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ここまで自覚的に物語をつむげるとは流石エンデ様。
自分の制作姿勢を省みて恥ずかしくなってしまった。
ちんけな「自分の世界」にこだわる全ての創作者に読んでほしい。
恥ずかしくなって欲しい。
私は本を手にぶるぶる震えた。
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作品の中で語られている思想性みたいなものがよりハッキリとカタチにされていて興味深いです。
その人の作品を読む時に作者のバックボーンを知って読みたくなることがあるのですが、エンデがそうでした。
読んで、知って良かったと思います。
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「言葉は(作家が)自分で作るわけじゃない。それはすでにそこにあるものです」
田村都志夫によるインタビュー形式の本。
病状回復の見込みのなかったエンデが語った「死について」が、心にずっしりと響きます。
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魅力的な、たくさんの言葉がちりばめられていた。
「遊び」ということの大切さ。
「ユーモア」というものの、真のあり方。
それと、ミヒャエル・エンデはこんなことも言っている。
夏は自然が眠るとき。冬こそ、自然の命がおおいに成長するとき。
春と夏のあの緑は、自然が深い眠りについて、その本質を覆い隠しているのだそうだ。そして、緑が消える冬にこそ、その本質があらわになり、自然は自身のあるべき姿をさらすのだとか。
いまひとつ、難しくてわからないけど、どうやら、エンデは人生が終焉に近づけば近づくほど、人は勢いよく成長するのだ、ということが言いたかったらしい。
あ、そうだ。
あと、物語というもの。
イタリアかどっかの街でエンデが出会った街頭の語り手。
「それは何の物語?」と聞いたら、
「アレクサンドル・デュマの小説だよ」と答える。
(そんな小説、あったっけ?)と思ったが、
それは彼の祖父から父へ、父から彼に語り継がれ、その間にすこーしずつ尾ひれがついて、今のかたちになったのだった。
エンデは、その瞬間に啓示を受けた。
「あー、こういう物語を書こう。100年後、どこかの街角で語られる物語を書きたい」
だから、エンデはエンデのように書いたのだそうだ。
トーマス・マンのように書いたのでは専門家には認められても、いつかどこかで語られることはないのだとか(笑)。
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「ものがたり」「ことば」「ユーモア」、そして「遊び」。インタビュー形式で進められる言葉は読みやすく、すっと入ってくる。
見えないものに本質が見える。いまある物質主義的な生活を立ち止まって、考えてみよう。夏の元気な姿は実は植物の「夢」であって、冬の寂しい死んだような姿こそ植物にとっての「生」という話が印象的だった。
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深いな…。
はてしない物語などおなじみの作品の舞台裏が少しだけ覗ける。
エンデのバックグラウンドや思考がメイン。大切なのは遊び(シュピール)と無の空間なのです。
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ミヒャエル・エンデとの対談本で、聞き手は翻訳家の田村都志夫さん。エンデは時間どろぼうの『モモ』くらいしか知らないけど、先日読んだ本に紹介されていたのでamazonで頼んでみた。読んだ本には、『モモ』の中に資本、貨幣、商品の話しがあるとあった。意外だったから興味を惹かれて頼んだのだと思う。
エンデは、自分の名前を説明するのに、日本では「終わり(エンド)」というところから、「終」を偏と旁の「糸」と「冬」に分解して、「ヴィンターファーデン(冬糸)」と言っていたらしい。実際、署名に使ったこともあるとか。こういう話しは対談からしか出てこないだろう。
ボクが心惹かれたことは、「神話」の意味。エンデは、「人は神話なしではいきてゆけない。神話なしでは、人は世界の中に、いかなる秩序も見出すことができない」と言い切る。なぜなら、「神話」は人間の生の矛盾を、ひとつの物語や絵にまとめてくれるから。つまり、矛盾を引き受ける方法だというのだ。なるほどと思った。
有史以来、ボクたちは世界の矛盾を感じてきた。きっとそうだと思う。いや、矛盾という定義ではないのかもしれない。世界を切り取り感じるときに、説明の出来ない「何か」があると言う方が適切かもしれない。それを引き受ける方法として、「神話」があったというのだ。
神話を失いつつあるいま、世界を説明する方法をボクたちは失いつつあるのかもしれない。
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2014年97冊目。
内容に覚えがあったので、別の本で似たようなことを読んだのかと思っていたら、まさかの既読本だった。
とはいえ、物語がどのように生まれ、どのように広がっていくかの話しはいつも興味深い。
物語そのものの中にある自律性に任せること、それが大事なのだと思う。
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2014年53冊目。(初読:2014年5月31日)
ファンタジー作家であるミヒャエル・エンデに対する、その訳者・田村都志夫によるインタビュー集。
「物語」「ストーリー」と「余白」「空白」の関係の力にはずっと関心があったので、タイトルがどんぴしゃだった。
なので、第一章の「書くということ」が一番読み応えがあった。
画家、音楽家、作家、あらゆる芸術分野で尊敬できる人たちは、やっぱり「余白」を大事にしている。
そして、作品自体が本人を超えて行く。
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高校生の時に読んだ本。
読んでると妙に落ち着く。
新たな気づきがたくさんあったように感じる。
読むたびに発見がありそうなので、本棚に置いておきたい本。
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「モモ」や「はてしない物語」の著者、ミヒャエル・エンデとの対話。物質至上主義の現代社会特に米国を批判し、精神世界の重要性を訴えるもの。賛同できるが回りくどい。言葉にできないことを表現するのが芸術と言うだけあって、活字にすることはエンデにとっても読み手にとっても複雑。「粘土で器を作る。器が作る空間こそがその本質」「古いというだけでありがたがるのが欧米、建物ではなく精神性が尊いと感じるのは日本流(式年遷宮の例)」「女性解放という本質ではなく、男性と同等という地位や権利(=イデオロギー)に向かってしまうことは間違い」
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エンデ 「 ものがたりの余白 」 エンデが亡くなる直前に語った談話集。自身の物語、遊びの創造性、少年時代、思索、死について 語っている
この本を読む限りでは、「モモ」の時間泥棒における時間は お金というより 精神や生きる力を意味。「モモ」は 資本主義社会への批判というより、物質社会を批判した本
本を書く
*言葉でひとつの現実をつくる
*言葉は自律性を持つ→言葉は作家が作るのでなく、すでにそこにある
「遊びについて 私は生涯を通じて考えてきた」
*遊びで大切なのは それが自由な行為であること
*遊びは創造性を持ち、遊びはつながりを生む
*人間は遊ぶことにより、そこに一つの世界をつくり、その世界に住む
*遊びをするには みんなで考え出す 規則も必要
死について
*私たちは一生を通じて、死に続けている
*木々が葉を落とす〜外的には死にゆくプロセス、内的には木の中から 異なる力が出てくる
*人間の死とは 生涯において 私が 私の身体に対して行う破壊行為の総和。この破壊行為は 私が人間として生きられる前提条件
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言葉で表現できないが、なんとも言えず優しく、どこか懐かしいエンデの温かさに触れることができた気がする。
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児童文学作家の頭の中を少し覗けて、それだけでも楽しい。エンデにとって、ものがたりを語ることは日常の営みだったのだということがひしひしと伝わってきた。
『鏡のなかの鏡』など読めていない作品を読んだ方が楽しめると思ったので、先にそちらの作品を読んでから続きを読むことにする。