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読みたい本 図書館の本 中央
内容(「BOOK」データベースより)
音楽の聴き方は、誰に言われるまでもなく全く自由だ。しかし、誰かからの影響や何らかの傾向なしに聴くこともまた不可能である。それならば、自分はどんな聴き方をしているのかについて自覚的になってみようというのが、本書の狙いである。聴き方の「型」を知り、自分の感じたことを言葉にしてみるだけで、どれほど世界が広がって見えることか。規則なき規則を考えるためにはどうすればよいかの道筋を示す。
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みなさま、こんにちは。
今日は音楽についてと徒然なるままに書いてみたいと思います。
今回ご紹介するのはこの本。
『音楽の聴き方』と題された本です。
確かに、蓼食う虫も好き好き、どんなふうに音楽を聴くかは俺の勝手だろ!
と言われたらそれまでなのですが、
音楽の喜びは、多くの人と音楽について語り合うことにある、と著者は主張します。
そこで、上手に音楽を語るための作法やルールといったものをこの本では紹介しているわけです。
僕が特に興味が湧いたのは、第二章で紹介されている「言語を伴う音楽の聴き方」ですので、これについて詳しくみていきたいと思います。
第二章冒頭から引用します。
「音楽は語れないと頭から信じてこんでしまわない。『音楽は言葉を超えている』という決まり文句は、ロマン派が作り出した近代イデオロギーなのだ。実際は言葉なくして音楽を体験することはできない。そして語彙や語りのロジックが増えるほど、人はよりよく聴ける。「音楽を聴く」とは「音楽の語り方を知ること」でもある。そして音楽を語る語彙は出来るだけ身体に響くものがいい」
この章において著者の岡田は音楽は言語的な営みであると再三主張します。
音楽は語れない、音楽は神聖なもので言葉にしてはいけない、という考え方に、そういったタブーが生まれた歴史的な経緯を踏まえた上で辛辣に批判をします。
僕が特に面白いな、と思ったのは、
「音楽家たちが日常的な音楽の現場で用いる言葉は…総じて砕けていて端的であり、感覚的で生々しい」
という部分です。
以下、音楽家たちの音楽に対する言語表現を紹介したいと思います。
「40度くらいの熱で、ヴィブラートを思い切りかけて」(ムラヴィンスキー)
「いきなり握手をするのではなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」(クライバー)
「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」(チェリビダッケ)
「もっと喜びを爆発させて、ただし狩人ではなく猟犬の喚起を」(フリッチャイ)
などなど。
ここに共通しているのは、耳にした途端にこちらの身体の奥に特定の感覚が沸き上がってくるような一風変わった比喩表現であることです。
音楽を語るこのような言語は、パントマイムに近いように思われます。
実際に、ロープや壁を舞台上にセットするわけではありませんが、
パントマイムを観ることによって、実際には存在しないはずのロープが舞台の上で引っぱられたり、壁が出現したりと、
物理的に存在しないはずのものを身体にありありと想起させることができるのです。
この本に紹介されていた例ですと、
「再現部の終わり近くになって、減七和音を会した遠隔調への転調が生じる」
と言われても、音楽経験がないとよくわかりませんが、
「曲の終りの近くで、魔法の扉のような甘い響きを通して、思いがけない風景が目の前に開かれる」
前者と後者ではどちらが我々一般人にとって音楽を捉えやすいでしょうか。
後者の言葉のイメージを想起させる力には驚かされます。
後者の表現のことをここではパントマイムのような言葉と呼んでいます。
音楽を語るためのこのような語彙や語り。
こういった身体感覚を呼び覚ますような言葉の神秘を感じたのと同時に、
このような言葉を積極的に使用したいと強く思った次第です。
人間は所有する語彙や言葉の数しか世界を認識できない、という考え方は、現在の哲学の通説です。
音楽を雄弁に語り、さらに文字通り自分の世界を広げたい、と思った方は、ぜひこの本を手にとってみてください。
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お手ごろな西洋クラシック通史本かと思います。
ところどころ「あのー、それは岡田センセの主観では?」と思う箇所もありますが、「音楽は言葉で語れない」「音楽は国境を越える」などの陳腐な慣用表現へ一家言を呈する姿勢には、大変好感がもてます。
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名著『西洋音楽史』に続くクラシック理解のための格好の手引き。でも、いわゆるディスクガイド的なことを期待すると裏切られます。西洋音楽の「聴かれ方」と「語り方」の歴史的変遷と理論的背景を踏まえた読み物で、新たな発見がたくさんありました。
「自分の感性の受信機の中にあらかじめセットされていない周波数に対して、人はほとんど反応出来ない」
