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イデオロギーなき時代、イデオロギーが消し尽くされてしまった時代に批評の中心として急速に出てきた「アーキテクチャー」なる言葉に焦点をあてて論考が進められる。
「この本の意味は意図的な誤配を引き起こすことにある」と冒頭で述べられているように、普段では考えられないような人々が集って一冊の本が織りあげられている。
そんな交雑の魅力を伝える一冊でもある。
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どうにも流行の様に感じるアーキテクチャについて豪華論客が対談。
そのシンポジウムを起こしたものと、論文で構成。
「アーキテクチャの生態系」を著した濱野氏も参加。WEBについての言及において同時代的な感性はやはり強い切り口。
シンポジウムが混沌とし、収斂しない様も面白かった。斜め読みでも面白い。
論文に関しては、正直美味しいネタをあっさり料理する様に感じなくもないけれど、面白く読める。
言論とシステムが互い違いに一人歩きしていくことは今後ないだろうけど、何にせよ様々な視線を送ることは大事だと思う。
さくっと読めた。読んでよかった。
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一番目を引くのは当然「アーキテクチャと思考の場所」と題されたシンポジウムだ。内容としては様々な年代とジャンルの専門家が討論したわけだが、テーマが抽象的なこともあってか、上手くまとまってはいないように感じた。
しかし、そのまとまりの悪さ自体がアーキテクチャへの批評であるのではないかと思ったりして。
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請求記号:105/ シ/ 3
資料番号:011101698
「ゼロ年代の情報環境を知る3冊 」②
社会システムの設計という意味で「アーキテクチャ」という概念を用い、匿名のアーキテクチャが、私たちの生活を規定している=構成的権力となっていることを論じた一冊。
冒頭の共同討議は特に刺激的です。
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建築から社会設計、コンピュータ.システムまで、私たちの「生」をコントロールする、その多様なあり方に迫る。アーキテクチャの権力にどう対峙するべきか。イデオロギーが失効した時代の批評の新たなる可能性を切り開こうと‥。
-20091228
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アーキテクチャをテーマに色々な論文が掲載されているが、面白いのは冒頭の共同討議。浅田彰、東浩紀、磯崎新、宇野常寛、浜野智史、宮台真司と新旧のスター揃い踏み。それぞれが好き勝手言い合ってぜんぜん方向の違うことを言っているようで、それでいてそれぞれが微妙にリンクしあっている。
そのなかでも特に存在感を示していたのが磯崎新。80近いおじいちゃんなのに、子供とか孫くらいのメンバーと対等に渡り合う。渡り合うどころか、議論をさらに推し進める。こんなすごい人だったのかと感心。磯崎の本は読んだことないので近々読んでみたい。
あとは、『「東京を考える」再考』も非常に興味深かった。首都圏私鉄による郊外開発が詳しく語られ、現在の「郊外」論を考える上での背景がしっかりと記述される。「郊外」というものに自分が抱いてきた嫌悪感や苦手意識について、ヒントのようなものは得られた気がする。
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[ 内容 ]
「アーキテクチャ」とは何か?
建築から社会設計、コンピュータ・システムまで、私たちの「生」をコントロールする、その多様なあり方に迫る。
アーキテクチャの権力にどう対峙するべきか?
喫緊の課題に挑む論文・討論を多数収載!
