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自身の資質ということでいえば、国谷は「深いところでの不器用さ」を感じていた。目の前にあるものを紀要に処理して次に進む―というようなことは苦手である。全力投球できるのは、自身が納得をし、きちんと準備した上で取り組むこと。その意味ではスローであり、自分探しに手間取ったのはそんな資質もかかわりあったのかもしれない。(p.91)
石黒は国谷の本質に、「生真面目さ」と「負けず嫌い」をあげる。キャスターと記者は職種が異なるが、当然、現場を踏んできた記者たちが豊富な素材を手にしている。彼らと同じ土俵で議論したい。だから資料を読み込み、ヒアリングに励むのである。(p.101)
「世の中が複雑になってきて、これは何だ、どういうことなんだと思うことがどんどん増えている。いわばもやもやした状況。これをわれわれとすればなんとかクリアにしたい。そこに国谷裕子というキャスターがいて、まずはもやもや状況ときちんと対話をしてくれる。彼女はバランスのいいアンテナを持っていて、視野を広げたり、相対化したり、俯瞰したり、あるいはもうひとつの選択肢を提示することに秀でている。アンテナが番組担当班の目線と微妙にずれているときもあるけれども、それがまた「クローズアップ現代」の個性となっているように思いますね」(元編責:角英夫氏、p.102)
モノゴトを内田は〈構造〉として捉えようとする。同時に、対象には迎合しない。学ぶこと、働くことに背を向けるのは人としてダメなんだ、と言い切る。
思想という思想が崩壊し、モノを見る基軸が液状化しているような現代、内田のメッセージは納得性と刺激性に富んでいる。それが多くの読者を得ている理由であろう。
論理の底には情念がある。内田のそれは入り組んでいるが、その底には男気というに近い古風な規範が流れている。内田と会話をしていると、東映のヤクザ映画「日本侠客伝」や「昭和残侠伝」における主人公の台詞がふと聞かれたりする(p.201)