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こういう企画は、ラジオやポッドキャストなんかでやってくれるといいのになぁ。いくら読んでも「読み切った充実感」みたいなものは少しもないし。
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久しぶりの橋本治。内田樹という人はさっぱり知らないが、まぁ橋本治ならそんなにはずれはしないだろうと思いながら購入。
本命は「最後のああでもなくこうでもなく」だったのだが、こちらから先に読了。
あとがきで橋本治自身が書いてあるとおり、この本のテーマは「橋本治」その人で、内田樹という私が知らない、多分哲学者なのかなんなのか、とりあえず文系の何かの人が橋本治ファンで、橋本治のなんたるかを微妙な感じに解き明かしているような気もする本。いや、この内田さんは聞き上手ですね。話し上手、かどうかは知らないが、どちらかというと「自分が話すんだ」という橋本治との対談の相性はばっちりな気がする。内田さんもこの本を見る限り聞き上手さではたいしたものです。
でも私の視点はひたすら橋本治。くだらない、どうでもいい、ばかばかしいものがいかに大切か、というのがこの本のテーマではないだろうか。そしてどうでもいい代表である橋本治はだからこそ大切な気がする今日この頃である。
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変幻自在に話が広がる話が広がる橋本氏を捕まえようとする(?)
内田氏。なんか、楽しそう。でも大変だったのかなあ。
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軽い気持ちで手に取りぐんぐん惹きつけられた。これは内田樹が黒子となって橋本治という異能の作家の本質を上手に引き出したところに手柄がある。
『桃尻娘』からはじまって古典を扱ったり敬語について語ったりする橋本治だが、その行動も含めて自分や作品を語ることがほとんどないなので、理解が及ばなかった。その彼の思考の方向や方法を自ら語っていく展開になっている。まとまった作品論や作家論がない彼の人となりをよく分からせてくれた。
☆は4以上。
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内田本というよりは橋本本
橋本治という人は、
色んな事がわかってしまうばかりに、
色んな事がわからないんだろう
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2009.09.07. なんて楽しそうな対談。読んでいても、なんだか楽しい気分になる。この、橋本治という人はすごく特殊。いろんなもののスピードが並外れている。常識を超えている。すごい。著書を読んでみたいです。幸福の原体験というの、大切だと思う。
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この本は対談でありながら、内田先生による橋本治さんの「書評」であり、「ラブレター」のようです。とはいえ、いい意味で偏愛だろうと思うので、内田先生の気持ちのまま橋本治さんの本を読んだら、ついていけない気もしたけれど。
とりあえずは、年末年始は十年以上積読のままの『窯変源氏物語』を読みなおさねば!と思いました。
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橋本:「不幸でしかない」っていう事実を凝視して抱え込まない限り、「不幸はいやだ、不幸じゃない方向に行きたい」っていういちばん根本のモチベーションていうのは、うまれないんじゃないかと思うんですけどね。
内田:不幸だとは思ってないんじゃないかな。
橋本:そう。
内田:これが普通だと思ってるんですよね。
-『#2 うっかりするとね、「美しい」の上に「とても幸福だ」があるんですよ。それはあえてやってる。』
人と人との間に生じる面倒くさいシガラミの不毛さに疲れてくると読みたくなるのが内田樹の書いたものなのだけれど、それは内田樹の振るう快刀のズバっズバっという慣性が知らずに沁みこんできて、まあそういうことで一丁やったるか、という気分になるからなのである(今も若干そういう気分なのだけれど)。一方で、橋本治の書くもの(といっても、それは橋本治の書くもののごく一部)を読むのも結構好きで、時々思い出したように手に取るのだけれど、その読書の効果は正反対に働く。橋本治の説明を聞いていると、うーん世の中なんて込み入っていて、知らないことばかりなんだ、としばらくは何も能動的に動き出せない気分になるのである。その二人が対談しているのであるから、もう読む前から脳がぐちゃぐちゃになるのは解りきっている。
二人に共通するのは、東大文学部と喫煙家、ということの他に、取り敢えず自分が何を考えているか書き出して、それからみてみましょう、というところだと思う。頭の中に浮かぶ言葉なんて高が知れているから手を動かしてみないとね、ということなのだけれど、このことを最初に教わったのは橋本治だった。「脳」と「身体」が一緒くたになるようなことがあるっていうのは、一度、養老先生に直接聞く機会があったことがあるのだけど、脳の機能マップとしても「手」は思考を司る脳の部位に近いから、というのを聞いたことがある。つまりは、この二人の「わたしの身体は頭がいい」のだ。
とにかく、他人のことなら簡単に解っちゃうので、それはこうですよああですよ、と外向きにエネルギーが向いている内田樹が、自分のこと以外はよく解らないからと言いながら、自分はそれはこう考えるけどまああなたがどう思うかは知りません、という内向きに(というのは言葉の綾で本当はそうじゃないと思うけど)エネルギーが向かっていく橋本治の対談であるのだから、それもこんなにたっぷりと頁があるのだから、とても面白い。でも案の定、頭はグルグルになる。
