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書評は
http://www.algorism.jp/review/20081018214752.html
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http://d.hatena.ne.jp/masashisalvador/20110104/1294122626
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正直、著者と帯に騙された感じでいっぱい。
かなりの部分が哲学的部分で占められており、何がどうした、という部分は曖昧なままで終始していた印象。
帯には「ウェブ資本主義の正体」なんて書いてあるが、本当に数ページ程度だけに記述されている程度で、「売るために付け加えた」という印象が否めない。
題材のハイエクや著者の池田信夫氏をこの1冊で評価すべきではないと思うが、個人的にはこの本に関しては楽しんで読めた部分はほとんどなかった。
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アダムスミスから受け継がれる市場経済に立脚したハイエクの思想と、それと対峙した社会主義やケインズ主義を中心に主要な経済学思想との比較を論じている。当初は、異端であると考えられ評価されていなかったハイエクの自由主義的経済は、既に現在の米英的な資本主義経済を中心とした先進国経済の活動の中核的な理論となり主流となっている。また、フリードマンを中心としたシカゴ学派による定量的なアプローチによって経済学の前提は、自己の利益を最大限に追求する個人としての経済人であり、これが経済学を現実の社会から乖離されている。ハイエクはこうした経済人的な個人の前提を否定し、人間は常に合理的な判断をすることができないという立場をとっている。ハイエクのこの考え方は、現在の経済学のフロンティアであるとも言える行動経済学の出発点となっている。中央集権的に特定のプレーヤーによって管理される固定電話が、より自由であり自立的な存在であるインターネットによる脅威にさらされ、競争上の劣位にたたされているのは、ハイエクの唱える中央により管理の度合いの少ない自由経済であり、これこそが全体としての厚生を最大化するのである。
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[ 内容 ]
一九三〇年代、ほとんど一人で社会主義・ケインズ主義と対決したハイエクは、サッチャー、レーガン政権が成功したことで、経済学だけではなく、世界のあり方をも変えた。
本書では、市場経済を全面的に信頼したハイエクの思想の今日的意義を明らかにする。
彼の思想は、現在の脳科学、法体系、知的財産権、インターネットを理解する鍵を、私たちに与えてくれるのだ。
現実がハイエクに追いつくには二〇世紀末までかかったが、彼の思想は、新しい社会秩序のあり方を考える羅針盤として、いま不動の位置を占める。
[ 目次 ]
第1章 帝国末期のウィーン
第2章 ハイエク対ケインズ
第3章 社会主義との闘い
第4章 自律分散の思想
第5章 合理主義への反逆
第6章 自由主義の経済政策
第7章 自生的秩序の進化
第8章 自由な社会のルール
第9章 二一世紀のハイエク
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ハイエクの思想をまとめた本。
他者の書評などを見ていると、著者池田信夫のインパクトが強すぎて、良くも悪くも「池田信夫が書いたハイエクの本」という視点で語られることが多いようだ。
が、この際著者のことは脇に置いておくと、80年代以降、英米が自由経済を推し進める際の理論的支柱となったハイエクの思想を、認識論・政治哲学・法哲学・経済学の観点から解説し、最終的にインターネットなど現代の現象に照らしてその是非を問うている。
ハイエクの思想は、要約すれば
「人間社会というものはとかく変数の量が膨大であり、かつ変数間の関係も時と共に変化していくため、予測は不可能。そのため、社会全体の効用を最大化する一連のアクションを、客観的に知ることはできない。
それよりも、個々人が、自身の選好と外部環境の一部に対して持ちうる情報をもとに、効用を最大化するよう自由に行動するほうが、全体の効用を最大化する上で望ましい。
