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世界観の主軸となるITPという技術があり、死病を患った女性研究者:サマンサ、そして彼女が作り出した擬似人格:wanna beが主な登場人物というこじんまりとした中で物語は進んで行きます。
同著者の円環少女で挟まれるようなギャグシーンなどは一切無く、鬱々とした空気がずっと続いて読み進めるのがきつかったです。
ですが、物語の中で一切ブレずに描かれ続ける死への著者の思いが文章から伝わってきました。
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意識や物語、死というテーマを美化することなく、真正面から取り組み描ききったSF。終盤の主人公と《wanna be》との会話からラストの冷徹な一行までの展開が圧倒的。「あなたのための物語」というタイトルが見事にテーマを表している。大傑作!!。
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ただ、人が一人死ぬだけの物語。 SF装置を使って、人間という動物を暴いていく。 圧倒的に文章に打ちのめされ、読後感を言葉にできない。
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うぅっ、予想外のクォリティに驚いた。
死へのカウントダウンを、
すごく巧い文章と言葉で、
容赦なく描かれている。
終盤の展開には、鳥肌が立った。
SF って、こんなパターンの物語を作り出せるのだと感動。
タイトル「あなたのための物語」は、切なすぎる。
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感想を書くのに苦労する話でした。
たいていの本は一回読めばそのまま感想を書けるのですが、この本は都合三回読みました。最初に何も考えずに読み、暫く期間をおいて再読して、そして感想を書くために読みました。それでも何を書くべきか悩んでいます。
面白いか面白くないかで言えば面白いのですが、何が面白いかと尋ねられると言葉に窮します。
この本は死をテーマにした物語です。
死の物語は読者の関心を強く引きます。それは死が万人にとって不可避なものであり、その事柄に一種の陶酔と憐憫を呼び起こさせるからです。
ですが本著はそれだけでは終わりません。
主人公であるサマンサは過去の栄光や道徳を投げ捨てて、自らの病気から逃避するために足掻き、その必死の抵抗とは裏腹に病気は淡々と肉体を蝕み続けていきます。
本著では激痛を伴いながら死へと近づいていく様子と必死に悪あがきを繰り返す主人公の様子が淡々と描写されています。
それらに陶酔や憐憫を一切なく、それ故に闘病系の物語でありながら、ありきたりな感動や同情が皆無です。
むしろ自らが打ち立てたカタストロフを自分で打ち崩していく事で、意図的に「感動した。泣けた」だけで終わらせる事を拒んでいるように見受けられました。あるいは、美化された死にまとわり付く甘美な陶酔を完膚なく破壊したがっているような。
「そして、サマンサ・ウォーカーは、動物のように尊厳なく死んだ」
物語を締めくくる最後のこの一文に、本著のすべてが凝縮しています。死という終焉を前に、主人公の努力は一切何も報われません。
そしてその結末が、物語中で仮想人格“wanna be”がサマンサに対して言ったように「言語から解放される一瞬」を作り出して居る事に成功しています。
表題とは裏腹に、残酷な話でした。
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(2010.05.31読了)(2010.05.19借入)
「サマンサ・ウォーカーは死んだ。」と主人公の死(34歳だった。)から物語は、始まる。
「苦痛と恐怖は、人間を極めて高い優先順位の刺激で閉じ込め、外界の優先順位を下げる。百人の他人に見守れようと、人は孤独に死ぬ。」(4頁)というような文章が続くので、結構読むのが大変かもしれない。本文は二段組みで、300頁ほどあるので、通常の600頁ほどの読み応えとなるので、覚悟して取り組む必要があります。
時代は、2083年から2084年にかけての1年足らずの物語です。2084年は、オーウェルの「1984年」の監視社会を意識した年号のようです。
サマンサ・ウォーカーは、デニス・ローネンバーグと組んでニューロロジカル社を経営している。二人は、脳神経と電動義肢を接続する人工神経NIP(Neuron Interface Protocol)を作り上げ、脳を損傷した場合の代替神経として活用できるようにして会社を発展させてきた。
今は、量子コンピュータ上に《wanna be(なりたい)》と名付けた仮想の脳を作り上げ実験用の疑似人格を組み込み、小説を書かせる実験を始めたところだ。
たとえば「悲しい」と書いても、記述者の感情を完全に伝えることはできない。だが、感情や記憶を揺り起こしたとき働いた神経を疑似神経に記録することならできる。だからNIPの一歩先として、記録した神経を、伝えたい相手の脳内でも働く書式で発火させることで、記述者の「悲しい」を完全に伝達する技術が生まれた。この言語は、ITP(Image Transfer Protocol)と名付けられた。
「悲しい」という感情伝達と同じ方法で他人の知識や経験や、特別に機械編集した神経配置を脳内に移植することもできる。(16頁)
脳が生き残れば、人間が生き残ったことになるのか?倉橋由美子の「ポポイ」はそんな物語だったような。
人が死んでしまうとせっかく一人の人間が学習してきた知識や蓄積してきた経験が無に帰してしまい、別の人間がまた位置から学習したり経験を積み重ねていかないといけない。ひとりの人間の知識や体験を簡単に別の人に引き継がせることができたらどんなにいいだろうという人類の夢が実現する日が来るのだろうか。その時、どんなことが問題になるのだろうか。
そんなことを考えようとした物語なのかどうかよくわかりませんでした。
知識の積み重ねによって、創造性を発揮できるようになるのだろうかというのが、wanna beの当面の実験目的ということだ。(28頁)
小説を書かせる前にまずは本を読ませ、読書レポートを書かせている。(34頁)
サマンサ・ウォーカーは、内臓疾患に侵されている。「目を覚ますと、得体のしれない太いものが身をよじりながら腹の中を進んでいるようだった。内臓が何か別のものに変わったように、理由のわからない熱さに脈打っていた。」(47頁)
肉体を持つ人間と肉体を持たない量子コンピュータ上のwanna beを対比させたかったのでしょう。
