紙の本
あぁ、社会の中の、とても大事な私
2009/02/03 21:16
16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ミュージック・ブレスー・ユー!!』での野間文芸新人賞受賞に続いて、芥川賞をとった津村記久子さんは、いまのりにのった若手作家の一人と見て間違いないだろう。受賞作は、手放しで「明るい」といえるような作品ではないし、癒されたり、和んだりすることは(たぶん)あまりない。それでも、とても力強い。その力強さのエッセンスは、(たぶん)「私(自分)の肯定」にある。では、いわゆる「自分探し」や、単なる「自己顕示(欲)」とは違う、津村さんの書く力強さは何によるものなのだろう?
それは、社会が描かれているからだ。ただ社会が書かれているからというわけではなく、私と関わりを持つ社会が書かれているのだ。もう少し正確を期していえば、私は「社会の中の私」として捉えられ、その切り結びにおいて、「私(自分)の肯定」が地道に、しかしねばり強くつづけられ、そして達成されていく。そこに、楽天的な「成長物語」とはテイストを異にする現代らしいリアリティと、しみじみとした(生きていくための)勇気の源があるのだ。
もっとも、世界的な大不況というタイミングとも相俟って、本作が時事的な小説として読まれる(あるいは、それゆえに高く評価される)ことは、ある程度避けられないだろう。ただそれは、単に社会(的事件)を素材にしたというより、自分の足元と見つめながらモチーフを掘り下げる創作をつづけてきた結果、現実に少しばかり先だつ形で、『ポトスライムの舟』が生み出されたはずだ。だから、本書は、「文学の予言的性格」を文字通り体現した、明るい面から暗い面まで現代の息吹を吸った、現代文学そのものである。こうした作品が、芥川賞を受けて日の当たる場所に出ることは、文学にとってもこの国の文化にとって喜ばしいことだろう。それだけでなく、特に、この社会に苦しめられながら生きる人々にとって、本書が主題とした「私(自分)の肯定」は、生きる源とも成り得るだろう。
紙の本
誰もが行けない世界一周クルージング
2009/04/26 09:37
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第140回芥川賞受賞作。
自分の年収が世界一周クルージング費用と同じであることに気づいた二十九歳の主人公が一念発起しながらも、なんやかんやに取り込まれ、あがき、あきらめ、またあがき、最後には突然支給された臨時賞与でクルージング費用にまで到達したしたものの、ほぼ行くことはあるまいで終わる物語である。
芥川賞の選評者たちは「作為的でないストーリー」(宮本輝)や「大きな出来事が起るわけでもない」(黒井千次)と評価しているが、むしろ作者の作為を私は強く感じた。
念のために書いておくが、これは「小説」なのだから「作為」があっておかしいことはない。
しかし、それは見えないように隠されなければならない。離婚を決意した学生時代の友人が主人公の家にやってくることは「大きな出来事」ではないのか、年収に世界一周クルージング費用程度しか出さない会社がどうしてふいに主人公がめざす貯金額にいたる臨時賞与を出すことが「作為的でない」といえるのか。
そもそも、この物語の主人公が「暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために」働いていることすら、現実感に乏しくみえてしまう。正社員にもぐりこむことで、生計を営み、娘を小学校に通わせる、離婚を決意した友人との差は何なんだろう。
山田詠美は「今の時代を感じさせる。と同時に普遍性もまた獲得し得た上等の仕事」を評したが、『ポトスライムの舟』の世界と、現在の不況下の世界は、現象は似ているが、働く者たちの心のありようとして、実は大きく相違しているのではないか。
もちろん、主人公が怠けているというのではなく、社会との関係性において希薄という意味で。
だからこそ、ポトスライムのうすい緑の葉が、幾重にも円をえがくその根が、深い意味をもっているのだと思うのだが。
村上龍は「コントロールできる世界だけを描いている」と思ったから推さなかったという。
裏返せば、それは書き手としての津村記久子さんの強さかもしれない。
ただし、物語の最後の「また会おう」以下の数行はまったく余計だろう。
◆この書評のこぼれ話はblog「ほん☆たす」で。
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2009/02/04
神戸から奈良への交通費にビックリした。
まだ序盤だけど、引きこまれる。
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◎第140回(2008年度・下半期)芥川賞受賞作品。
2009年2月22日(日)読了。
2009−21。
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芥川賞受賞作。
しっかり書いてて、自分がなにを書いてるかようわかってる人ですね。
曖昧にしちゃうような洒落っ気がなくて、背筋がぴんとしてる。
めずらしい小説家、かもしれない。
内容はタイムリーですから、まあ、受賞なのかな?
