投稿元:
レビューを見る
もっと軽いエッセイだと思っていたら詳しくも楽しい読み物であった私はナポリタンよりもオムライスが食べたくなって昨日作って食べました満足^^
投稿元:
レビューを見る
イタリアのナポリへの旅行記ではなく、日本でのスパゲッティ・ナポリターノ誕生の秘話とそれにまつわるエッセイ。タイトルとかなり違う。
投稿元:
レビューを見る
学生時代よく食べたのがスパゲッティ・イタリアンだった。缶詰のマッシュルーム、パプリカ、細切りにしたハムを炒め、これによく茹でたスパゲッティを入れトマトソースで和えたものだ。独特の形状をしたグラスに注いだコカ・コーラが付いて百円をこえなかった記憶がある。
河原町界隈をぶらついて、洋服やら輸入盤のLPなどを漁り、寺町の本屋を何軒かはしごした後、御所を抜けて下宿に帰るのが、休みの日の日課だった。大学生の昼飯にしては軽すぎるメニューだが、片道を市電に乗らずに歩けば二回で昼食代が浮く計算だったからだ。
著者の説明によると、ナポリタンとイタリアンはほとんど同じ物で、関西ではナポリタンをイタリアンと呼んだのだそうだ。太さについては、関西人は細いと損をしたように感じるとかで太めを好んだとも。この本に出てくるナポリタンのレシピは、紛れもなく当時食べたイタリアンそのものである。
著者がこの本の構想を立てたのは何年も前のこと。当初は日本の町に残るナポリタンを探して食べ歩いた感想を「ナポリへの旅」と題して一冊にまとめる予定だった。戦後日本を体現する「和食」としてのスパゲッティ・ナポリタンが絶滅危惧種におちいっていると考えたからだ。
スパゲッティ・ナポリタンが日本に登場したのは、敗戦後占領軍が大勢の兵士の腹を満たすため、大量のスパゲティを持ち込んだことによる。茹でたスパゲッティに塩胡椒して、これもまた大量に用意したケチャップで和えただけの料理とも言えない料理だったが、これを今の形にして、スパゲッティ・ナポリタンと名づけたのは、当時マッカーサーの宿舎になっていた横浜ホテルニューグランドの総料理長だったという。
「一九四五年の敗戦の翌日から一九五三年までが古き佳き日本で、それ以後は悪しき様相が日ごとに更新され続ける、それまでとは全く異質の日本へと突進を始めた」というのが、片岡の考え。彼の原点はこのオキュパイド・ジャパンにあるといってもよい。スパゲッティ・ナポリタンは、戦後日本に登場した日本で作られた「和食」であるだけでなく、当時から現在に至るまでの日本を体現し続けている存在であることを、著者自身の回想を交えながら、エッセイ風に書きつづったのがこの本。
一九五三年当時、少年だった世代なら、どこかで出会っているにちがいないのが、スパゲッティ・ナポリタン。特別な日の料理から、やがておやつ感覚で食べる軽食に変わっていくが、今は、気軽にシェアするのが普通になったパスタも、スパゲッティ・ナポリタンだけはシェアできない、一人で全部食べたいというのが、その世代らしい。
高度経済成長期を経過し、一気に登りつめた挙げ句がバブルだった。飽食の時代の果てに来たグルメ・ブームに湧く日本では、「ナポリタンというスパゲッティ料理はナポリにはない。イタリア人も知らないという批判」が起きた。スタートした時点では完全に日本人が作った「和食」だったにもかかわらず、お洒落ではないという価値観によってスパゲッティ・ナポリタンは貶められてしまう。
それが、バブル崩壊とともに「沈んでいく日本、浮かび上がってくるナポリタンという構図」で、復権���始めているのだという。バブル崩壊で虚構の嵩上げが崩れ去り、日本人の意識が地上近くに下りるに連れて浮上してくるスパゲッティ・ナポリタン。戦後日本の指標ともいうべきスパゲッティ・ナポリタンだが、バブル崩壊後の日本は居住まいを正して一歩とはいわず、たとえ半歩でも「古き佳き日本」に近づけたのだろうか。読後ちょっぴり酸っぱい思いが残るのは、トマト・ソースのせいばかりではあるまい。
投稿元:
レビューを見る
このタイトルから、この本はどんな本だと想像しますか。
なんて書いてしまうことがすでにネタバレなんですよね。
でもそれを書かないと感想にならないので…。
愛に溢れまくってますね、こんなに深く深くナポリタンを愛する人は見たことがなかった。
ナポリタンに出会う前から、トマトやトマトケチャップに魅了され、自分でフライドポテトやトマトソース作っちゃうような人だから、全ては必然か。
気持ちよいほどのナポリタン。
ナポリタンしか存在してない。