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"自分がしなければならないことは、しでかしたことを取り消すことではなく、手をつけたことをやりとげることなのだ。"
テーマは"責任"と他の人がレビューしていてなるほどと思いました。
淡々とした語り口で、すすすッと読みました。淡々と窮地に陥ったり、脱したりするゲドの姿が新鮮でした。
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『ゲド戦記』三部作(当時)を初めて読んだのは高校生の時。図書室の司書さんのおすすめで。翻訳者が高校のOBだと教えてくれた。静岡書店大賞の児童書・名作部門に何を投票するかを考えていてこの作品のことを久しぶりに思い出し、少年文庫版が出てるのを知って思わず買ってしまった。読み返すたびにその時の自分自身を発見するような気がする。その時でないと思わないこと、今だから判ること、が作品に如実に反映する。
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受験中に読んだんだけど
記憶が・・・えーと
まず母上にゲド戦記だけは10代で読みなさいっていわれてハードカバーのひっぱりだしてきて(いま思うと受験後読めばよかった)
ジブリのつまんなかったかんなーと思ったんだけど
これはすごくおもしろかった
ゲドの考えることとか全部わかった気はしないけど
なんとなくわかるような
うぬぼれちゃうとかライバルに自分がすごいことみせたいとか
だめって言われたことしたいとか
あいつむかつくとかうらやましいとか
若いなーーーーー
いやあんまり年変わんないけどさー
最後のおわりかたがバンプオブチキンの歌詞みたいだなーって思った笑
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ファンタジー小説は大好きですが、このシリーズはどういうわけかとっつきが悪く、何度も途中で本を閉じてしまっていました。
ジブリのアニメ化からしばらくたった今、ようやく読了。
主人公がほぼ呪われたような運命を背負うという立ち位置は『指輪物語』と似ていますが、話の中心であるゲドが野心的な未熟者として描かれている点が、これまでのヒーロー像とは違っています。
普通の人間くさい打算や下心があまさず描かれているため、はじめのうちは全く彼のことが好きになれません。
おそらくそれが理由で、なかなか読み続けられなかったのでしょう。
まったく現代的なヒーロー像。その分、あまり距離を感じることなく、読者はゲドの体験を共に追って行けます。
第1巻なので、まだ自分の力をコントロールできておらず、精神も成熟していない、荒々しいままの青年像。
世の中の不幸を消すわけではなく、自分のおごりが招いた災いを消すという、大いなるひとりよがりのようなパーソナルスタイルの強い設定。
強い自我を持ち、もがきながら、成長していく様子が2巻以降にも描かれていくのでしょう。
野性児のような彼の補填役として登場するカラスノエンドウの存在が、重苦しい悲劇に救いを与えています。
孤独であるべき魔法使いでありながらも、孤独すぎると判断を誤り、道を間違いかねないため、信頼のおける存在が必要不可欠。
生きていくとはかくもバランスの難しいものかと思います。
もはや、絶対的価値ではなく、相対的価値観の社会で生きている我々には、昔ながらの物語は、パターン化しているような印象も受けるもの。
時代の移り変わりの中で、生まれるべくして生まれてきた物語でしょう。
自分と対峙し、戦い続けて行くという成長譚。
また、通り名と真の名という区別は、対人関係の壁を作る現代人を写しているようにも思えます。
現代風で、哲学的でもあり、コアな読者に支持されているということが頷けました。
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ル・グインさんの世界観にすっぽり包み込まれた読書時間でした。
このシリーズは、とても長い時間をかけて書かれているので、作者の考え方の変遷が見られるといわれていますが、どれもはまりました。
中でもこの1巻は、ファンタジーでありながら、歴史物のような匂いを感じさせて、大むかし、どこかで本当にあったことにように感じさせられてしまう。
遺跡や祭祀、言い伝え、など世界中に散らばっている太古の営みを連想しました。
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現代文に慣れ過ぎて思いのほか苦戦。
老いを待たずに竜王、大賢人とふたつの名誉を勝ち得たゲド。
1巻は魔法使いになる前からお話が始まります。
自分の力に自惚れ、先輩に見栄を張り、出来もしない死人の霊を呼び寄せたゲドは霊ではなく得体の知れない影を呼び寄せてしまいます。
なんとか一命はとりとめたものの、その恐ろしい影に付き纏われる毎日が始まり...まさに影と闘い続ける姿が描かれています。
たいへん暗~いお話でしたが、ゲドを通してひとの弱さや愚かさに気づかされます。
私の想像力がもっと豊かだったらもっと楽しめたのだろうなとも。
冒険譚なので会話が少ないのがちょっと難点ですが、(島の名前も覚えられない...笑)がんばって最後まで読んでみようと思います。