なんともいえない。
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29歳独身のナガセは奈良にある築五十年の家に母とともに暮らしている。
ナガセは大学卒業後、就職するが上司のモラスハラスメントが原因で退社。
一年後、契約社員として工場勤務をするほか、夕方には友人のカフェで働き、週末にはパソコン教室講師となる。
「時間を切り売りしているような生活」でともに時給800円から850円の間である。
ナガセは「働くことのモチベーションを保つため」腕に刺青を入れることを思いつく。
考えた文字は『今がいちばんの働きざかり』。
ゴシック体が良いか明朝がよいか。そうすることによって、なんとか生きながらえているという自分の生の頼りなさを紛らすことができるのではないか。
あるときナガセは休憩室に貼られていたポスターにくぎ付けになる。
「世界一周クルーズ」。その金額は136万円。
ナガセが工場で働いた一年間のお金とほぼ同額である。
ナガセを軸に大学時代の同級生たちが登場してくる。
卒業後、すぐに結婚したそよ乃。結婚後、仕事を辞め専業主婦になり子供をもうけたが、最近、夫との関係が破たんしつつあるりつ子。自分のカフェを経営するヨシカ。
友人たち、職場の人たち、母親に至るまで。
べったりしていないし、批判がましい忠告も一切しない。
しかし、誰かが困ったときには手を差し伸べる親切心は大いにある。
ほどほどの人間関係が現在の若者を象徴しているかのようだ。
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ピースボートを題材にした小説が芥川賞をとったと聞いて、読んでみた。
時間とお金のくだりが印象的だった。
私は何に時間とお金を使ってるのかなって、考えたら主に活動で、
それはとても楽しいし、いいことだけど、もうちょっとほかのことにも使いたいなって思った。
けっこう好きなお話でした。
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淡々と過ぎていく日常に見いだす夢。それを手に入れていいのかさえ迷う日常。すごく読みやすい文章なのに、なぜか心にすっと入りきらずに、持てあましてしまった。「十二月の窓辺」はやけに胸にチクチクと刺さるものがあり、実感として感じられる細かい痛みが恐ろしくすらあった。
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お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。第140回芥川賞受賞作。
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主人公(ナガセ)はモラルハラスメントが原因で新卒入社した会社を辞め、月収13万の工場作業の契約社員となった29歳独身の女性。ナガセの契約社員としての話と大学時代の三人の女友達それぞれの生き方、相互の交流を描いた作品。物語に起承転結はなく、無劇性の劇ともいうべきもの。自分の年収とクルージングの世界旅行が同じ額であることに気づく場面に現代への皮肉を感じる。
作者自身も小説に出てくるナガセと同じ様な生活をしながらこの小説を書き上げたらしい。芥川賞の批評を見ても評価はあまり高くない。文学的な価値はあまり高くないとしても、働けど働けどお金が貯まらないワーキングプアに夢を与えたという点からすると、この小説の存在は大きい気がする。
生活のセイフティーネットを、企業が雇用を生み出せなくなっている今、人々はどこに見出せば良いのか。企業が機能を果たさなくなった時のために、政府が存在するはずなのに、政府も役に立たない(定額給付金支給とか言っているが)。そんな時代にこそ人と人のつながりを大事にすべきではないのか。もし人間関係がうまく築けていれば、困った時に助けてくれる。これこそが今を生きる上での生活のセイフティーネットになり得る気がする。人間関係の大切さをナガセ、ナガセの母、りつこ、恵奈の共同生活から感じた。
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「親という人はえらい、と思う。しじゅう子供に指示を出している。自分が何をしたらいいのかよくわからないナガセには、務まりそうもない立場だった。」『ポトスライムの舟』