イデオロギーが失効した時代の批評の新たなる可能性を切り開く、アクチュアルな知の最前線、ここにあり。
[ 目次 ]
特集 アーキテクチャ
文学と工学の余白に―円城塔「ガベージコレクション」に寄せて
創作 ガベージコレクション
鼎談 「東京から考える」再考
特別掲載 ホモ・エコノミクスの書く偽史
緊急報告 東・宮台、北米講演旅行レポート―旅する理論
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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アーキテクチャという概念が社会でどのように生かされているのかを知りたくて、またこれからの日本の未来がアーキテクチャの設計によってどのように変化していくのだろうかを討論形式と短文形式で掲載したもの。
自分にとっては表現が難しく、別の文献や本での話、また討論者がすでに述べている既存の考えを前提にお話しが進んでいたため完全に文章を追うことができなかったため評価はできません。
興味深かったのは
・マンハッタンの都市が縦に伸びていったのは土地を区分で区切ったために生じた
・Webでも建築のアーキテクチャでも、そこに存在する人達や物質の変化によって自然にアーキテクチャも変化し生みだされ最適化していくように仕向ける設計がいい場合もある(勘違いかも)
・東急があらかじめ高所得者が住めるような住宅を不動産に分譲し沿線沿いを開発していったこと、またその経緯を阪急からマネてつくっていたこと
・人が住む場所に政治性が異なり、公共施設の不足やアクセス改善などを訴えるために民主運動が盛んになって街が栄えていった仕組み
文章からも分かるとおり全然理解できていないですね。笑
なので評価はできませんが読んでいてなるほどーという事例がいくつもありました。
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浅田、宮台、宇野、濱野、磯崎、東の討議が読みたくて中古で購入。浅田、宮台の殿上人ぶりと、若手の宇野、濱野の不調和ぶりも痛々しく、MCの東もバランスを取り切れていない。建築家の磯崎新が唯一建築家という独自の立ち位置で存在感を感じた。後半の論文たちはほぼ読んでいない。
アーキテクチャという概念が建築や都市構造から、ネット空間を含めたものに拡張されて行っている現代。今考えると落合陽一のデジタルネイチャーにと地続きの概念だと思う。
ん~、自分の深まらない考察にいやいやしながら。
18.9.10
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ずっと積ん読だったけど、ようやく読了。
感想を書けるほど消化し切れてないけど、面白かった。
vol.4を読みつつ、ちょっと整理していきたい。
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この巻から、東、北田のどちらかが一人で編集を担当することになったとのことで、前巻よりも編者である東のねらいがストレートに表れていて、「攻めた」内容になっているように感じました。
巻頭の共同討議「アーキテクチャと思考の場所」は、浅田彰、東浩紀、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司が参加しています。冒頭の東の挨拶で『批評空間』の挫折と東が論文「棲み分ける批評―浅田彰と福田和也に象徴される90年代批評の問題」で提起した問題を下敷きとしつつ、このころ新たな公共性についての構想を展開しつつあった東が、濱野智史、宇野常寛というより若い世代からの問題提起を引き受けることで、おそらくは80年代以降の日本のポストモダン思想とゼロ年代以後の問題意識とをブリッジすることを企図したものだったのではないかと考えます。ただ、そうした東の意図が浅田や宮台に伝えられていなかったようで、あまり議論が掘り下げられることのないまま終わってしまったように見受けられます。東の企画そのものは非常に興味深く感じられるだけに残念です。
安藤馨の論文「アーキテクチャと自由」は、前号の座談会で出席した大屋雄裕の論敵である著者が、功利主義の立場からクリアな議論を展開しており、印象的でした。
福島亮大の論文「ホモ・エコノミクスの書く偽史」は、ケータイ小説や村上春樹、『東方Project』などを題材に、偽史的な想像力の可能性を論じたものです。わたくし自身は、かねてからサブカルチャーにおける想像力がこの方向に囲い込まれていくことに対して違和感をおぼえており、そうした印象はむしろ強められたのですが、自分自身がどこに問題を感じているのかを明瞭に自覚することができるという意味で、興味をもって読むことができました。
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つまみ読み。斜め読み。
偽歴史に関する考察が興味深かった。
コピーが前提の世界では、意味のないシンボルのみがキャラクターとして残り、流通しうる。キャラクターがテクストを超えることの、先。
このような変化は、ホモエコノミクスとして、焦点を次々に変えて市場化しているとも言える?
コージェヴのポスト歴史の議論
携帯小説は、携帯の操作履歴で物語を記述。操作履歴によって心理状態の形式化をしている?
・設計される意欲 鈴木謙介
アーキテクチャが人間の管理についてどう影響するか
→威嚇的支配、市場、規範につつく第四の支配・管理の形態
モチベーションを引き出すアーキテクチャとは。搾取との境目とは
→フーコーの牧師的支配とも言い換えられる?