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哲学的すぎ。
人の生きる意味とか、ありかたとか。
自分の闇と向き合うとか。
魔法には代償がともなう。
世界の均衡。調和。
光には影がつきまとう。
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児童文学回帰キャンペーン。引き込まれて、一気に読み切った。現状自分の欲する要素があった。代償とか均衡とか克己とか色々。
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大人も楽しめる、というか大人が読むべきファンタジー。あまりに大きな魔法の力を持つがゆえに、自分の虚栄心、心の弱さから創り出してしまった影と対峙することとなったゲド。印象深いのが、影につきまとわれ、散々に打ちひしがれてかっての師匠オジオンの元に逃げ延びたゲド。「オジオン様…。」「やあ、来たか」「はい、出ていったときと同じ、愚か者のままで。」こんな何ともない会話に、ゲドの背負った重荷を減らす親しい人との再会の場面として泣いてしまった。そして影と向き合うことを諭すオジオンがまたいい。
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役者の清水真砂子と共に深い意識と
視野の広さからなる読み手によって
どこまでも奥行きのある物語となりそうだ
人工物という魔法の力 141005
全体からはみ出してしまった
自立・独立・依存・支配という傲慢な
自らの人工物によって占拠された心が
生み出す魔法の力
それは良しにつけ悪しきにつけ相手をたぶらかそうと
あるいは自分にも見せ掛けるためにそそいだ力の分だけ
スカスカとなった綿飴のような底なしの踏ん張りの効かない沼
たぶらかされた者だけが魔法に掛かって
一人芝居に取り憑かれて宙に浮いた世界の住人となる
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「ゲド戦記」という邦題が少々よろしくない。
初めてこの本と出会ったのは小学校の図書室であったが、その題名と表紙絵から東南アジア方面でゲリラと戦う米兵の物語かと思ってしまった。
英語を直訳した「多島海の伝説」でいいんじゃないだろうか。(インパクトは薄れるが)
実際に読んだのはそれからずっと後。
ジブリでアニメ化されると聞いたので図書館で借りて読んだ。
「少年ゲド、魔法を学ぶ」といったキャッチコピーがあった気がするが、ある出来事で魔法の才を見出された少年が魔法学院に入学し…と聞けば皆さん「ハリーポッター」を連想するのではないだろうか。
「素質の有無は問うものの、後天的に魔法を習得していく」というスタンスは従来の「選ばれた血族だけが伝統芸能のように魔法を継承する」イメージからすれば画期的だったと思う。(実際ハリーポッターもその点がヒットの要因の一つにあるだろうし。)
しかし本作の魅力は舞台となる「多島海(アースシー)」にもある。
大小様々な島を擁する「海」であり、魔法の箒ではなく「船」が主な移動手段となる。
そのため優れた魔法使いは優れた船乗りでもあるという独特の世界観を持っているのだ。
その点がジブリ映画ではばっさり削られていたのが残念である。
一応アレは第3巻「さいはての島へ」を下敷きにしているとの事だが、それにしてもなあ…。
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自尊心、虚栄心、謙虚、尊敬。自分が今どういう状態かによって強く共感するチャプターが変化するような、読み返す度に新しい発見があるだろうと思う作品。
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原語版1968年、日本語版1976年とある。
Ursula K LeGuin アーシュラでル=グウィンだなんて、ファンタジーの登場人物みたいな名前です。
この年からあらためてファンタジーを紐解ける幸せを噛み締めています。
岩波のソフトカバー版シリーズ、とても読みやすい。
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ハイタカの成長を描く王道ファンタジーです。
人々から認められる魔法使いになるため修行をする中さまざまな人々と出会います。
その出会いが彼を変えていくのです。
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ウルトラハードな運命。常にボロボロ。悲壮感が強い。なぜかって、だいたいは命の危機。そんな彼がちょっと驕っただけで、終わらない影の追撃とか。不条理だ。
自分の影には追われると行動を狭められる。
逃げても体力の限界がくる。
だから、狩る側にまわらなければいけない。真理だ。
西洋の魔術世界をベースに、東洋やアメリカ原住民に共通する自然と融合した哲学を載せる。
そりゃおもしろいに決まってる。スターウォーズのダースベイダーに被るのは、60年代末期の思想が入ってるからかな。
ゲド戦記については、
宮崎駿世代の視点と、ネイティブアメリカンの視点と、ハリーポッターの対比という視点から切り込みを作ることができる。
自分の影に向き合い、自分に打ち勝つというビルドゥングスロマンは、宮崎駿時代の教養であり、人生哲学であるからだ。