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タイトルにだまされた。別に女の話じゃないような、女の話のような、最後は結局いつもの橋本治の持論に落ち着くあたりが橋本わーるど。
でもあれですよ、「男にとって女は恋人にしたい女とどうでもいい女にわけられる、それ以外はない」って、それは真実だけど女の人に聞かれると怖いから言わないでください(;;)それが男の紳士協定(ぉぃ
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購入場所:TSUTAYA BOOK STORE 東京ミッドタウン店
読書期間:2009年1月8日〜2009年1月10日
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所属が無いことへの葛藤というべきか。
なんだか分かった気もするし、なんだか分からない気もするけれど、
やっぱりどうでもいい気もする。
古来からの定義として、
父の娘というスタンスがあったこと、
古記でも、
位置づけが難しい、あいまいな存在であったこと、
近年になって、
寄る辺を探すために、権利の拡大が起こったこと。
そして次に何が起こるのか・・・
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この著者とは長い付き合いだけどやっぱ男受けが悪そうだし、この本もオンナしか読まないだろうなぁ、的な一冊。重複が多くて冗長だしなによりオチが弱いよ!まぁでもこれ小説じゃないからなぁ。つまりいつのまにか一人称語りの小説として読んでいた、という。
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橋本治さんの思考回路は迷路のようで、ついていっていると思うと行き止まりで、迷ったと思ったら元の道に降り立ってたりしていておもしろかった。
いろいろな要素が盛り込まれているので、欲張りな気がします。
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男にとって「女」とは、自分の恋愛対象になる存在、という指摘はもっともなんでしょう。
それ以外の女性はまあ、どうでもいい存在なんだそうで。
女性の権利などもまあ、どうでもいい存在の話ならまあ、好きにして、といういい加減な流れで来たんじゃないか、という。
大卒女子が企業に採用されないのが問題視された時代があった。
それが徐々に変わったのは社会が豊かになったから。
(え、それだけ?)
専業主婦というものは労働を軽減され、ある意味では労働を奪われた存在だと。(そりゃ場合によってだいぶ違うと思うが。一人が大勢に奉仕している家庭も有りだし)
教育ママが出てきたのはエネルギーのはけ口。ああ、そうですね。一人に対して一人の人間が尽くすという制度には無理があるとか。
女性が社会に参加するというのが勤めることを意味するのはなぜか。店や家業を手伝っているおかみさんは社会参加していないのか?
「あなたには自分がないのね」と女性になじられる場合、その意味は?
裏切り者という意味だという指摘は面白い。
会社人間としての自分もない場合、上司に「自分はないのか?」と聞かれる場合も、というのがおかしい。
「男社会」という言葉が出てきた時期、その考えによって、女性は個として生きることを意識した…
等々。
戦後の戸籍改正によって家はすでに崩壊していたのに、皆それに気づかない?
理屈のための理屈のように思える部分もありますが、珍しい角度から光を当ててあるのが面白い。
え~とつまりだから何なんでしょう…
個人として生きていると回りにも合わせなくていいと思うようになるので、わがままって事?
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[ 内容 ]
たいていの人に「苦手な彼女」がいるという。
いったいそれはどういうことなのだろうか?
七〇年代の高度成長期にウーマンリブ運動が起き、時を同じくして消費者運動が登場した。
八五年には男女雇用機会均等法が成立し、その年、内需拡大のために個人消費が推進された。
その後の好景気とバブルの崩壊、平成不況…。
この四十年の間に、日本の男女関係がたどってきた変遷を、ときに女帝の時代にまで溯って深く考察する。
[ 目次 ]
第1章 そうして「女」は厄介になった(「女性差別」というもののややこしさについて 「女の問題」はたやすく四分五裂する どうして女は変われたのか)
第2章 性的ではない「女性論」(女と「消費者」 主婦の没落 女と労働運動)
第3章 「自分がない男」と「自分しかない女」(「自立した女」に関するかなりへんてこりんな考察 「自分がある」というのは、たいしたことなのか? 「男社会」の発見)
終章 豊かな社会が傾いて―(「結婚」が成立しにくい現状について 「家」という単位について もうそんな考え方はやめた方がいい)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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面白かったっ。
彼は具体をしつこく突きつめて、誰も気がつかなかった抽象に届く。
一見関係のない場所まで行きながら、繋がっていく醍醐味。
古事記や平家物語の執筆の経験がこんな形で結びついて行くんだからなあ。
いつも途中で頭がついて行けなくなるのだが、
これは面白くて分かりやすかった。
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1316.html
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男の目から見た女性、同性から見た女性、どんどん話題が展開していく。突拍子もない方向へ話が進んでいくのも面白い。
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50頁で断念…これでも頑張った。。
男性向けなのね、それも女性の取り扱い方に困ってる男。
女には向かない、てか読むのがきつい。
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だめだ!全然意味が分からない!
結局なんなんだろう…。
本来「社会」っていうのはひとつしかないはずなのに、「自分にとって都合の悪いこの社会なんて間違ってる!自分の求める社会の方が正しい!」っていう人が増え始めたってこと?
「女性は結局何がしたいの?」ってこと?
新書って、タイトルから話がそれまくって終わるから訳が分からない・・・。
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桃尻娘の橋本治が
おもしろいお話を展開するのかと思って読んでみましたが、
ちょっとぱっとしませんでした。
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高度成長を迎えた1970年代にウーマン・リブの運動が起こり、フェミニズムが男性による女性の差別を告発してから40年が経った現在から振り返って、なぜ男女をめぐる問題はこのような状況に立ち至ったのかを考察している本です。
著者はまず、男性は「自分の恋愛の対象になる女」と「自分の恋愛の対象にならない女」を選別しており、前者だけが「女」で後者は「どうでもいい」と思っていることを指摘します。そして、男性にとってフェミニズムは、「どうでもいい」女が、何を「女」とするかは私たちが決める、と主張している運動だったと言います。「どうでもいい」女が、従来の社会の男性優位を告発し、女性の社会参加や社会進出を口にしても、男にとっては、「どうでもいい女をどう位置づけるか」が分からないという状況に置かれてしまうことになったと著者は主張しています。
後半では、1970年代の高度成長を達成する以前の日本社会で、長く男性優位が問題として取り上げられてこなかった理由を探っています。
もちろん、現在の社会が完全に男女の不平等を撤廃することに成功したとは言えない以上、フェミニズムの役割はまだ終わってはいないのでしょうが、「男女平等」をめざす運動の具体的な着地点が分かりにくくなってしまっていることの背景に、本書で語られているような問題が控えているのかもしれないと思います。
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自分はどこかに所属している。だからこそ自分の思いは受け入れられるはずだと思うからこそ、人は孤独を感じるのです。
孤独とはつまり、自分はどこかに所属しているはずなのに、その所属が見つからないという思いだからです。
我こう思うゆえに我あり。お前こう思うゆえに我なし
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表題の「あなた」とは、男を指す。曰く「男には、関心のある女と、関心のないどうでもいい女がいる。後者の女が、男女平等などの権利を声高に叫んだところで、男たちは、そんなのどうでもいい、と言わざるを得ない」。そのどうでもいいことに強い主張するどうでもいい女たちは、男にとって「苦手な彼女」となる。というようなことが、本書の主張。まあ、言ってみれば「田島陽子」論といったところか? 確かに彼女が自分のデスクの隣だったら、苦手だろうなー。