ある音楽を気に入るかどうかは、誰にでもある「内なる図書館(自分が何年もかけて蓄積してきた記憶の断片≒自己のアイデンティティ)」と接点があるかどうかにかかっています。だからこそ、「たくさん聴いて、読んで、いろいろな人名や作品名を覚え、多くの人と話すこと」。音楽という大海で迷子にならないためには、ある程度「量」を聴き込んで、自分なりの海図を持つことが必要です。
要するに、「ある音楽ジャンルが「分かる」とは、一つの文化に参入し、その暗黙のアーカイヴに対する土地勘のようなものを会得することだ。歴史を知り、価値体系とそのメカニズムと含蓄を理解し、語彙を習得すること」。語るべき言葉を持たないと、音楽の楽しみは半減する。同感です。
「音楽についての本を読むことで、聴く幅が飛躍的に広がる」。ジャズについては、ミュージシャンの伝記や批評、文化論、ディスクガイドなど、それなりの数の本を読んできましたが、それによって自分が音楽を聴くときの軸足が定まったという実感があります。
でも、私の心に刺さったのは、それに続く次の言葉。「他人が使った語彙は、あくまで自分の言葉を見出すまでの、仮設の足場のようなものだ」。他人の知識や経験が自分のものになるまでの熟成のプロセスを表す表現として、これ以上のものは思いつきません。
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自分自身がもやもやとした感じで思ってたことを上手く書いてくれたという感じ。「好みは感性だ」とか「感性について語ることは無意味だ」とか「どう感じようが人の勝手だ」といった考え方に疑問を持っている人が読むと納得できると思う。
音楽は「演奏すること」「聞くこと」「語ること」が相互に絡み合うことで文化として進化してきた。語ることなくして音楽を体験することはできない。自らが今までに積み上げてきた「内なる図書館」が受信機となって音楽を受容する。だから、受信機の感度を良くするために常の努力は不可欠だ。といった内容。
確かにその通りだと思うし、「観る・聞く・読む」といったインプット作業は毎日なるべく広範囲に渡って行うようにしている。僕の感覚では、(1)観る・聞く→(2)読む→(1)(2)繰り返し→(3)語る、というプロセスが効率的だと思う。読むのも語るのも、ある程度その分野に関して知識がないと読み進めるのが難しいし定着もしにくく、語ることもできないと思うから。
P.207~
・自分のクセを知る。
・絶対的な傑作を除いて、多くの音楽は「語り部」の良し悪しにより変化する。
・聞き上手とは、聞く文脈をを色々持っている人のこと。
・音楽を言葉にすることを躊躇しない。そのために音楽を語る語彙を知ること。
・音楽についての本を読むことで、聞く幅が飛躍的に広がる。但し、他人が使った語彙は、あくまで自分の言葉を見いだすまでの、仮設の足場のようなものだ。
・音楽の文法を知る。
・興味のある音楽があれば、その国の言葉を少し学ぶ。
・そのジャンルのアーカイブを知る。ジャンルとして確立されている音楽の場合、必ず観客が暗黙の前提にしている架空の図書館がある。「およそこれくらいまでがこのジャンル」という合意が、コレクションを囲い込む。そして目立つ所に有名作品が色々置いてある。「こういうタイプの作品はどの辺りにおいてありそうだ」といった方向感覚がついてきたらしめたもの。そのためにも、たくさん聴いて、読んで、色々な人名や作品名を覚え、多くの人と話すこと。
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音楽をより楽しむ方法論として手に取った
アドバイスだけであれば、あとがきの「聴き上手へのマニュアル」で十分
それでも文献や哲学、時代背景からの音楽の聴かれ方、語られ方を読んだほうが、「文脈の中で解釈する」「文脈など関係なしに感動する名作もある」ということが分かる
より深く音楽を楽しみたい方法を知りたい方に向く
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音楽に限らず、まず型を学ばなければ深い理解は得られない。手っ取り早く音楽なるものを理解したかったのだけどだめみたい。ちゃんと聴いてみたいと思った。
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音楽を語ることの大切さを考えさせられました。また、音楽の型を理解して聴くこと、
実際に音楽を場の中で聴くこと、音楽についての本を読むこと、話せる友人を持つこと、
これらによっても聴き方の幅が増えるということです。
私はよく、家でCDで心地良く聴けたものをライブで聴くとつまらなく、
家では小難しいと思ったものがライブでは楽しく聴けることがあります。例えばこのような違い。
ここにも何か聴き方の幅を広げる手がかりがあるかもしれません。
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久しぶりに音楽の本を読んだ。多分大学生以来だ。
それもとてもおもしろい本で示唆に富んでいる。
共感できるところも多々ある。音楽を聴くにあたっての構えを紹介した本だ。
地道に聴こうとする音楽の背景知識をストックしないと音楽は聴けない。そのとおりだと思う。そうしないとなんだか「わからない」状況が生じる。
・レッスンの中で交わされる語法
・言語との共通性も指摘:音楽は読み物
・形容が困難な音楽評論文
