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「そらすこん」を再読した後に読んだせいか、ややエネルギーが弱い感じをうけた。「そらすこん」は、誰に向けたわけでもない、ブログに書き綴った文章である一方、こちらはきちんとした文芸誌、週刊誌のコラム用に書いたものなので、仕方ないといえば仕方ないのだけど。
でも彼女の鋭い感性とか、文章のセンスの良さは健在で、彼女の脳みその中が垣間見れるような楽しい本です。
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まず、装丁がかわいすぎる。ゆえに男性の僕には非常に手に取りづらかった。なんかまるでエロ本買うぐらいの後ろめたさといったらもう!いや言いすぎですが買いにくかったのは事実です。
1.音と記号
彼女の書くものの好きな部分は、まぁよく言われることではあるし彼女オンリーのものではないけれど、あの喋るような、独特の文章。僕は別に全然関西圏の出身ではないけれど、あの文章の独特の質感が好きすぎる。「ぬめっ」とも「にょろっ」とも「きゃびっ」ともなんともオノマトペでしか僕には表現できないあの質感が、なんていうか地方のキャバクラに行った時の安心感みたいなものを…感じさせる。語弊がありすぎる気もするが。
ケルアックにも通じている気はする。
ただケルアックが自発的散文と呼んだものと、彼女の言葉とはちょっと違う。似ているのは、ケルアックが自分以外の人間の言葉を真似るときの姿だ。<ケルアックは言語模写の名手だった。それはいわば、地方(もっと言えば黒と白、ヒスパニックなど民族)の言語を自分を通して再現させようという試みだった。>
彼女のそれはケルアックみたいなポストコロニアルなものではないにせよ(厳密にはどうだろうか?中央に対する地方みたいな対立軸もあるんじゃないか?)、ケルアックが音声に感じていたエネルギー(Voice is all.)、そしてケルアックが再現しようとした、そのエネルギーを持った文章を、彼女がつくり出しているんじゃないか、と僕は思った。
それは音楽に似ている。ケルアックがジャズのインプロの高揚にそれを求めたように。
複数の人間が関わって、音楽が生まれているその場には、間違いなく何か、言語を越えた互いの交感みたいなものがあって、その瞬間はいつも不感症に悩む僕でさえ興奮を覚えてしまう。その高揚の中には、何か至福のようなものがあって、それを掴み、運んで、維持したいとそう思う。
その至福を言語で再現しようとしたのがケルアックだった。ただまぁ、それを活字で再現するというのは、単一のテクスト上ではあまりにも困難だ。そして読み手である僕からすれば、異言語である英語じゃそれは認識できなかった。
母語である日本語で、その音楽の即興性の中にある、ある種の至福、高揚感、それをおぼろげながら掴んでいるのが、彼女の言葉なんじゃないかと。だから僕はこれほどまでに彼女の言葉に惹かれるんじゃないかと。ケルアックのときと同じように、ここには何かがあるんじゃないかと。これまたおぼろげながら僕は思ったのでした。
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この人の文章って何言ってるんだかさっぱりわからないことが多いんだけれども、それでも時々はっとするほど素敵なことを言っている。言葉遣いや文章の書き方に、頭の中のごちゃごちゃ感と、時々見せる聡明さがちらちら見えて面白い。特に好きなのは、「読書のすすめ」。
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ねえ! きみら! これを見なさい! つって密室、パンツをくるっと下げてぺろんとお尻を出したらば、甥っ子ふたりは、うしし、期待通りの脊髄反射、ピンボールの玉のごとくエレベーターの壁にぶつかってゆき獅子舞のごとく興奮の渦にごろごろーつってまたもや炸裂、わたしはこういう時には何らかの限界を目撃したいと思うたちのものであるからして、さらにさらにこれでもか! つってお尻ぺろんを怒涛の三連発、ぺろんのてんどん、お見舞いしてやったのだが、齢五歳と三歳にして笑い死にしてしまうのではないかと思うほどに、これは納得のゆく結果であった。
もうあってしまった曲はどうあがいても変わりようがないのであって、変わってるのはいっつもこっち、この主体、この感受であるのだから、そしてこれは世界中のどのどんな楽曲に対しても一律にそのこっちのムードは勝利してしまうのだった。
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言わずと知れたmieko kawakamiの作品。いろんな形のクッキーが大変美味でした。小説を敬遠してる人やまだ何も読んだことない人はこの作品からよむのがいいんじゃないかな。