それは内田樹がいつもの快刀乱麻で、橋本治はこうである(この対談は主に内田樹が橋本治を根掘り葉掘り探るという対談です)と、ズバっときって見せると、橋本治が忍法移し身の術でもって「へーん、俺はそこには居ないもんねー」と、次々と攻撃を交わしつつ議論を深い方へ引っ張って行ってしまうからである。普通の人なら「そんなに天邪鬼なら、もう知らん」となってしまいそうなものだけれど、そこは内田樹なので、かつ内田樹は橋本治が大好きなので、「ならばこれでどうだっ」とまたまた大きな網で橋本治を捕らえようとする。そこがとてもエキサイティング。
二人のアプローチは一見すると随分と異���るようだけれど、対談を読んでいる限り実は同じ舞台に立っていてその思考の到達点はとても近いように思う。物事はじっくりじたばた付き合わないと本当のところは解らないよ、と、この二人にはいつも教えてもらっているような気がする。でもそれって本当体力の要ることだよね。
ところで、自分たちの世代の不幸って本当の不幸を知らないことだっていう意識がずうっとあったのだけど、更に下の世代の不幸って不幸を感じ取れなくなっていることなんだね。納得です。
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内田樹の著作は数多く読んだが、橋本治の著作は読んでいない。というか過去に買った本を読もうと思ったけれど文章の書き方が好きになれなくて読めなかったのだ。この本を読んでまず最初に思ったのは、橋本治の本を読んでみたいということである。この本のあとがきにも書かれているように本文のほとんどが「橋本治について」という内容であった。魅力を余すことなく二人で話したという感じである。橋本治に興味がある人はぜひ読めばいい。興味のない人には少し大変かも知れない。しかし、橋本治は何だかすごそうな人だよ。
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橋本治は天才だ。
とくに面白かったのはおしゃれの話と、縁側の話と、描写の話と道草はストックだった話。
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正直言って内田樹目当てで読むとかなり厳しい…。
(橋本)黙っている人に「〜でしょ?」って…。(中略)困った性分で、自分独りでしゃべっていると不安になってくるから、どこかで他人を巻き込まないと、っていうのがあるもんで(笑)(P.150)
(以下引用)
(内田)僕ね、けっこいいい年まで「若いんだから好きなことさせてよ」て言っててそれで通してきた。三十七、八のときに「もう年なんだから好きなことやらせてくれよ」って(笑)(P.161)
(橋本)会いたければ誰かの紹介状が必要だった。紹介状がもらえないんだったら、自分はその人と会えない関係なんだと納得してたんだけど、それがもうなくなっちゃったんですよね。全員参加型の社会で、自分が望む以上、コンタクトがとれて当然で、それがオープンな社会なんだというふうになっちゃった。(P.166)
(内田)日本人って、ゴミが1つでも落ちてると、みんな捨てるけど、ゴミが1つもないところに、あえてそこに最初にゴミを捨てる勇気はわりとないんですよ。(中略)それはある意味で日本人の美質と言えると思うんです。世の中がいい方に変わるときには、ぐずぐずしないで一斉に変わってくれるんじゃないかなと思うんです。(P.234)
(橋本)理想としては、山崎豊子が書くような題材を山田風太郎のような視点で筒井康隆のように書く(笑)(P.392)
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買っていたのだが、なかなか読めていなかった一冊。なにしろ、東大入学が69年か、70年か、から始まるので「私はお呼びではない」感じがしていたのだ。
だけど、小林秀雄に「呼ばれて」そこから偶然「小林秀雄の恵み」を発見して、これも読まなきゃ、と引っ張り出した。
基本的には、内田先生が橋本治のへんてこさをひき出していく、というインタビューであり、対談ではない。文体についてこれでもか、と面白い話が満載である。この後、4万円以上かけて橋本本を注文してしまった、、、、源氏と平家だけですごい量なんだもん。
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会社の人にお借りした本。私は橋本さんの本は二冊しか読んだことないが、「何が専門かわからん胡散臭い人」ってイメージがあって、概ね間違ってはなかったと(笑)。対談なのでもたつく箇所もあるが、所々すごい回転のかかることがあって、面白い。終盤の、「アメリカには土地神がいなくて気の毒」とか「一神教と多神教は二項対立ではない」とかのあたりは特に面白かった。
橋本さんて、「オレはインテリとかじゃねえし…」て態度なのに、言動はインテリ以外の何者でもない人ですね。
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文化祭の古本市で200円だったため購入。
ははは。内田さんって、相手の話をうまく汲み取って話を広げていくのがすごいうまいイメージだけど、
この人に関してはすごい苦戦してる感じと言うか、ちょっとうまくかみ合ってないというか、っていうか橋本さんが言ったそばから180度違うことを言い出したりして大変だったろうなぁなんて思いながら読んでた。
なるほどなーと思うところもしばしばありましたが、
ちょっと笑っちゃったのが
「ひと昔前は、拒食症とか、摂食障害になる人というのは、ちょっと美人だった。」という件。
ちょっと美人が、「もう少し頑張れば」という落とし穴にはまってしまうのが、その病気だったのに、ダイエットという観念が一般化してしまったがために、
「あなたは美人ではないのだから、『もうちょっと』で頑張ってもしょうがないのに、なぜ摂食障害になりました?」という種類の人が増えてきてしまった。
らしい。
自分を着飾り、自分をうまく演出し、「個性個性」と言いながら、外見表面表層を取り繕うだけで中身が空っぽの若者(私を含む)の、恐るべき自己愛というか、妄想に気づかされる気がしました。
パブリックであるために、私はどのように自分をわきまえていったらいいのかな、なんて思う。
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教養があればサブカルチャーもハイカルチャーも豊かに享受できる。
ナチスドイツの一番の被害者は教育を受けられなかった子供たち。