これらのことは、おもわずニヤリとしてしまった。
pp172
「自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかを発揮すること」
実はほんの一時期、音楽を遠ざけた時期があった。
この一文を胸に聴く喜びをかみしめて、人生の正午を迎えよう。
おまけ
紹介されていた
ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラのDVDを早速注文した。
「意志の勝利」に感動させられた方は上記も観たほうがいいのではないかな。
おまけ2
フンボルトの教養教育理念によってライプチヒ音楽院が1843年に設立された。BACH以来のドイツ音楽を正しく受け継ぐこと=演奏者を育成することだったという。大学の歴史とつながった一文だ。
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音楽という生理的反応を呼び起こす芸術を、言語で表現してみたくなる本。そして、音楽がサウンドであると同時に文法もレトリックも持つれっきとした言語であることを認識してゆく。
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私自身、「音楽について言葉で説明することは不毛である」と言ってきた。けれど、語ること/語れるよう用意しておくことで、聴く体験自体が深まるという著者の主張に納得してしまった。
この本を読んでしまった後では、「語れない」ということはすなわち勉強不足/思考不足/語彙不足ということ。「音楽は言葉で説明できないよね」などと言おうものなら、足は足りぬが馬脚を表すといったところだ。
語れるようになるには、それ相応に意識した多面的な聴き方、周辺の音楽との文脈を読み解くだけの知識などが必要になる。そして、それを身につけることは、きっと今よりもっと音楽を楽しむということなのだと思う。
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現代の音楽に関するイデオロギーを読み解き、音楽の聴き方を示した著作。
現代には音楽に限らず芸術において、感性史上主義的な考え方が流布されているが、それは19世紀に作られたイデオロギーの残骸であると著者は言う。
著者の批評の射程は、音楽に限らず、芸術と言語に関する極めて現代的な問題を綺麗にえぐり出すもので、その点で非常に素晴らしい。文章も平易で読みやすいし展開も自然。芸術が「わからない」という悩みを持つ人の駆け込み寺として。オススメ。
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普段僕たちは、テレビや、ラジオや、喫茶店や、いろいろなところで音楽に触れている。しかしそうした音楽の目的は、その音楽について考えたり、語ったりすることではない。ただ音楽によって得られる感情を提供することが目的になっている。そこでの音楽は、ある種のサプリメントとしての役割しかない。
しかし筆者は、そのような受動的な聞き方だけでは不十分であり、音楽を言葉にする、という能動的な聞き方が必要であるという。
たしかに音楽を言葉で説明し尽くすのは不可能かもしれない。しかし、音楽を言葉にしようという努力を放棄してしまっては、単なる動物と同じになってしまう。
人として音楽をより深く理解し、より深い喜びを得るためには、たとえ不可能であろうとも、音楽について語り続けることが不可欠なのだ。
このような、筆者の音楽にかける熱い思いにあふれた一冊である。
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[ 内容 ]
音楽の聴き方は、誰に言われるまでもなく全く自由だ。
しかし、誰かからの影響や何らかの傾向なしに聴くこともまた不可能である。
それならば、自分はどんな聴き方をしているのかについて自覚的になってみようというのが、本書の狙いである。
聴き方の「型」を知り、自分の感じたことを言葉にしてみるだけで、どれほど世界が広がって見えることか。
規則なき規則を考えるためにはどうすればよいかの道筋を示す。
[ 目次 ]
第1章 音楽と共鳴するとき-「内なる図書館」を作る(音楽の生理的次元 相性のメカニズム ほか)
第2章 音楽を語る言葉を探す-神学修辞から「わざ言語」へ(「鳴り響く沈黙」とドイツ・ロマン派の音楽観 神の代理人としての音楽批評 ほか)
第3章 音楽を読む-言語としての音楽(「音楽の正しい朗読法」-一八世紀の演奏美学
音楽/言語の分節規則 ほか)
第4章 音楽はポータブルか?-複文化の中で音楽を聴く(再生技術史としての音楽史
演奏家を信じない作曲家たち ほか)
第5章 アマチュアの権利-してみなければ分からない(音楽は社会が作る/音楽が社会を作る?-パウル・ベッカーのテーゼ
音楽は政治的にうさんくさい?-「感動させる音楽」の恐怖 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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語れない音楽はない、という観点で様々な音楽の解釈に迫る。
上達の法則にもあるように、達人は批評や解釈ができる。
よりよく聴くためには、数の経験も必要。