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2009年の18冊目。佐野眞一さんの文体や描写はクセがあるので、読みづらいこともあります。ですが、なぜか読んでしまう魅力があります。この本と斎藤貴男さんの「空虚な小皇帝石原慎太郎」を併せて読めば、選挙で石原慎太郎、伸晃、宏高親子に投票する気は失せます。
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ずっと魅力的な人物である。彼の存在を通してボクらはいつも何かを問いただそうとする。だがそれは彼の自己愛を投影した宇宙にボクらが勝手に投げ出されたのかもしれない。コンプレックス。生きているあいだにだぶんずっと人はこれに振り回される。ボクらは彼の一体何に対して不満と共感を同時に覚えてしまうのだろうか。父、潔は蟹工船バリの過酷な労働。痰壺洗いまでした苦労人。タイトルどおり誰も書けなかったことが満載。そして彼は恐ろしいほど自分自身のことを熟知している。「文学も政治も情婦だな。目的は人生だよ。」だってさ。
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石原慎太郎の実像に迫るノンフィクション作品です。
汽船会社で人びとの記憶に残る伝説を残した慎太郎の父・潔の生き様から、慎太郎・裕次郎兄弟の活躍、そして都知事になった石原を追い込んだ新銀行東京問題までを、緻密に追いかけています。
「私の関心は、……石原慎太郎という男それ自体の存在もさることながら、彼に向けられた大衆のまなざしの偏光にあったというべきかもしれない」と書かれているように、慎太郎を通して、彼にまなざしを向ける戦後大衆の無意識にまで、著者の考察は届いています。
石原慎太郎について語ることが同時に、賛否いずれにせよ石原を批評する大衆について語ることだというのは真実だと思います。しかしそのことは、本書もまた、石原と彼を生んだ戦後日本の大衆について語ることで、語り手である著者自身について何ほどかを告げているということを意味しているように思います。快活な石原の魅力にどこか惹かれながらも、そこから距離をとろうとしている著者ですが、そうした振舞いが佐野眞一という作家の本質を露にしているように感じるのです。
石原慎太郎について語るということがどのようなことなのか、本書全体がそのことを教えてくれているように感じました。