よって、政府や自治体などの共同体が行うべきは、人々が自由に取引を行えるような市場を用意し、守ることだけである。それさえしていれば、あとは個々人が、不完全な知識に基づきながらも、ラフな合意・創作意欲・自身の好みにより、富を効率的に創造・交換する」
、となる。
これは、政府の積極的介入を是とする計画経済やケインズ主義はさることながら、完全情報を持つ合理的経済人を前提とした制度設計を主張する新古典派経済とも異なる。
昨今、社会的に強力なインパクトをもたらしたインターネットとリーマンショックが、ハイエクの思想を見事に体現し、ケインズ主義や新古典派よりも妥当性があることを示した(インターネットは政府の計画で作られたわけでもなく、また将来を正確に予測した上で演繹的に作られたわけでもない。個々人が「こんなのあったらいいな」と、自分の好みを実現するために、ラフな合意のもとにコードを書き、常に不完全な状態で進化してきたものである。またリーマンショックは、市場が完全情報やら合理的経済人やらで動いているわけではないことを証明した)。
上記を、理論発展の歴史的展開や具体的適用例を交えながら、コンパクト
に概観する上で、良い本。
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著者のブログ、著書で良く引用されるハイエク。ぼんやりした理解しかなかったが、この本で理解を深めることができた。
ハイエクが提唱したことは、
1)完全な経済的合理性を持った人はいない。
2)自然発生的かつ歴史的な制度で現在も残っているものは優れているか
ら残ってきたのであり、いたずらに変えるべきではない。
3) すべての価値を市場に決定させずに、自らの組織で決定しようとす
る全体主義は排除すべきである。が、政府は自由を促進するために
ルールを制定すべきある。
が含まれると理解した。
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ハイエクは経済学に留まらず、哲学的な広さを持っており、合理主義を前提とした経済学が心理学などをより取り込みながら発展する中で、さらに評価されていく人物だろうと感じた。
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大学の経済学史の授業でも、それほど大きく扱われない存在であるハイエクの一生に焦点を当て、彼の著作や主張を交えて記した本。
何故池田信夫という人物がハイエクに注目したのか最初はわからなかったが、両方の著作を見ているとなんとなくそれ理解できた。おそらく、池田はハイエクに多少ながら影響を受けていると言ってよいだろう。
ハイエクといえば自由主義者というイメージが強い。例えばLSEで教授として働いていた時代においては、激しく社会主義を批判したという事実からもそれが伺える。だが、私たちが描く「経済自由主義者」のイメージと、ハイエクはどうも少し違うようである。彼の思想はスミスやリカードらによる古典派経済学とは異なっており、ハイエク自身はそれを批判する立場だったからである。
ハイエクが注目したのは「知識」であった。古典派経済学は完全競争下の市場経済を想定している。この場合の完全競争とは、そこにいる全てのプレイヤーが同程度の知識や情報を有していることが前提となっている。すなわち、新たに知識や情報を獲得する必要がないため、そのコストは無視されているのである。だが、ハイエクはこれを批判する。彼の指摘とは、完全競争下で全プレイヤーが同程度に情報を持っていることなどありえず、その獲得にかかるコストを見込むべきだというものである。この点において、社会主義体制が崩壊した理由として、各部門が提供する情報を、中央が効率的に管理することができないためだとハイエクは説明する。このように、従来の完全競争下を想定する経済学に対して、情報にかかるコストの視点から切り込んだハイエクの主張は、現代まで通じるものがある。
晩年のハイエクは法秩序にまで研究領域を広げていた。彼の主張は効用を最大化する自由度を最大化する秩序の構築であった。中世ヨーロッパにおいて、所有権の確立は革命的なものであった。所有権の明確化は、取引費用の減少に繋がるからである。イギリスやオランダで産業革命が起こったのも、この観点から説明できる可能性があろう。従って、所有権の発達はイノベーションの創出に不可欠である。だがハイエクは、「モノ」の所有権と「知識」の所有権、つまり知的財産の区別を主張する。知識それ自体は公共財的性格を持つ。従って、それを誰かが消費したとしても、それを享受する全プレイヤーの効用に影響はない。一方で、その供給を制限してしまうと、同程度の「知識」を新たに創出するのに無駄なコストが発生してしまう。従って、知的財産権の保護はイノベーションの発達、ひいては経済発展にネガティブなインパクトを与えるのである。このようなハイエクの主張は現代の日本の産業界にも通じるところがあるのではないだろうか。