wanna beが考えた人間社会は、以下のように記述されています。
「人間は、誕生を起点として死まで順番に進む、順列的な情報集合体だと判断していました。そして人間社会とは、順列的な小さな仕事手順である「個人」が、より大きな仕事手順である「��会や文化」に接触してつくられていると読みとっていました。人間社会という大プロセスは、より効率的に小プロセスから情報を引き出して情報集合体へ加えられるように、技術や社会システムを発達させたのではありませんか」(189頁)
社会学とかの教科書を読んだらきっとこんな記述がありそうな気がします。
サマンサ・ウォーカーが人間に認識できる外界をITPですべて記述しつくそうとしているのは、「経験の直接的伝達で学習の時間をゼロにすることで、人類が積みあげすぎた情報を自由に扱いたいだけだ。望みは、情報を有効利用できる消費者が増えることによって、新しい需要が掘り起こされる経済効果なのだ。」(203頁)
この物語は、うまくまとめ切れなかった。お手上げです。
著者 長谷 敏司
1974年、大阪府生まれ
関西大学卒業
2001年、『戦略拠点32098 楽園』で第6回スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー
(2010年6月13日・記)
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いやぁ…読むのに難儀した…。ここまで時間がかかったのは久しぶり。
難儀の理由は主人公の複雑に乱れる内面を克明に表現し続ける不器用な文体であろうか。そうした文体の引っかかり具合も表現技法であるかのように、死を宣告された主人公が空想科学小説的な奇跡も起こさず死にゆくプロセスが描かれていく。何かにつけアップダウンを繰り返す主人公の内面に合わせて翻弄されていくので読んでいて疲弊することしきり。
こうした難題抱えつつも☆5なのは、仮想人格≪wanna be≫の「≪私≫は、あなたの、お役に、立てましたか」に尽きる。
一点の曇りもない未来を夢見ているような人にはオススメできません。これは、肥大した自己愛が死に至り瓦解し無に還る「あなたのための」物語だ。
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本格SF。内容は……Amazon辺りにお任せすることにします。久しぶりの本格SFはヘビーでした。
何かを理解するということは、それを否応なく受け入れるということと同義である。わからないものは無視してもかまわない。というより無視できる。だが一度でもそれを理解してしまうと、それは望む望まないに関わらず一生まとわりついてくる。
科学技術が発達し、脳内における神経細胞の発光を観測・記録できるようになったとき、サマンサは理解してしまう。「死」を。いくら科学技術が発達したところで、それは決して人類を死の恐怖から解放してはくれない。むしろ「死」は、より明確な形となって人類の目の前に現れる。
科学に対する反定立ではないと思うが、その先が決して夢に満ち溢れているものではないということなのかもしれない。
あとやっぱり科学による死生観って面白いなあ、と。対極に存在するもの同士をつなげると真実が見えてくる。
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脳内に擬似神経を形成する言語の開発者が、自身の病魔に苦しみながら死ぬまでを描いたSF作品。
主人公の開発者と、彼女がつくった仮想人格との奇妙な恋愛物語が主題なのだと思うのだが、実際は「まだ若いひとりの人間が徐々に体をむしばまれながら無残に死んでいく描写」が強く印象に残った。他のレビューにもあったが、面白いのだが何が面白いのかといわれると答えが難しい小説。単純な感動ものでなく、死に対してとてもドライで、行き過ぎるくらい生々しさを感じる。文章がわりと難解なので、腰をすえて読んだ方がいいかも。
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物語の根底に敷かれているのは死だ。サマンサという女性がいかに死んだか、から物語は始まり、彼女が死に至るまで、どのように生きたのか(どうやって死んだのか)で物語は終わる。この物語は死によってくるまれている。愛らしきものはある。だが、あれは果たして愛だったのか。いや、愛とは何だ。死が生を照らす物語だ。だが、そこに生への讃歌はない。
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SFだけれどエンターテイメント性がどうこうという作品ではなく、死についての物語。ITPという人格が記述できるテキストがあるという前提のもと、人間の死とその肉体性について思考実験的に書かれた感じ。
読んでいて「楽しい」という作品ではないが、最後ITP化したサマンサと死にかけのサマンサが向かい合うシーンはいいな。個人的には、ITPの設定を最初の段階でもっと簡潔に説明してくれたほうが嬉しかったかも。
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哀しくて、美しくて、冷徹で、残酷な「物語」。
感想は書けません。
とにかく読んでもらうしか、この「物語」のすごさはわからないと思います。
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死生観について考えさせられる、ずっしりと重みある良書。
ただ、文体にしろ内容にしろ、娯楽的に軽く読める内容ではないため、好き嫌いは分かれるかも。
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死は自分の鏡であり、死が迫った時ヒトは自分が何者であるかを知る。しかし本書の主人公(サマンサ)は死を突き付けられる以前も以後も研究者としての生き方しかできなかった。死への恐怖と苛立ちが彼女の背中を押し、自らを実験台としながら倫理に反した研究に手を染めていく……。
死の臨場感と自分だけが世界から取り残されていく疎外感が伝わってきた。肉体を持ちいつかは死ぬ運命にある人間(サマンサ)と、肉体を持たず半永久的に生き続けられる『彼』の、遠いようで近い関係性が『死』について考えさせてくれる。
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感想まとまらないからITPテキストで書き出したい…。「あなた」が誰かによって見かたが変わるとこがおもしろかった。