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1 路ばたのききょう
2 海辺橋の女郎花
3 京橋の小梅
4 西応寺の桜
5 佃町の菖蒲
6 砂村の尾花
7 御船橋の紅花
8 仲町のひいらぎ
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認知症やくも膜下出血を患う妻を支える夫。医療面で現代よりも厳しい状況ですが、伴侶を思いやる気持ちは変わらないもの。温かな情に満ちた作品集です。『紅花』が他とは少し異なり、これから始まる恋の物語として素敵でした。(2009.10.08読了)
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八つの花の名が付いた短編集。話はそれぞれに独立している。
最初のききょうのお話は(個人的に)読むのが辛かった。
私は紅花のお話が好きだ。
この八つの話の中には、簡単にいっちゃうと「人生」が入っていて。「情」がガッツリ入っている。羨ましいほどに濃い。
それにしても、山本さんの本は読むとお腹が減るし(紅花)花を愛でたくなっちゃうし(全編)、深川を歩きたくなっちゃうし…で大変である。
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八本の短編時代小説。
季節の花を題材に、夫婦の有り様を描いている。
夫婦として長き歳月を過ごせば、良い時も悪い時もある。
その欠片と、ふたりの底に流れる何かを切り取った物語。
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タイトル通り短編7編。しっとりした江戸の商家、職人の夫婦物が多い。上手く丁寧で読みやすいというのが山本作品だけど、進展は物足りないし、人物像の深みまでは期待出来ない。まぁ、そこまで要求する方が贅沢なんだけど(笑)深川舞台で、他の作品登場人物が顔を出したりする。一番好きだったのは「御船橋の紅花」・・老いらくの恋とか^^;
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巻頭の作品に、衝撃だったかな、あの一力さんが此の様な話を書くとはね。夫婦の片割れが惚けてしまった時にどういう対応を採れば良いのか、ほろっとさせる話だったね。しかし、僕の後に29人待ち、其の割には仙台に限らずだけどたなぞうファミリーはいないのかな?人気ある割には、此処では誰もupしてないし。******************************久しぶりの一力さんの市井小説、どんな話だろうか?楽しみで仕方ない。何せ、2ヶ月も待ったからなぁ。
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山本一力先生の短編集
少しずつ喰い足りないかな
やはり、生き様を描くのが上手い作家さんなので
長編に真価が発揮されるのか?
2011.10.25 追記
高齢者福祉の世界だ!
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タイトルどおり、八つの花にまつわる人生模様。「花」だけあって、その話には男女の愛情の機微が盛り込まれている。しかしその色は渋く、静謐な咲き方だ。妻が脳溢血で倒れた夫が、介護する姿。無骨な還暦の担ぎ売りが、天ぷら屋台の女将の元に通い続ける一途さ。若さや情熱ではない、今までの人生がにじみ出る年輪を重ねた男女のしみじみとした情がそこにある。連れ合いが病に置かれたらという状況は、現代の老年化社会にも通じるが、彼も介護をしたことがあるのだろうか。車椅子を動かす手に妻の喜びの表情を感じるなど、実感できる場面が多い。暦や時刻まできっちりと計算され尽くした筆致の中で、登場人物の生活もこつこつと描かれる。まるで、その花を描いた掛け軸が、目の前にすとんすとんと広げられたように、その時代、登場人物の住む世界へと誘われる。どの話もほろりとさせられる、切ない喜びがある。ある程度の歳まで連れ添った人には胸に迫るものがあるだろう。しかし起伏の少ない物語なので、もしかしたら若い人には「え、これだけ?」と物足りなく感じるかも知れない。言うまでもなく大人お姐の私の胸には、読み終わったとき八つの花が咲いたけれども。
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小説新潮 2007年7月~2009年1月号の8編からなる。
どれも、花の名のついた江戸の話である。
『路ばたのききょう』は、岡崎堂と言う薬問屋の老舗のご内儀さんが、痴ほう症になりかけ、はだしで、外に出かけたりするのだが、初秋になり、正気に戻り、庭の桔梗の株をもとの場所に受け変えましょうと言いだす。
ご内儀の正気に戻っているので、主人も娘の喜び、其の桔梗が、咲いていた蓬莱橋のたもとの茶店に、2人で、河畔を見つめる姿に、このままが、続きますようにと、、、茶店の娘も願うのである。
『海辺端の女郎花』ほ、結婚してから36年、鳶のおかみさんが、脳内出血で倒れてしまうが、苦労させたこのおかみに海辺橋のたもとの女郎花を見せてやりたいと、願う夫の話である。
『京橋の小梅』は、京すしのおかみさんの手を触れてもらったら、其の1年弁天様のご利益があると、噂する者が3人居た。
其のおかみは、結婚した時に庭に植えた小梅から梅干しをつけて、客に提供するのである。
さて、誰が、おかみの指先に触れるのか?
『西園寺の桜』は、摺り屋の夕星屋の大女将さんが、脳内出血で、倒れて、身体を動かすことが出来なくて、主人が、車イスを作ってもらい、それに妻を乗せて、西園寺の桜を見に行くのである。
『佃の菖蒲』は、将棋盤作りの夫婦に子供が、授かるが、男と思って、親は、菖蒲を植えたが、女の子だった。
色々あって、その娘は婿を迎えることになるのだが、父親は、
反対しながら、孫を菖蒲湯につからせてやれるかもと、妻に語るのである。
『砂村の尾花』は、大地主の所有の1万200坪のススキを、月見に使うのに、風で、穂の無いものを、納入できないから、刈り取る日が、決まっているので、護摩焚きをしてまで、祈祷するのである。
『御舟橋の紅花』は、60歳の担ぎ売りの男の話である。
采配の女将から、八卦見で、紅の貝殻を、その男が足しげく通っている天ぷら屋の女主人に届けて欲しいと、、、頼むのであるが、それは、采配の指示である。
『仲町のひいらぎ』は、松江什器の老舗 千石屋の跡取りへと代を継いで行く過程が、書かれている。
読み終えてしまって、話の筋は?と、問われると、話づらいので、まとまった書き方は、出来ないが、この江戸の時代、浮気、子だくさん、大店のお妾さんと、、言うような想定の話が、多い割に、この本は、苦楽を共にした老夫婦の絆を、優しさの溢れた話にしている。
今の、脳出血、痴ほう症などで、身動きの出来なくなった連れ合いに、優しく看護する姿とか、2人だけで、眺める花が、これまでの共に生きていた証しを、伝えている本である。