自分はきちんとこの作家の吐き出しているものと向かい合えているだろうか。適当な共鳴感で片付けたりしていないだろうか。そんな想いがしんしんと積もってくる。抱えきれない感情の山を前にして、それでも少しずつその黒いものを何かに変えてゆくことで、山を平らに直そうとする、そんな気持ちの働きを前にしてしまうと、そのことを単に、解る、というような言葉で受け止めてはいけないのだ、ということを思い知らされる。
別に、自分が男だから解らないのだ、というつもりはない。むしろ、津村記久子が会社勤めをしながら書き続けていることの意味に、共感さえ覚えるくらいだ。但し、誰かが、本書や『アレグリア』などで書かれているテーマが会社勤めをしていればこそ、と評していたが、そういう意味ではない。
時間があったら何がしたいか、と聞かれて人が答えることは、往々にして時間ができてもなされない。自分も暇になったらずっと本を読んで暮らしたいと常々思っているけれども、いざ何もすることが無い時(それは、何にも急かされていない時、と言い換えることもできるだろう)、中々本が読み出せないことがある。会社に勤めていると、人は自分の感情を、どうしたって抑えながら生きていかなければならない。でも不思議と、そういう形で溜め込まれた内圧は、形を変えて自分の中から思いもかけないものを産み出す力ともなる。
そもそも人からぎゅっと押さえつけられてみて、初めて、そこを押されると自分は痛いのだなということに気付いたりするものだろう。これはもう自分の信条のようなものだけれども、自分のことは自分が一番解らないものだと、思うのである。
『ポトスライムの舟』で遂に津村記久子は芥川賞をとってしまったけれども、そしてそのことの良し悪しは今後徐々に見えてくるのだろうけれど、確かにこの小説には、今までの津村記久子にはないような落ち着きのよさを感じる。多分に判りにくい例えだと思うけれども、それは単純に言って、具体的な川上弘美、あるいは、他人を風景のように描写する柴崎友香、という整理を自分の中ではつけることができる。
これは全く意味のある整理ではないけれども、自分の中で多次元的に散らばる好きな作家たちの作り出す空間の中に、津村記久子をそっと配置してみて、何か対比のようなものができるかどうかを調べてみると、自分の感じているものがぼんやり見えてくる。引用した言葉なんて、ひょっとしたら川上弘美が書きそうだし。
へんな話、思った以上に満足。
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この作家さんは太宰治賞の受賞作を読んだことがあったので、今回芥川賞受賞と聞いてなんだか嬉しくなった。
自分の読んだことのある作家さんが賞をとるとなんだか嬉しい。
この話は主人公が自分とまったく同い年で、リアルすぎて切なかった。
何のために働くの?生きていくために働くの?とぐるぐるしていた頃の自分が重なった。
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表題の「ポトスライムの舟」も、「十二月の窓辺」も主人公の孤独さと漠然とした不安がひしひしと感じられる。
けれども、全然悲壮的ではなくて陰湿でもなく、とてもからりとした印象でした。
すごく読みやすい。安定感はバツグンだと思う。反対にインパクトはない。
それゆえか「芥川賞受賞」、といわれると「世相を反映してだよね」とうがったみかたをしちゃう。
良くも悪くも"普通"なんじゃないかな、と私は思う。
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いわゆる派遣労働が話題になってるなかで、そういう社会的側面じゃなく、自分と同年代女子が生きるその狭い世界の人間関係というか日常というか、そのあたりがキメ細やかに描かれていて素敵な本。世界観も現実的な川上弘美ワールド的である。別に好きでもないのに育てるのが簡単だからという理由で増えていくポトスの無機質な感じと、なんだか能天気な母、という設定が親しみのわく日常に、それにおそらくピースボート的な世界旅行(これは話の中で決して実現してるわけじゃないのに)とポトスを食べちゃおうという非日常を混ぜる、この感じ、現代文学もすごいぞと思うんだけど。
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地に足がついていて、地を這い蹲るような小説。
共感とかじゃない、もっと身近に感じた。「今日も屋根のある部屋に寝れて良かった。」とか「正社員になりたい。」とか。
ポトスはどうしても好きになれない。
かなり良いと思った。
ただこれからどんな小説を書くのだろうっていうか、題材とかをどう広げていくのだろうって気になる。