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切れ味鋭い文章で、世にはびこるコミュニティ礼賛の議論をメッタ斬りにする。著者と考えが近いので、痛快だった。
できれば、この次は「集合住宅デモクラシー」そのものを中心に据え、それが実現する条件や、うまくいくための課題などを掘り下げて論じてほしい。
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ゲーテッドコミュニティよりも都市型集合住宅を問題にする意識は共有できる。
でも、セキュリティをかなり優先するのは当然と言われると釈然としない。なんで?
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確かにゲーテッド・コミュニティ批判の検討は必要だし、コミュニティ万能論は批判されるべきであり、その点は納得。ただ、「コミュニティ」=「仲良し」の断定など、同意できない所も多かった。
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[ 内容 ]
社会と自由とは相対立し、憂慮される社会の連帯の喪失に自由の進展が手を貸してきたと見られている。
この連帯を取り戻そうとするあまり、無責任な「コミュニティ」なる「仲良し」が蔓延し、それによって自由は制約を強いられているが、自由には社会を自らが責任を持って担う面もあるのではないか。
この「社会をつくる自由」は、同調圧力に屈しない「反コミュニティのデモクラシー」を契機として現れる。
これを出発点に、本書は自らと異なる他者とも社会をつくる方途を鮮やかに描き出そうとする。
[ 目次 ]
序章 「社会をつくる」ということ
第1章 ゲーテッド・コミュニティを哲学する
第2章 反コミュニティのデモクラシー
第3章 責任と正義
補論 建築の敗北
終章 グローバルな社会をつくる
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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著者は実務で政府系金融機関に勤務しながら研究活動に従事しており、学術的専攻は政治学である。
実務の中でまちづくりに関わっているようで、その経験の中から集合住宅に目をつけて、先進的な社会の意思決定のシステムとして代議制と直接制を組み合わせたデモクラシーに可能性を見つけ、そのシステムが機能する土壌がある場所として、ゲーテッド・コミュニティー化している集合住宅に目を付ける。
本書を書くにあたっての問題意識は広く認識されているもので、政治に対する国民の参加意識の低さである。
自由主義という名前のとおり、思想や選択の自由は尊いものだが、それらの個人レベルの自由だけでなく、社会に属している者として志向する「社会をつくる自由」を発現する場をつくることが必要であるとし、そのためには、意思表明の場が何年かに一回行う1票だけの投票行為のみと限られている今の代議制民主主義だけではなく、直接的な政治行為の場が必要である。
その事例として、アメリカでのタウンミーティングにおける直接民主制の意思決定方式や、古くは政治学者のハンナ・アーレントが政治形態の理想とした古代ギリシャの都市国家ポリスで機能していたアゴラなどが挙げられる。
日本の集合住宅は、保安に対する要望からメインエントランスで入場者を振り分けるセキュリティーシステムが一般化しており、これは、アメリカで見られる居住区を塀で囲んだゲーテッド・コミュニティーを垂直に積層したものと言える。治安に対する関心を媒介にして住人が情報交換や議論を行う可能性が考えられ、集合住宅の管理運営組織が直接民主制を実現する場所に成りえる。
選挙という代議制民主制に加えて、管理運営活動に直接的に参加する中で、行動を通じて自らの意思の影響を自覚し、人々に責任を植えつける教育を行う。
そして、無責任な愚衆を翼動する政治を終わらせ、政治参加の意識が高い国民による真の民主主義政治を実現させることが可能となる。
以上が著者の論考で、これまでの日本において、実現しなかった直接民主制が「集合住宅デモクラシー」として高密度の集合住宅で実現されうる可能性があるとしている。
管理組合・総会という制度は直接民主制の機能を果たす特徴をもっており、管理費という名目で管理運営に対する費用負担を負う点、居住床という財産権によって参加資格を得られるという点で、集合住宅は直接的政治システムの条件は満たしていると言える。
しかし、「アゴラという場で、ギリシャ市民によって活発にされていた公的領域の議論は、私的領域に専従する奴隷や女性という非市民の存在を前提としていたため、政治参加資格が平等に与えられている現代では「私的領域」と「公的領域」の癒着が派生する恐れがある」という丸山眞男の指摘のとおり、所有権に基づいて行われる政治的行為が、個人的利益の意図を超えて、公人としての役割意識を持って行われるのかは疑問である。
「自由には責任が伴う」と言った堅苦しく厳しい考えに、住む場所がマンションなだけであるという程度の意識しか持っていない住民が同意するのだろうか。
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気分としては言いたいこともわかるが、断言口調ないし指弾的な口調で、読むのに渋い顔になる。
そのせいで、主張の論拠も全体的に薄く、反論も、原理論を持ち出して具体性を無視したり、レトリックでもって印象的には反駁したことにしておいたりと全体的に不誠実だった。
研究者としてはいかがなものか。
原理論を持ち出しての反論の箇所ではしばしばデカルトへのリスペクトがなされる。自己相対化しよう、程度の懐疑が必要なところでデカルトを持ち出すのはさすがに物笑いだった。方法的懐疑の目的も忘れているし、方法的懐疑のことをデカルト自身が「大げさな懐疑」とも呼ぶ意味を考えたこともないのだろう。
この本の内容以前のところで、ちょっと話にならない。この本の出来なら最初から思想書、研究書づらせずにエッセイだと断っておくべきだった。