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出会うべくして出会った本、たくさん感動し、たくさん学んだ!
〈本から〉
「僕はアメリカに英語を覚えにいくわけではない。野球をやりにいくんです」
野茂英雄
「音楽は生活の中にある。お前のまわりにあふれているぞ」
その日から音は“自分から生み出すものではなく、まわりから授かるもの”へと変わった。考えてみれば、人は決して自分だけで生きてゆくことはできない。まわりからたくさんの恵みをいただき生きている。音楽も同じはずだ。まわりにある命との共鳴が私の音楽なのだと、やっと気づかせてもらった。(しらい・みちよ シンガー)
沢山の偶然にないまぜられた必然が、きみを今の境涯につれていったとしたら、
きみはそこを逃れられないし、また逃れる必要もないのだ。わたしたちはそのようにできあがっている。それが、わたしたちのたたかう場所である。
(吉本隆明全集一三 「政治思想評論集」
(夏目房之助 マンガ・コラムニスト)
アンチエイジングには、体力、気力、免疫力、抗酸化力、復活力、の五つの力が大切。「顔がまん丸よ」。妻のきついひとことから全ては始まった。忘れないようにしようと思っている。(鎌田實 医師・作家)
パトリス・ジュリアン
「自分のまわりの半径一メートルくらいは、自分の内側と同じなんだよ」
手が届く範囲が乱雑な状態になっているということは、心の中が散らかっているのと同じこと。そんな人に、美味しいものが作られるはずがない。だから、野菜クズにしても、短い間でも目に見えるところに置いておかない。ゴミ箱の蓋をばたんばたんと足で開け閉めするのは美しくないから、静かに手で持ち上げ、また閉める。
(梯久美子 ノンフィクション作家)
(鶴見和子)
「異なるものが異なるままに、ともに補い合い、助け合って、共に生きること」
(略)
そのためにこそ一人ひとりが内部から自発的に発展し合わなければならないと主張する。「内発的発展論」という独自の学問の構築である。(大石芳野 フォトジャーナリスト)
「いろいろあるさ」
よく考えてみたら、ずいぶんいいかげんな言葉かもしれない。もしかしたら、その一言でうまくはぐらかされたことだって、結構あったんだろうな、とも思う。
でも、大切な言葉だ。
まあ、いろいろあるさー。
いろいろあるってー。
いろいろあるよなあ、うんー。
学生時代に何度もそう言われた。言ってくれたのは同級生のS君だった。
(略)
悲しく寂しいオチをつけておくと、S君は二十台半ばで、自らの意思でこの世を去った。あいつ、自分の人生に対して「いろいろあるさ」を言ってやれなかったのだろうか。バカだな。でも、いつも言われっぱなしで、肝心なときにお返しの「いろいろあるさ」を言ってやれなかった僕は、もっともっと、サイテーのバカだな。
だから、僕は「いろいろあるさ」を形にした小説を書き続けている。ひとを責めたり断罪するのではなく、許すための物語を書きたい、といつも思っている。親子も、夫婦も、友達も・・・・いろいろあるさ。S君は遠くから「そうそ���、そうだよシゲマツ」と笑ってくれるだろうか。
(重松清 作家)
「そんなことないよ。若い時にダンスを習う女性は結構いるけれど、案外続かないものだよ。一度習うと気が済んじゃうのか、その人の人生に何の影響も与えないまま、遠のいてしまうことの方が多い。でも、あなたはこの年齢から始めたから、一生の趣味にできるでしょう、何事も遅すぎることはないさ」
(阿木燿子)
「我が人生の陰に父の語りあり」
「こうして食べられるということはとても幸せなことなんだ。いいか、自分が今食べてるものはこの世で最高のご馳走と思え。決して他人の食べているものに羨ましさを感じてはならないぞ」
(小泉武夫 発酵学者・エッセイスト)
「後悔に苛まれた言葉」
ある病気の患者や家族の電話相談にあたっているボランティアの人が、語っていた。相談ではひたすら、聞くことに徹する。もっとも避けるべき「禁句」は、「でも〜だから、いいじゃない」(略)つらさを否定するのは、救いにならない。その人を孤独に追いやるばかり。「つらいですね」と同じ言葉を返し、あなたの言うことは私に届きましたよと、そのままに受け止めましたよと伝えるのが、何よりもつらさを和らげると、ケアの専門家からも教わった。(岸本葉子 エッセイスト)
「頂門の一針(ちょうもんのいっしん」
「しかしなあ、君は不遇じゃないぞ。恵まれているんだぞ」
(林望 作家)
「あなたはあなたでいいのです」
存在していることが無性に情けなくなった。「僕は生きていていいのか!」と叫びたいほどの衝動に駆られたその時、声が聞こえたのだ。それは幻聴かもしれない、声のようなものが固まりとなって体にぶつかってきたのだ。それは余りにもはっきりと感じられた。「あなたは、あなたでいいのです。何一つ間違っていることはこの世にない。ご覧なさい、あなたはこうして生きている。誰にでも生きる意味がある」。すると僕の体は急に軽くなり、とてつもない大きな安堵感に包まれた。やがて、今生きている喜びが全身からジワジワと湧き上がってきて、涙が止めなく流れた。
それが、僕にとって、人生で最も不思議な、大切な言葉となった。それから僕は、前にも増して、一時、一時を大切に生きることにしている。(宮本亜門 演出家)
「100歳過ぎても死ぬひまがない」
国文学者 物集高量(もずめたかかず)
「ええ、ええ、忙しくて死ぬひまもありません」
最初はとまどったが、人に必要とされることは嬉しい。引き受けたからには責任を持って仕事したい。「忙しくて死ぬひまもありません」
私もそういければいいが。(下重暁子 作家)
「誠意を尽くせば、必ず伝わる」
「心の底から誠意を尽くせば必ず伝わる」
(山田五郎 編集者・評論家)
「生卵は立ちます。コロンブスの卵ではありません」。
野口三千三氏の一言である。(略)『原初生命体としての人間』(略) 野口体操を実践されていた。その教室での一言である。
生卵の一点にしても、人の足裏にしても、小さな接点で面に触れ、立位でもっとも楽な状態である「中心の垂線を地球の中心に向かせること」は同じで���る。
(天児牛大 あまがつうしお 舞踊家・演出家)
「世の中で生きてゆけるんのかのー」
私の無能、失敗の原因を考えてみると、どうも現実感覚の不全ということらしい。現実が現実であることがわからないので、現実に適応できるわけがないのである。(略)
ところが、わたしは、現実感覚が不全でも生きてゆけるこの世の楽園を見つけた。大学である。学生の時からなんとなくそんな気がしていたが、自分自身、大学の教員になって、周りの教員たちを観察してやはりそうだったと確認した。大学にはわたしほどではないが、現実感覚の不全な人たちが多くいた。(略)共通しているのは、この人たちが会社員とか商売人とかになっていたとしたら、必ずや不適応になって挫折の人生を送ったであろうと思われる点である。(略)
(岸田秀 作家・倫理学者)
「明治から平成を生きた母の言葉」
「私は学びたいことがまだいくつもある。この歳になって初めて見えてきたことがたくさんあるんです。生きる姿勢などと難しく考えることはしなくても、今生きていることが現実なんです。その時、その能力を最大に発揮する。これが私の生きていく姿勢です」
(加藤タキ タキオフィス主宰)
「人は知らず知らずのうちに最良の人生の選択をしている」
父親に言われた一言
(小山薫堂 放送作家)