以上のように、ハイエクはシンプルな自由主義者とは言えず、当時の経済学者からは異端として扱われていたようである。しかし、彼の主張は現代においても学ぶことが多いと感じられる。また、池田の論述も、多少説明不足だと感じた箇所はあるが、ハイエクの主張のみならず、多様な哲学的概念を引用している点で、学びや気づきを多く含んでいる。その点で、本書の評価はかなり高いといえるだろう。
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帝国末期のウィーン
ハイエク対ケインズ
社会主義との闘い
自律分散の思想
合理主義への反逆
自由主義の経済政策
自生的秩序の進化
自由な社会のルール
二一世紀のハイエク
著者:池田信夫、1953京都府、経済学者、 東京大学経済学部→慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科、SBI大学院大学客員教授"
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マルクスやケインズを批判した、オーストリア学派の経済思想家ハイエク。
しかしながら日本では知名度は低く、ソ連崩壊後はマルクスも力を失い、今やケインズ一人勝ちである。
日本も政界・財界・マスコミはケイジアンだらけだ。
アンチテーゼとしてのハイエクが注目を浴びてくるのは当然かもしれない。
先日youtubeで「ケインズ対ハイエク」という面白いラップの動画を見かけたが、非常によくできていた。
ラウンド2の最後にヨレヨレのケインズが勝利判定されるあたり、出色の出来だ。
パンチ(批判・反証)を浴びまくってヨレヨレのケインズ(経済学)が、判定(アメリカ政府・ウォール街)によればそれでも勝者なのだ。
現在日本は深刻なデフレ不況であり、不況と言えばケインズ政策だが、さて本当にとにかく公共投資で内需刺激策をとるべきなのか?
私も経済に関する見識を深めなければ。
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ネット上では非常な毀誉褒貶がある方ですが、私は参考にしています。
この本は200p足らずの新書ですが、ハイエクの紹介から、近接する各種経済学の根本的な思想、法学の由来、フーコー流儀の社会学もあれば、自主的秩序と自由の理由に至るまで、ともかく著者の該博な知識は抜群で、内容はあくまで深く豊かです。
ちょっと読みにくいですけどね。
社会学方面では私、小室直樹先生が師匠、だったのですが愛すべき小室先生ご逝去後は、意地悪爺さんみたいなこの人でしょうか?と思います。
以下、非常に勉強になった場所二つほどを、書換え、付けたし、省略ありで。
1)神がこの世を設計したから、世界は「時計仕掛け」で永遠の未来まで動く。
この理神論を物理学で証明したのがニュートンで古典力学では初期条件と運動方程式で先々を予想できる。
これを人間社会に応用したのがワルラス以来の新古典派経済学で、市場での取引を力学的な均衡に置き、価格の変動を超過需要の関数とし、微分方程式を書き、一般均衡を連立方程式の解を求める問題とした。
一般均衡解が存在する条件にはトポロジーや不動点定理(xが不動点であるには関数f(x)=xが成り立つ。F(x)=x^2-3x+4なら2が不動点。F(2)=2.関数を作用させると自分に戻る)が必要。
ニュートン物理学はすべての物理現象を説明できるが、人間社会にそれを応用した新古典経済は現実をほとんど説明出来ない。
2)社会は目的関数を作れない。それを証明したのがアロウの不可能性定理
仮に三つの政策、グー、チョキ、パーがあったとする。
投票の結果が
a.グー>チョキ>パー 400票
b.チョキ>パー>グー 300票
c.パー>チョキ>グー 200票 となった
以上を集計してグー、チョキ、パーを一つずつ比較すると
グー>チョキ600票(a+c)チョキ>グーはb.で300票、
ならばグー>チョキ決定となり、同様にチョキ>パーはa+bで700票、パー>チョキはcで200票だからチョキ>パーとなり、三段論法で結果グー>パーとなるが
グー>パーはaのみで400票、パー>グーはb+cで500票となる。
