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サファイアは、生き返らしてもらえるのに、海賊ブラッドは、生き返らしてもらえないんですね。
テレビでも、後半って、あんまり覚えてないんですよ。
ウーロンとか、フリーベとか、テレビに出てきましたっけ?
このお話って、物語の構造をものすごく考えて作ってある感じがします。
それは、「虹のプレリュード」でも、感じます。
そうして、物語の原型から手塚 治虫が作り出した物語が、1つの原型になるみたいな。
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ジュラルミン大公の命を受けたナイロン卿の矢に倒れ、余命三日と診断されたサファイア。海賊ブラッドは彼女を救うべく、特効薬があるという黒真珠島へと船を走らせる。そのころフランツは悪魔ヘル夫人の策略にはまり、彼女の娘ヘケートと結婚させられようとしていた……。はたしてサファイアとフランツの運命は!?
『リボンの騎士』完結編! ほかに『野ばらの精』『虹のプレリュード』を併録。
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ナイロン卿の矢に倒れ、余命三日のサファイア。その頃フランツは悪魔ヘル夫人の策略で娘へケートと結婚させられようとしていた。サファイアとフランツの運命は?
手塚治虫による、日本初の長編少女漫画完結巻。
本巻はなかよし版(1963年1月号 - 1966年10月号)の下巻
☆スターシステム・ゲストキャラクター☆
佐々木小次郎(ウーロン候)
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リボンの騎士のほか、野ばらの精、虹のプレリュードを収録。
虹のプレリュードは、ショパンのプレリュードができた背景を描いたもので、切なくなる作品。
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一応ハッピーエンドなのだろうけれど、
後ろは駆け足で、どうやって収集する気なのかとドキドキした。まぁ、それも手塚治虫っぽい気もするのだけれど。笑
それにしても、ちょっとしたイタズラがとんでもないことになったというお話だなぁ。
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手塚治虫が本当の天才、進み過ぎていた事が良く分かる。
1.精神入れ替えのアイデア
まだストアードプログラム式のコンピューターが普及していなかった時代に人間の人格をソフトウエアベースであるとして記述している点が早熟過ぎる。
脳科学の発達で性自認の問題、性同一性障害はソフトウエア=精神の病では無く、ハードウエア=脳の構造の問題=男脳と女脳の問題である事が解明されたが、それにしても凄い。
サファイヤ姫には男のOSと女のOSの両方がインストールされてしまったのだ。しかし、プラスチック王子には何方もインストールされず、ズバリ「腑抜け」であったが、サファイヤ姫からアンインストールした男のOSをインストールすると賢王となり、サファイヤに王権を移譲する前に男女同権、離婚の権利等数々の民主的改革を断行したのであった。
つまりこの改革でサファイヤは女性で王位につけたのである。
本作はサファイヤ姫を狂言回しに戦後民主主義を高らかに歌い上げた物とも思える。
2.今日LGBTの方々とその人権問題がクローズアップされ当事者である作家の作品から、単なる興味本位の勘違いまで多種発表されているが、そうした物をひっくるめてその先駆けである。
3.他作への影響
神様手塚であるから当然そういうのが多い。
1)池田理代子の「ベルサイユの薔薇」こちらは血なまぐさい歴史絵巻であるが、面白いのは後書きが本作とソックリな事である。民主主義の立場に立っているのは同じ。
2)萩尾望都の「11人いる!」人生の内1回だけ性別が変えられたらというお話し。民主主義や女性の人権の問題につながる可能性を持ちながらそういう方向に展開しなかった。
3)高橋留美子の「らんま1/2」こちらの場合、性自認は同一性を保ち瞬時に肉体の性別が変る。その点では手塚の「メトロポリス」のミッチイに近い。此方は手塚や池田とは真逆で、性別が瞬時に変わる主人公を晒しものにして女性蔑視、性的少数者蔑視の笑いを展開する、民主主義や人権とは相いれない漫画。女性の状態の「らんま」が乳房を露出させて「私、女なの」と女性の求愛者に言う件はサファイヤがウーロン侯の妹を前にして行った行為と全く同じ。但し手塚には女性蔑視の意図は無い。
4.キャラクターの感想
1)サファイヤ:運命に翻弄されるだけで、個性的な設定のヒロインにしては印象が薄い。
2)フランツとヘケート:私に言わせるとフランツは男の風上にも置けない。ヘケートの臨終の際、彼女は見難い姿に変る自分を愛するフランツに見せたくない一心でフランツを遠ざけるが、フランツはそれに従う。本当に立派な男なら、恋愛感情が無くても、自分を自らの命と引き換えに救ってくれた女の子にそんな事は出来る筈が無い。どんな姿に変ろうとしっかりその腕に抱きしめて看取ってあげる筈だ。これは手塚の読者への問いかけかも知れない。ヘケートは宮崎駿のモンスリーに(死なないが)影響を与えていると思える。
3)ブラッド:最初サファイヤに求愛するが、それが敵わなくても、筋を通した立派な生き方を貫き、敢え無く亡くなってしまう。男らしい海の男であり、松本零士のハーロックや宮崎駿のダイスの原型に思える。
4)ガマー:牢屋の番人であり、本当に改心しているのかと読者をヒヤリとさせる描き方を手塚はしている。
5)ヘル夫人:フランケンシュタインのポリドリの様な役柄。自ら作り出した娘のヘケートに女性らしい優しい心が欲しくてサファイヤの女の心(OS)を狙う。そんな事をしなくてもヘケートは優しい女の子の心を持っていたのに気づかない。教育ママ(古語)の反映か。
ヘケートの心は清らかで優しいばかりでなく、正義感と献身に満ちていたので、母娘共々命を落とす事になる悲劇。
優しい気持ちの読者の少女ならきっとブラッドが可哀そう、ヘケートが可哀そうと泣いたのではないだろうか。その辺まで手塚は考えていた様に思える。
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最後まで読んで、こういう話だったのかとびっくりする。
この時代にこんな作品が少女漫画として連載されていたのかと驚く。
人権意識、ジェンダー観については、進んだ面もあれば一歩も進んでないどころか後退した面もあるかもしれないと思った。
自分が読む分にはいいのだが、5歳のこどもが読み始めると、この漫画から男らしさ女らしさのステレオタイプを植え付けられるのが恐怖で、昔のものを見せるって難しいなと思った。