことより、ずっと有益なことです。
・自信を喪失してはいけません。人間には皆、同じ能力が備わっています。「私は、価値のない人間だ」と考えるのは、間違っています。全くの誤りです。自己を欺いているのです。自信を失い、「私のような者に一体何ができるのか」と思うなら、成功への道は閉ざされてしまいます。
・世界は美しく平和だ、ととらえることは間違っています。この世に苦しみがあり、この世に悲劇があるかぎり、私たちはそれを自分の体験として感じていかなければならないのです。飢えている人がいるのに、自分だけが飽食してはいけないのです。心が痛む現実や、他の人が苦しんでいる状況をしっかりと見据えて、ひとりひとりが考えていくべきです。
・宗教を信じようと信じまいと、思いやりの心は私たちが生きていくのに役に立つものです。なぜなら、身体に調和をもたらしてくれるからです。思いやりの心を育めば心身ともに健やかになれます。
ダライ・ラマ14世も今年でもう75歳。なんとかならんものかしら。中国次第なんだけどね…。う~ん…(-""-;)
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読みながらずっと涙が止まりませんでした。
戒律のため朝昼しか食事をとらないけど時々お腹がすいてビスケットなどを食べてしまうそうで、
大変失礼ながら萌えてしまいました。
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東日本大震災がおこる前から読み始めていたが、震災後また読み返した。ダライ・ラマ法王の言葉が、よりいっそう胸に響いた。
他人を思いやることが大切。当たり前のことだけど、ときどき忘れてしまいそうになる。つらいときこそ、もっと恵まれない境遇の人々のことを考えられる人間でありたい。
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ゆるしの気持ちを身につければ、
その記憶にまつわる負の感情だけを
心から手放すことができるのです。
ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、
「自分を自由にする手段」です。 (P6)
愛、ゆるし、思いやりにより、
私たちはさらなる希望と決意を手にし、
より明るい未来に向かって進むことができます。
怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、
苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます。 (P8)
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心を穏やかにしてくれるチベットの大自然の風景や、厳しい自然の中で生きる人々の真剣な表情の写真が、ダライ・ラマ14世の言葉といっしょに紹介されています。
「ゆるしとは『相手を無罪放免にする手段』ではなく、『自分を自由にする手段』です」「愛、許し、思いやりにより、私たちはさらなる希望と決意を手にし、より明るい未来に向かって進むことができます。怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます」など、「ゆるす」ことの大切さがしみじみと身にしみてくる本です。旅先での静かな時間をともに過ごすのにもおすすめです。
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ダライ・ラマの言葉はありがたい言葉の一言である。
目から鱗の言葉が幾つもあった。
だだ後半部分が、ちょっと宗教的意味合いが強く、少し残念である。
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ダライ・ラマ14世の名言集で、「ゆるし」をテーマにしている。書かれている事は、とてもシンプルで、どこかで聞いた事のあるものばかりだが、彼の言葉として聞くと、一言一言に納得してしまう。
ゆるしとは「相手を無罪方面にする手段」ではなく、「自分を自由にする手段」です。
この一文が特に重かった。ほんと「ゆるし」とは、永遠不変のテーマだと思わされる。
またこの本のもう一つの目玉は、野町和嘉氏による写真が沢山使われている事。写真には、チベットの風景とそこで暮らす人々が収められている。
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ダライ・ラマ14世の言葉が、チベットの写真とを背景にして紹介されているもの。
彼とガンジーのイメージが重なるのは、大まかな意味で同じ仏教思想に属しているからかと思っていましたが、ダライ・ラマは意識的に、ガンジーから「非暴力」思想を受け継いだそうです。
ガンジーのように菜食主義者だったが、肝炎になったため、肉も食べるようになったとのこと。
チベット仏教は、かなり密教めいた独自の性質をもつものですが、ダライ・ラマは常に万人にわかりやすい言葉を発しているため、抵抗感なく親しめます。
1959年にラサを脱出してから一度もチベットに戻れていない彼。
中国のチベット迫害に心を痛めながらも、非暴力を徹底させている、その静かな抗議が報われる日が来ることを祈るばかり。
彼は「反中国的で独立を目指しているわけではなく、中国の一部としてとどまりたい。それによって経済的な発展を得られるから」と言っていますが、中国の全体主義は、その独自性を許さないものなのでしょうか。
フビライ・ハンがチベット仏教の熱心な信者だったため、元に支配されてからも、チベットは独自の進化を遂げたということを初めて知りました。
また、ハインリッヒ・ハラー原作の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を観ましたが、実話だったということも。
彼は19歳の時に北京で毛沢東から「宗教は毒だ」と言われて戦慄を覚えたそうです。
この時点ですでに、相容れない対立が予想されていたのでしょう。
厳寒の厳しいチベットで貧しくもつましい生活を送る人々の写真が掲載されていますが、その中に鳥のために少女の遺体を切り刻む写真があって、ショックを受けました。
チベットは今でも鳥葬が行われている地方ですが、ただ遺体を置くわけではなく、鳥がつつきやすいように遺体を解体しておくものだったとは。
静かに耐え続ける民と、彼らの平和を訴え続けるダライ・ラマ。
メッセージ性が強く、わかりやすい本ですが、タンカやナーランダといった専門用語が、説明なしに登場したため、よくわかりませんでした。
ダライ・ラマ法王日本代表部という機関もあることを知りました。
思ったよりも孤独な宗教、援護者のいない地方というわけではないようです。
パンチェン・ラマ10世の転生者といわれ、目下行方不明とされるニマ少年の消息は、どうなったのでしょうね。
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尊敬する方からいただきました。
『ゆるしの気持ちを身につければ
その記憶にまつわる負の感情だけを
心から手放すことができるのです。
ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく
「自分を自由にする手段」です。』(本文より)
毎晩祈りを捧げ、懺悔していても、過去の出来事に知らず知らずに拘っています。
言葉の一つ一つが心に沁みます。
チベットに行ってみたくなりました。
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美しい写真と洗練された短い言葉が、刻まれてます。
図書館の人も何度も借りてるのを不思議に思ってるだろうな~
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言葉にすると嘘臭く陳腐に感じ、言葉の限界を思い知らされます。それでも目に見える物にすがろうとする自分が嫌になりました。
ゆるす、とはとらわれない事だとも思いました。
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宗教の考えで、ブータンでは亡くなった人の体は、切り刻んで鳥の餌にするという所は、写真を載せるのはどうかと思った。衝撃的すぎる。ダライ・ラマの言葉が平和的なのに・・・。