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第1章 内なる魚を見つける
第2章 手の進化の証拠を掴む
第3章 手の遺伝子のかくも深き由緒
第4章 いたるところ歯だらけ
第5章 少しずつやりくりしながら発展していく
第6章 完璧な(ボディ)プラン
第7章 体づくりの冒険
第8章 においのもとを質す
第9章 視覚はいかにして日の目を見たか
第10章 耳の起源をほじくってみる
第11章 すべての証拠が語ること
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魚が進化の過程で陸に上がったことを証明する生物”ティクターリク(ひじがあり、腕立て伏せができる!)”の化石を発見した著者が、その発見過程や遺伝子、骨といった観点などから人体進化の過程を紹介。また、昨年子供がヘルニアの手術を受けたが、その際医師から聞いたヘルニアの発生過程の更にその根本要因がサメ類からの人体進化故のものであったことに驚いた。ヘルニア以外にも人体進化についてその進化故に現在生じやすくなっている様々な疾病(”狩猟採集民としての過去→肥満や心臓病””言葉をしゃべる行為→睡眠時無呼吸症”など)についても説明されており興味深い。自分の腕を見つめながら、3億7500万年前にようやく腕立てができるようになり、それ以前はヒレだったかと思うと、なんとも不思議な気分・・・。
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この本は凄い。凄すぎる。
著者は古生物学者であり、分子生物学者なのであるが、一見すると相交わらなそうなこの学問の組み合わせが、生命の歴史を明らかにするための貴重なツールとして密接に絡み合っていることを、見事に証明して見せている。
この本では、人が元を辿ればネズミ(的なもの。以下略)、魚、無脊椎動物、単細胞生物から発生したのである、ということを有無を言わさぬ緻密さで書き上げている。例えば、人のしゃっくりの原因はオタマジャクシの名残であり、ヘルニアの原因はサメの名残なのである、と。
本書内の言葉を借りれば「この生命の歴史を疑う事は、ボールを落とし続けていつか下ではなく上に落ちる事を期待するようなものだ」とまで断言している。それだけの説得力もある。
すなわち、地球上の生物は文字通り全て人類の親戚なのである。昆虫もまた然り。どうやら例外は無さそうだ。
化石を見て、DNAを見ることで、この「生命の歴史」を縦に、横に、切り取って見ることができる。そしてこれによって「魚由来であるが故の代償」である特定の病気を解決する事もできる。
しかしそれだけではなく、人の体を調べることは、DNAという年輪に刻まれた地球の歴史を見るに等しい行為なのである。この事実は自分の体を持って、意識して生きる、という一見アタリマエなことの脅威と感動を改めて(というか生まれて初めて)感じさせてくれる。
文章も、時にユーモアを交えながら非常に読みやすい。構成も完璧。これはほんとあらゆる人にお勧めできる貴重なサイエンス本だと思う。
★9個あげても良いくらいの良い本。5つまでしか付けられないのが本当に残念。
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水から陸へ。生物の進化の過程の重要なミッシング・リンクとなる生物「ティクターリク」の化石を発見した古代生物学者による、ポピュラー・サイエンス。魚から両生類、爬虫類、哺乳類という進化の過程における痕跡が、私たちの体内に見られることは非常に興味深い。生物の身体というのは非可逆的にできており、いったんできたパーツを半ば強引に使い回した結果が現在の姿なのである。したがって人類の体内にも妙なものがたくさんある。魚のえらの痕跡、聴覚をささえるサメの顎の骨に由来する中耳骨など、見事なまでに元々の姿からかけ離れたパーツとなって役立っている。遺伝子の研究も進み、その部位を発生させる遺伝子の位置は魚類どころかショウジョウバエなどの昆虫とも共通していて、生物種というものがバラバラに発生したものではなく、おそらく同じ祖先をもつ生命体であることを裏付けている。筆者の軽妙でシニカルな文体を楽しみながら知的な探求を味わえるのがうれしい。
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地球上の動物はパッと見の形こそ千差万別であっても、体の基本となるレシピを共有するお仲間さんなんだ、ということが程よく詳しく分かった。
単細胞生物から始まって、DNAのレシピを少しずつ書き換えながら、綿々と繋げられていく生命の系統樹。
元は同じだったものを、違う機能に流用してきたとわかる記録が体に残っていて面白い。
地道な発掘作業の末に、四肢をもつ動物の先駆けとなる「肩・肘・手首の関節をもつ魚」を発見する過程では、百の議論に勝る決定的な証拠を提示する「古生物学」の意義と、それに携わるものとしての誇りが感じられた。
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https://www.youtube.com/results?search_query=neil+shubin
ティクターリク
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF
命はみんな繋がっていると思える。こういう本、大好き!