オモシロイでしょ。
他にも勉強になった箇所多々あり。
この本は何度も読み返すと思います。
私レベルの教養ですと、この本を一度で全部自家薬籠中には出来ません。
本家のハイエクなんてとてもとても。
ps
何時でも何でもこの人が正しいとは思いませんが、様様な社会情勢にリアルタイムで反応するブログは非常に示唆に富んだ記事が多いと思っています。
こういう方がTVに出れば私も地上派TV、また見るようになるでしょう。
この方は電波利権追求の急先鋒だらから、出演することはまず有り得ないんですけどね。
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ハイエクは「自生的秩序」を重んじ、起源や根拠がよくわからなくても、大昔から淘汰されずに残ってきた伝統や習慣を尊重すべしと主張した。社会構造を一気に変革できると考えた合理主義には反対の立場だったという。
「自生的秩序」の考え方は、国家が上から押し付けるルールよりも、ローカルな人々に根付く「善」を重視するコミュニタリアニズムとの親和性も高いように思われる。
もともとはハイエクの経済思想について知りたくて本書を読んだわけだけど、経済思想そのものについては、実はそんなに詳しく書かれていない。むしろ、進化生物学やコンピュータ科学、言語哲学など、経済学や法哲学以外の分野とのアナロジーが多く、結局何が論点だったのか煙に巻かれたり。
ハイエクが考えたことの前提となる知識や時代背景などが説明されているという感じだろうか。
著者が格差社会についてさらっと触れた部分はあまりにも乱暴で、知識人として無責任に過ぎると思う(以下に引用)。
“日本の「格差社会論」のほとんどは、実証データにもどづかない情緒的なものだが、かりに格差が大きいとして、格差に反対する人たちは、いったいどうしろというのだろうか。”(p.164)
うーむ。ニヒリズム。
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1930年代社会主義(ケインズ主義)全盛次代に市場経済を全面的に信頼したハイエクの思想は現在のインターネット全盛の時代にあって新しい社会秩序のあり方を考える上での羅針盤となる。
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2008年を、遠い過去として振り返れる一冊……2012年の現在から見ると、多くの前提が変わってしまった。
その点から見ると、どこを読み取ればいいのかがわかりやすく、時間が経つとむしろ読みやすくなる本かもしれない。
ハイエクについて述べている部分は、大変興味深い。
ハイエクから他の議論にパッチワークしている部分はやや怪しげだが、別の角度からハイエクの思想を照らしだし、わかりやすくしているという面ではこれも興味深い。
たとえば、アクセルロッドの「しっぺ返し戦略」は、「正直が最善の戦略」として捉えると「都市伝説」のようなものだが、「利己的」と「利他的」の対立が、「個体」と「集団」との間の関係として成り立つと考えると無理なく理解できる。
これは単純に「個体」は「利己的」で、「集団」は「利他的」だということではなく、逆の場合もあり、個体が異なるレイヤーで取りうる戦略がぶつかり合う場合があることを示している。
本文中では、「細菌の宿主に対する戦略」として示されている。繁殖力が強い「利己的」な個体は宿主を殺してしまい、結果として繁殖できない。だから、宿主を殺さない程度のほどほどに繁殖力の強い「利他的」な個体が生き残り、細菌全体としてはより生き残れる。この場合、「宿主」-「集団」という関係では「利他的」であることが、「細菌全体」の「利己性」を高めている。
ただ、ハイエクの言葉から、当時の日本の政策についての生臭い話になると、いきなり結論ありきで、その結論に向かって証拠固めをしている論調になり、一気に胡散臭くなる……が、この胡散臭さがどこにあるのかが、時間が経つとともにわかりやすくなる。一般的にどの本でもそのような傾向にあるようだ。
「保守主義」の主張については、佐伯啓思の「「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理」
http://www.amazon.co.jp/dp/4061491504
から学んだものと同じで、大変腑に落ちる。
一言で言えば、「カオスを続けるためのコスモス」だろう。
もうちょっと歴史を学び、とくに20世紀の欧州の成り立ちに至るまでの前提を整理できたら、再度読んでみたい。