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エッセイです。
この人は色んな事を色んな角度で観てるんでしょうけど。
独特過ぎて、小難しいです。
私には良くわかりませんでした。
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しまこちゃんに借りました。
いや~。さいこーです。川上さん。
むっちゃおもしろかったです。
文字の組み合わせとか、「おりたたむ」とか、言葉の使いどころがうまいです。
またエッセイ出たら読んでみたい。
文字を大切に扱っている川上さんの心がひしひしと伝わってきました。
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芥川賞受賞前後から約2年間にあちらこちらで発表されたエッセイがいっぱいの「世界クッキー」。平然とした顔で、ふとした瞬間にチラリズムな彼女独特の感性と言葉使いに中毒症状。やられっぱなしでどうしよう。
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今年最初に読んだ本です。
内容はというと
2007年~2009年の間に様々な所に発表された
ものを一冊に集めたエッセイ集です。
まるで川上未映子の頭の中を
覗いちゃったような作品でした!
読みながら共感したり、
独特な考え方に感心したり、
母とのやりとりには涙ほろっとしたり
表現力や、言葉選びのセンスには感銘するばかり。
特に私が惹かれたのがこの一文
―自分の人生の局面を左右する出来事や
決心の多くは、いつでもきっと自分の想像を
少し超えたところからやってきて、
まるで事故に遭うように出会ってしまい、
巻き込まれてしまうものです―
これまでの自分に置き換えてみても
自分で選んできているようで、
実は限られた枠からの選択であったり
影響を受けたいと思っても
必ずやそうでなかったりと
肝心なところはいつも
意識じゃどうにもならない事…と、
色々考えさせられる一文でした。
川上未映子さんとお話してみたいな
ってつくづく思いながら読みました。
http://yaplog.jp/ikkkooo/archive/374
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エッセイあり、哲学あり、詩あり…
軽そうに見えて、深い内容でした。
読了後の今は、
ふとしたときに、目の前の現実やモノを
じっくりじっくり見ていたくなりそうです。
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2010/01/26
from K.T
身体感覚というのは文章の中にもあると思う、それがとても好きだ。読んでいる自分の体全体が吃っているようなもどかしい一方で。そこかしこグッと来たのに読み返すとどこにあったかちっとも思い出せない。それが走り抜けて行った言葉の身体なのだろうか。うーん言葉とはなんぞ。
「ああ、単語の気持ちは、どうしたってわからないものだなあ」
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『ヘヴン』が本屋大賞にノミネートされているが、作家の頭の中がよくわかるエッセー。
一文が長い独特な文章。太宰について言及してあるエッセーに特に惹かれた。
俳句や短歌の定型に入れ込む才能についても彼女が不得意とするだけに高く評価しているところなどなるほどと思った。
無理していない「素の感じ」がとてもよい。
★は4以上。
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面白いし本人かわいい
字の使い方は少しまわりくどい感じもするが
アーティストあがりの作家ではありがちなのかも
ただすこし自分に似ている面がある
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顕微鏡になったり、望遠鏡になったりする視点。
体の一部から言葉の存在意義に至るまで、
軽やかな筆致でもって内容は時に哲学的。
幼少時から生の悲しみを知っていた作者ならでは、
と思わせるエッセイだった。
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表紙がとても可愛かったので、手にとってみた。
初川上作品読んでみたけど、ちょっと難しい。
でも、エッセイなので全部読み終えた。
図書館で借りた。