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「ナニワ金融道」の著者青木雄二氏が、ゼニにまつわる考えを書いている本。
「ナニワ金融道」は大好きなのだが、本書はいささか強引な論理が多くてダメだと思った。一面的なものの見方を強調しすぎだと思った。
驚いたことに、なんと青木氏は共産主義者(!)なのである。
いくつか納得できなかったところを挙げてみる。
■「金貸しは最低の人種だ」
と青木氏は言う。ただ金をたくさん持っているというだけで、不当に儲けていると。そんな青木氏に問いたいのは、では金融機能がこの世から消えたら世の中はどうなると思いますか?ということである。世界金融危機を見ても明らかなように、企業の資金繰り倒産が頻発し、深刻な景気後退が起こるだろう。
余っている金を、足りないところに流す、という金融機能は重要である。しかも誰にでもできるわけではない。金をどこに流すか、「目利き」をする力が必要である。その専門性に対する報酬として、金融機関は儲けている。不当な儲けではない。
金貸しの「目利き力」を批判するのならわかる。もっと「目利き力」をつけて、リスクマネーを供給する役割を積極的に果たせよ!という指摘なら納得。
だけど、「金貸し」そのものを批判してしまうと、世の中が成り立たなくなってしまうと思う。
■「唯物論でなく観念論を選ぶことは、資本主義社会の矛盾すべてを是認することになる」
と青木氏は言う。
観念論の立場に立つということは、神の存在を肯定することだ。神がいれば、労働者の不満はおさまる。どんなに給料が低くても、「これだけの給料をもらえるだけでありがたい」と思ってくれれば、資本家への不満は少ないからである。だから、資本家の横暴を止めるためにも、神の存在を肯定してはならない、と青木氏は言う。
これはおかしい。今の日本で、神に感謝することで自分を納得させている人なんてどれだけいるだろうか。上記の例であれば、神に感謝することで自分を納得させるのではなく、物事をプラスに捉えることで自分のよい精神を保っているのではなかろうか。つまり、「労働者が搾取されていること」と「日本で神の存在を肯定されていること」に関係はないとおもう。
資本家が労働者を搾取している云々の問題を考えるには、観念論と唯物論の考えを持ち出さなくてもいいのではないか。
ここまでは、青木氏に対する反論を書いた。
ここからは、本書に触発されて考えたことを書く。
■資本家と労働者について
資本家が労働者を搾取している、というが、そう思うのであれば労働者は奮起して資本家の側に回る努力をすればよい。資本家ははじめから資本家だったわけではない。リスクをとって起業等のチャレンジをしたことで、大きな資本を手に入れたのである。大きなリターンを得たいのであれば、労働者は奮起してリスクをとればよい。
もっとも、地主の息子など、生まれつき資本を持つ者もいる。これはずるいと俺も思う。
森永卓郎が嘘か本気か知らないが、「相続税を100%にすればいい」と��う。そうすれば生まれた時点ではみんな平等だ。ゼロからのスタート。竹中平蔵は、「それは社会主義者の意見だ」として聞く耳を持たなかったが、僕は相続税100%、アリだと思っている。ゼロからのスタート、いいとおもう。それでこそ本当の機会均等だ。それに、税収不足に悩みまくっている日本の財源は、「死者の財布」だというのは鋭い意見なのではなかろうか。加えて、相続税が100%だとすれば、死ぬまでに財産使い切らなきゃ損だ!ということになって、貯蓄をしまくっているご老人達が積極的に消費をすることになる。それこそ、内需を掘り起こすことなのではないか。
■資本主義について
自分は資本主義はいいものだとおもう。競争によってよりよいものが世の中に生み出されていく。努力をすれば、のしあがることができる。とても楽しいし、世の中が良くなっていく仕組みであると思う。
しかし、もちろん問題もある。直さなくてはならないのは、全員に機会が均等に保障されていないということだ。これは発展途上国で顕著だが、日本でも機会は均等ではない。良い大学に行く家の平均年収は、そうでない家よりも高いという。これは教育にかけられる金が各家庭で違うため、高収入の家の子どもに力がつきやすいということがあると思う。
だから、貧困家庭もきちんと高い教育を受けられるような制度設計が必要と思う。そういうわけで、子ども手当て、高校無償化、奨学金の拡充などには賛成だ。増税の話もしないで、それをやろうとしている民主党はダメだと思うけど。
■僕が思う理想的な国家の形
ノってきたのでさらに書いてしまうと、僕は北欧型の福祉国家が理想的だと思っている。強い企業を多数抱えながら、法人税で搾り取るのではなく(それだと企業が弱くなってしまうから)、高い付加価値税(消費税)で税収を確保する。そして、それを機会不平等の解消のために使うのである。
消費税をあげれば、相対的に金持ちから取る税金は増える。けど、俺はそれでいいと思っている。なぜなら、年収1000万円ぐらいまで?は、所得と幸福は比例するが、それ以降は、所得を稼ぐことで得られる幸福は逓減していくからである。その幸福量が逓減してしまう金から、機会に恵まれない人たちに金を流していく、というのが一番いいと思っている。
極端に言うと、5兆の資産持っている人から1兆ぐらい税金取ったってその人そんなに不幸にならないでしょ?そしてその1兆があれば、世界中の機会に恵まれないたくさんの人たちに、機会を与えることができるのだ。そのほうがいいとおもう。
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■職業には貴賎がある
■一人では一人前の仕事しかできひんけど、二人なら三人前の仕事ができる
■ゼニの苦労は人を育てる面と人間をダメにする面がある
■ドストエフスキー:凡人と非凡人の区別。凡人→愚かな大衆、非凡人→選ばれた少数の人間。人類が幸福になるためなら、凡人の道徳を踏み越えていい
■カネはカネを生む(不労所得)
■自己実現ビジネスの餌食になるな
■金融業者の人間観察法→小さな約束を守るかどうかを見る
■唯物論か観念論のどちらの立場を自分がとるかはっきりさせる
■巨大なものはすべて悪である
■金利で飯を食う発想が人間を荒廃させる
■人間社会:原始共産制→奴隷社会→封建社会→資本主義→ネクストは、、
■産業心理学:女性の仕事の能率→会社がどれだけ自分たちに関心をもって気にかけてくれたか
■剰余価値:経営者は労働者から労働力を買う。同じ給料なら労働者には、たくさん働いてもらう必要
■人間はビンボーになると、自分で自分を軽蔑しはじめる
■底辺の人間にはおのれの辛酸と苦渋を他人の痛みを感じとるというプラスや転換させる人もいる
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一番興味を引いたのは、著者が、「神はいない!」と断言ている後半。
資本主義のカラクリを改めて、カネと宗教の両面から考えるきっかけだった。
資本家と宗教家は利害が完全に一致している。
神と言うのは、社会においてゼニの世の目くらまし役を果たしているのだ。
マルクスの「宗教はアヘン」というのを、著者は、「極悪非道の現実を癒す薬」として解釈している。
すべての「信仰」が、そうとは限らないが、世の中と信仰がぬるく結びついた時、それは単なる現実逃避になる。
マルクスや、ドストエフスキーを著者は読み込んでいるのだが、
人間にとって、ギリギリの「神」の問題も、突っぱねてしまうことなく受け入れているところが深さかもしれない。
ドストエフスキーは、唯物論の勝利を確信しつつも、神を信じなければ人間は滅ぶと警告を与えた作家だ。
資本主義の世の中は、いつになったら変わるのだろうか。私の生きているうちにおこるだろうか。