魚は、薄いけれど強い、とてもしなやかな皮の中に、肉や骨や内臓、血や神経が詰まってる。
魚をさばく時私はいつも、人も魚もそう違いはしないと思っていた。
人も魚も、それぞれの形をした皮袋の中でいろんなものがごちゃごちゃとしていて、どういう訳か命になってる。
そう思う時、私は命を頂くことのありがたさを感じる。
私が食べるこの魚には何の落ち度もない。でも死んで、私に食べられる。
この魚ももしかしたら、人を食べたことがあったかも知れない。海で死んだ人や、海に撒かれた人の灰がこの魚の糧になったこともあったかも知れない。そういう人たちだって、別に落ち度があった訳じゃないだろう。
生まれるのも生きるのも死ぬのも、一体どういうわけなんだ?
完全に理解したり、把握するのが難しくても、ただ生きることならできるかも。
なんでこんな事を書いてるんだ?私はただ、「人も魚も大して違わないな」と魚をさばきながら思っていたことが、ただの個人的な妄想ではなかったのが嬉しかっただけだ。
人と魚の遺伝子は70%も共通している。
背骨を持つ生きものは全て、人間の身体をより単純にした仕組みになっている。
あるいは、高度な進化を遂げた魚類が霊長類であり、ヒトなのだ。
とはいえ魚を食べる時は、違っている方の30%に目をやることにする。
http://www.ucmp.berkeley.edu/
http://scienceblogs.com/loom/
http://www.tolweb.org/tree/
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肘があって腕立て伏せが出来る魚…。魚?
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医学部で専任教授が退職したために、人体解剖学を教えることになった著者は、あろうことか、魚メインの古生物学者なのである。
おい大学、後任選び間違えてるぜ、といいたいところだけど、魚は人体解剖を学ぶのにとてもよい教材なのだ。しばしば、人間の体をより単純にした仕組みになっているから。
で、著者は人体解剖学を教えながら、発掘調査も続けている。
ダーウィンの時代には、鰭(ひれ)と四肢のあいだの断絶はとりつく島もないほど広大に思われていた、という。(いま『種の起源』読んでるんだけど、そうかもね…)
でも、肺がある魚が見つかる。肺のある魚には上腕骨がある。化石には指状の骨を持つ魚も見つかる。どんどん探せば手首がある魚も見つかる。肩も肘も。
手を地面にぴったりつけ、肘を曲げ、胸の筋肉を使って上下動するのが「腕立て伏せ」だ。ティクターリクというこの魚は、このすべてが出来る。腕立て伏せが出来る魚なのだ。
でも多分、しごきとか部活とかはやってないと思うので、なんでそういう運動が出来るようになっているのかが気になるじゃないか。
どうも浅瀬や干潟をバタバタと動き回っていたらしい。なんでそんなところで腕立て伏せをしてたかといえば、やはり捕食から逃れるためだったのだろう。生息域には、他に二メートルもあって頭がバスケットボールぐらいあるような巨大魚もいたというから、戦うか逃げるか。コイツは腕立てを身に着けて逃げたのだ。
人類と魚をつなぐミッシングリングが、これで見つかった! というのは超早計。この魚は、腕立て伏せが出来たっぽいが、二本足で歩いたりボールを投げたりもしない。
では? と言うかたちで、ここはまだまだ導入部といっていいだろう。少しずつやりくりしながら発展していくのだ。サメと我々の間にどんなことがあったのか。サメが鰓を動かす筋肉と神経を使って、僕らは喋ったりものを呑み込んだりしている。
そうやって変化してきた名残のひとつが、しゃっくりだ。これは肺と鰓を両方使う両生類、つまり幼生、オタマジャクシが鰓で呼吸する時と、もう乱暴に言っちゃえばほとんど同じ。サメだった過去を引きずって、脱腸が起こる。
…よくそんなことに気がつくね。でも、自分のたった数十年の人生にも、ものすごい重みがあるような気がしてくる。複数の方面への好奇心を刺激してくれるよき本であった。